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好きな女キャラの話

 私はよく性別のない男キャラを好きになる。「中性的」ではない。性別としては男に生まれたが、存在がノンバイナリーというか、自分の軸を持ち過ぎているあまりに、既成の枠組みから外れているキャラクターだ。もちろん女の場合もあるが、体重が重く力が強いという共通点があるので、男キャラに傾向が寄る。
 彼らは自分のやりたいことだけに熱中するため、ある意味孤独な立場にあり、人知れず恨みを買うこともあるが、楽しく生きることを忘れない最強ポジティブ人間である。心体共に最強。剛と靭の共存。なりたいなりたい!
大体作品内では「集合絵では主人公の3列後ろにいて、ストーリーでこのキャラにスポットが当たることはほぼないが、作品を知らない人もミーム的にこのキャラは知っている」という立場になりがち。知名度の割にファンアートの数が少ない。……前置きの長さじゃない、本題に行きましょう。

 先日YouTubeをいじっていたら気になるサムネがあり、キタニタツヤの「ずうっといっしょ!」を聴いた。なぜ色黒の少女の笑顔と不穏そうな題名に惹かれたのか、ヤンデレ自滅系の歌詞を読んで分かった。
「エスメラルダだ……。」

 小説の登場人物をキャラクターと言っていいかは曖昧だが、皆さま「ノートルダム・ド・パリ」のエスメラルダという美人すぎる移民の踊り子は知っていますでしょうか?
最近始めた就活の自己分析の流れで、自分の好きなものを拾い集める作業をしているのだが、上述した心体ゴリラとは別に、好きだった概念を思い出せたのだ。

 「ジプシーの娘には必要なの、大空と恋とが!」という絶望的状況で繰り出されるセリフの、濃い青と熱い桃色のコントラストに引き込まれ、彼女が飼っている金色のツノのヤギまでもが神秘的に思えた中学時代……。栗色の巻き毛とタンバリン、細くすべやかな手足に憧れたものだ。

 彼女の概要を述べると、美人すぎる踊り子かつ、本作の全ての元凶である。こいつが悪いとは言わない、悪女では全くない。でもとても自然に純粋な少女の残酷さを持っており、他人を毒牙にかけながら自分のことも殺してしまう。ただユゴーの描くパリの下町ならではの、誰も主人公になれない運命を一身に受け、「幼い少女は救われる」という小説家のセオリーを自らブチッと引きちぎったキャラクターだ。
ある男には魔女、ある男には聖女であり、ある女には神の化身であるエスメラルダ……。
その他の人にはなんでもない見せ物でしかないのだが。そこも、とても、いい。

 もちろん、同作品で好きな男キャラは不良少年ジャンフロローである。グランゴワールも好きだ、特に王様に媚びへつらう下りとか読んでいてめちゃくちゃ元気になってしまう。   
 話は戻るが、残酷な少女が出てくるお話は規制的な意味でもあまり多くない。感化されて痴人の愛もロリータも本棚にある。私がそういう犯罪の嫌疑をかけられたら、数ヶ月の勾留は免れないだろう。でも私が好きなのは彼女ら自身ではなく、作品に与える影響、記号的意味のほうだ。
笑ってみせた歯や舌に柔かな陽が当たるのを見ていたら、向かって踏み出した一歩に真っ黒な泥沼が広がっているのはロマンじゃない?どう?彼女無自覚なんだよ、苦しんでるのはお前だけ、沼地に沈み切ってしまった向こうで、白い光の中にステップを踏んで溶け込んで行く栗色の巻き毛……。たぶん1番神に近い存在だ、残酷さも神聖さも。

 そういうのを「ロリータ」というらしいですが、エスメラルダはただの神聖ではなくて、そこらの少女と格別に違って、自らも沼地に引き摺り込まれているんですね。足掻いて絶望を繰り返す中で、しっかり心に握った「大空と恋と」が昇華される様をグレーヴ広場でご覧ください。

 なんて、「ずうっといっしょ!」を聴きながら、胸が締めつけられるような気持ちで思い出している。エスメラルダはユゴーの社会派ロマンが作り上げた理想的な精霊であると評そう。作者がユゴーより優れていても誰であっても、彼の踊り子をつくりだすことは出来なかった。「ノートルダム・ド・パリ」という本の上で、炎といっしょに踊っているのがすぐ視えるようになるだろう。

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