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圧倒的避暑体験 二重人格的福島旅2日目【専業旅婦は日本だって旅する その12】

連日35℃の猛暑の今、先日の事を思い出す。
間違いなく圧倒的に涼しい?いや冷たいだろう。あの冷気が今ここにほしい。
何度か行ったことのある湘南江ノ島の岩屋と富士山の氷穴(直線距離でも80km)が繋がっているという言い伝えがあるのだから、ここと自宅の敷地のどこかが実は繋がっていてくれないかと妄想する。

閉所恐怖症だ。
布団むしにされたらと考えただけで、叫びそうになるし、旅行が何より好きなのに、電車<高速バス<飛行機 の順で苦手になっていく。電車やフェリーに乗るのなんか相当好きだが、結局選択肢として現実的である飛行機は、高所というより閉所の恐怖がまさってしまう。
狭いところでちんまり過ごすのはいいが、それが密閉度の高いところだと胸苦しくなって飛び出したくなる。

なのに洞窟探検にそそられるのは、小学生の頃読んだ本世界への憧れに違いない。
学研こども百科にのった秋吉台の鍾乳洞の写真に惹きつけられ、小学校の図書館でハマったジュール・ベルヌの「地底旅行」が面白くて何度も読んでいた。子どもにも読ませたくて文庫本を買ったが、興味外だと言われ、結局自分でまた読んでワクワクした。
他にも小学生の時の記憶がかすかにあった本で、10年ほど前保護者として小学校の図書ボランティアで見つけたのが確かこれ。

これは古本市場に出ていた本の写真だが
そう この地図に最高にかき立てられた

除籍本だったが廃棄前に読んでいいと許可をもらい、昭和50年発行の古い本を再読した。ストーリーは忘れていたが、当時のワクワクの覚えがあった。
子どもの頃期待して連れて行ってもらった当麻鍾乳洞(旭川近郊)は、今サイトを見ると白い鍾乳石がたくさんのハイレベル鍾乳洞だが、当時は予想より範囲が小さくすぐに見終り残念だった。もっと命懸けの冒険をするのを夢見ていたのだ。

次に行った鍾乳洞はそれから10年後の学生の時。一足飛びに中国 広西壮族自治区  南寧 近くの 伊嶺岩景区(だというのを今知った)で、大きいには大きいが、鍾乳石に直接原色のペンキを塗り、渾身の力を込めて折ろうとしている現地の見物客に度肝を抜かれたことしか覚えていない。
20世紀中見た鍾乳洞はこれくらいかも。
その後、子連れで日原とか玉泉洞、石垣島には行ったが、きちんと整備されていた印象だ。

1985年の中国の鍾乳洞入口
どこまでも大味で自然の景観など全く大切にしていなかったが
今はどうなのだろう
壁にこんなこと書いちゃってるし

福島県には有名な あぶくま洞 がある。前哨戦として最初に訪れる。
一般コースに加えて約10分のエクストラ探検コースももちろん堪能。
あぶくま洞は王道と言うべき見応えのある鍾乳洞だ。

あぶくま洞の中も十分に涼しい。年中15℃の避暑地。そしてすばらしい。探検コースはかがんでくぐったり狭くなったりで、なかなか冒険心を満たしてくれる。コウモリもいる。ライトアップされた圧巻の大きなホール状の滝根御殿もある。ここは自然ながら絢爛豪華だ。
多分小学生の頃これを見たら満足して、後々それを思い出して冒険妄想を繰り広げただろう。

見上げるような大ホール


だけどこれを前哨戦と言うだけあり、今回最終目標である 入水鍾乳洞 はさらにステージが上がる。

入水(いりみず)と読むことに気づいたのは、来る直前。入水(じゅすい)と読んでいた。
じゅすい とくれば自殺の手段に使われる言葉だが、それに準ずる覚悟までしていた。
初めはガイドがつくCコースを目指していたのだ。

要予約のCコースは月イチ5名までの1グループ限定
当然埋まっていました

どうもBコースでも十二分に難易度高そう。

濡れてもいい服装、サンダル、頭を覆う帽子、首からライトを下げた初老二人組が年甲斐もない感じで出発。張り切って先頭をいく私。

Aコースは、先の堂々あぶくま洞より狭く手すりや足場や照明なども最小限とは言え、まだ余裕のよっちゃんで進むことができた。
洞内滝の迫力の音が効果音として最強だ。滝というとマイナスイオンや癒しを感じそうだが、ここで聴くと悠長な感じではない。生死を分けかねない響き。
いいぞいいぞ。相当いいぞ。
「停電した場合 職員が来るまでお待ちください」という看板には有事下的スリルを感じる。

