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バイト終わり

フレンチトースト用のパンを切りながら、昨日聞いた裁判官の65歳おじいちゃんの話を思い出していた。大事なことを忘れていた、法は弱いものを助けるためにあるんだ。法は善悪を断ち切ってくれて面倒なことに悩まないですむ、自分がダメなのかもじゃなく相手が悪いんだと分かればそれ以上悩まないで済む、と思っていて、法の使い方はこれだと思っていた。私が医者になるのを諦めなければ、遅からずガザで死んでいただろう。「私たちを忘れないでください」のホワイトボードが爆撃でボロボロになったキャンプに書き残されていたのが先週、10歳の退院する少年をイスラエル軍が救急車から引き摺り下ろして病院で銃殺したニュースが昨日だ。本当にジェノサイドが起こっていて、イスラエルさんナチとおんなじじゃないスか、なんて。私がある程度自分のために生きてみようとしなかったら、奉仕の心を史上として喜んで死んでいただろうな。しかし「忘れないで」のメモ書きを見たとき、あまり同情は湧かなかった。意識が高くてよろしゅうございます、とかその辺だ。
昨日の裁判官も、精神科医と提携して被告人の終わらない人生をサポートしよう、とか針の穴から覗くような弁護士の仕事は想像力だ、とか「境界知能や障害持ち、被告人にならざるを得なかった人々」を更正まで行かなくていいから再犯を防ぐ、予防法学、と言っていた。私は聞きながら「>ミシェルフーコーかよ」とメモを取り、でも本心ではそれが捻くれている感想だと気づいてもいた。法制史で学び、国際政治とアジアで学んだ、人民が勝ち取ってきた権利としての法は、正しく弱者のために進化してきた。それはある意味で無駄な投資だろうし、弱いものを生かすのは類人猿の慣わしといってもやはり地雷で怪我をした仲間を庇うように非効率だ。講義中、自分の頭が幼かった頃の認識にずれていくのを感じたが、でも裁判官って大変だな、と思うだけに留まった。
しかし、今日のバイトでパンを切りながら悶々と昨日の話を考えて、なぜかと言うと裁判官がカッコよかったからだが、司法試験に落ちることもせずに法学徒でしたと言うのか?LINEでお父さんも数学がないから出来るかもよ!応援するよ!と言ってくれて、そんなこと言われてしまったらやりたい気持ちはあるのだから甘えたくなってしまう。しかし、司法試験は生半可じゃうまく行かない。失敗すれば家に負担をかけた上に自分には何も(勉強は無駄ではないかもしれないが)残らず、文系高学歴ニートとかいう使えねー人材の完成になってしまう。そうなってもなおやるんだ!という度胸は迫られて産めばあるが今はない。
そこまで考えて、これまでならじゃあ諦めるか?となったのだろうが、それを既に経験した身として、成長して考えることは、裁判官や弁護士でないと法律で弱いものを助けられないのか?違うよな、ということだ。そう、今目指している労基はまさにそういう職業で、警察権的には科料しか課せない「大層な職じゃない」ことも知っているが、やはり入った場所がガンガンクリーンになっている事実がある時点でも、弱者を救ける職業なのは間違いがない。ずっと考えていたことだが、それが歩んだ道の正当化としても、医者は死ぬ人間を延命する、でもどうせ癌で死ぬ、風邪薬の処方、耳鼻科。でも労基は死ななくていい人間とその周り諸共を土台から救える。法の基盤は教育で、子供たちを取り巻く環境なのは高校の時に考えていた。それすらも私の活動が整えることができる。厚生省の自殺率、女性進出の兼ね合い、日本の経済、将来の悲観、生活保護、全部好きなテーマというか、そうでなくても小一時間語れはする。これが興味収入時間が揃った天職というもので、あちらから来てくれた形だろうし、もしこれが私の終着点になるなら、一生を通してが良い物語になるだろう。
出世コースが全国転勤、楽に生きたいからそんなことやらないよなんて思っていたが、やりがいがしっかりあることに気づいた。未来は明るいと思う。昨日の話を聞いてよかった。じっさい法学も私も弱いものを救うのが正しいと信じていた。私はまだそういう正義を語っていいところに居られて、真っ直ぐ成長できる。人に教えられるんじゃなくて自分で気付けて良かった。今でよかった。最近は特に過去の自分と繋がるものがないと思って、でも出来ないから焦って要らないことに時間を割いて安心させようとしていた。私は夢を諦めてやり方をちゃんと知って、それを踏まえて物を見ることができる。目指す姿は変わらない。やっと過去を肯定できた。やることも変わらない。
司法試験をやろうとする気概があるなら、きっと努力するだろう。

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