いきなり狭い

ここから先はBコース
足を踏み入れた途端ぐっと難易度が上がった。確か先にチケットを買っていたはずの一人の男性。入洞タイムにそれほど差がないにも関わらず、もうリタイアして引き返してくるじゃないか。多分Bコースに入って10メートル程しか進んでいなさそう。
「冷たくて無理だった」と声をかけられた。

そう、Bコースからはほぼ常に足元は流れる水の中。そしてそれは10℃以下なのだ。
痺れるようだ。
そしてそこから先、折り返し地点のかぼちゃ岩まで、ほぼ照明はなく、自分で持つライト以外全きと言える暗闇の中を進むことになる。
のっけから不安だが、いずれ冷たさに足が慣れると言い聞かせる。
ヘッドライトの方が良かったかも。首からぶら下げ式だと動く度に揺れてしっかり前へ固定できないし、手に持つと片手がふさがる事を意味する。スマホだとこんな色んな体勢で潜り抜けるのには適していない。
ここでは色々な物のレンタルや販売はあるので、手持ちの物で心配なら揃えた方が良さそう。リーズナブルだし。でもロウソクだと片手ふさがるのと後の胎内くぐりとかではあまりに一人だとスリルありすぎかも。
Goproを首からぶら下げて撮影していたが、ほぼ真っ暗な中時々ライトに照らされた岩が映るばかり。自分の「ひゃー 冷たーい」という悲鳴が主で、撮れ高も何もあったもんじゃない。

水音も行きには不安を煽る効果音に聞こえ、水深がグッと深くなり“冷たい”に“深い”の不安が加わり、幅は狭く上は迫ってくる。相当進んだ気がするが自分がどこにいるのかよくわからない。

第一胎内くぐりで、向こうから戻ってくる一人の若めの女性とすれ違った。
「この先まだまだあるんですか?」
と聞いてみる。どうもまだまだ続くらしい。
胎内くぐりとしたら、逆子の姿勢で足から狭い岩の隙間を抜けたが、試練は続く。

というのは第二胎内くぐり、またその前後やたらと四つん這いでなければくぐれない難所が続くのだ。(もちろん下は川に浸かった状態) それがどれくらいの長さなのかも真っ暗で曲がりくねってわからない。その代わり抜けた時はホッとするが次また次だ。
ここで上の全体図を記憶しておかなかった事を悔やむ。どこまで行けばゴールで折り返せるのか、どんな所を通るのか、ちょっとでも見当がつけば気持ちは違っただろう。自分がどこにいるのかさえわからないと不安でしょうがない。
思春期の苦悩みたい。

一番深い所まで来たのに
折り返せるのと久々の照明に安堵

連れがいた事で何とか最終折り返し地点まで着くことができた。
これは労わりあい協力しあった訳ではない。
ほぼ真っ暗な動画だけど、音は入っている。終始「自分はまだ大丈夫だけど、そっちが無理そうなら途中で戻ってもいいからね」的スタンスだ。お互いに。自分から認めて諦める姿勢は見せずに声をかけあっているので、ちょっと意地を張って優位性を見せようとしていたらたどり着いた感じ。
 
同じルートで同じように狭く冷たいけれど、帰りは通って来ただけあって短く感じる。

フラッシュ撮影したこの色だと
喉頭鏡で喉を見ているみたい
堂々たる妖怪感

とてもとてもやり遂げた感はあった。
ここでもらった割引券ですぐ近くの 星の村ふれあい館 の大浴場で凍えた体を温める。外気温に関わらず温まりたいほど体が冷えたのだ。そして洞内では生きて帰れるかがよぎるほど肝も冷えた。
圧倒的な避暑だった。

歴史的建物とダリの作品鑑賞の1日目。
鍾乳洞堪能しまくりの2日目。
それぞれの興味が乖離して二重人格的なコースになったが、それに付き合うのも悪くない。連れ合いは洞窟など何の興味もないと言っていたのに、今度は龍泉洞に行きたいなどと言う。

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