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妄想昭和歌謡 ら 「ラヴ・イズ・オーヴァー」 欧陽菲菲

昭和58〜59年(ヒット) 54年(初リリース) 歌 欧陽菲菲 作詞作曲 伊藤薫

誰が聞いても名曲だろう。

多くの歌うま勢がカバーしている。
やしきたかじん、内藤やすこなど多くの歌手がシングル出して売れている。
動画を見れば美空ひばり、西城秀樹、小柳ユキ、はいだしょうこ、宮迫博之などの歌唱力ある人のカバーが次々出てくる。
皆大変うまいのだが、どうしてか欧陽菲菲に敵わない。

それは歌だけではなく、年下の多分ダメンズ予備軍または勢いにまかせた青いお坊ちゃんの男と離れる決心をした女の寂しさや毅然とした強さやなんかが、歌と一体になって彼女から醸し出されるからだ。
小泉今日子の なんてったってアイドル みたいな歌詞と歌い手のシンクロ率だ。

ものすごく上手いのだが他の歌い手だと、何だか完全に男を凌駕してしまう存在であったり(美空ひばり)、ハスッパな部分はなかったり(はいだしょうこ)、本人は絶対身を引くイメージがないので技巧部分が押し出されたり(宮迫博之)してしまうところがある。
欧陽菲菲版に一番イメージが近そうに思うのは内藤やすこで遜色はないのだが、ほんの少し業が深い感じがあるのと、

お酒なんかでごまかさないで

と歌った時「いやいやそれ自分の方でしょ」とツッコミたくなる雰囲気が漂うから、やっぱり本家に軍配をあげたい。

本人の雰囲気を含めての ラヴ・イズ・オーヴァー だ。その雰囲気にはこの無駄に美脚も含まれるしヘアスタイルも含まれる。スラっとした脚と 80年代の シンディ ローパー や チャカ カーン アンルイスみたいなボリューミーなヘアスタイル。これあってのこの曲だ。

普段の欧陽菲菲のトークとかキャラとかは、お茶目で勢いのある感じだった。このバラードとのギャップが更に良さを出している。

改めて調べて初リリースと記憶にある時期に4年のズレがあることを知る。
ラヴ・イズ・オーヴァーをざっと年表にすると

昭和54年 シングル 『うわさのディスコクィーン』の🅱️面としてリリース
  55年 
🅰️面としてシングルリリース 
      (B面は へんな女の独り言
😳という曲)
  57年 B面同曲のカラオケというセルフカバー版リリース
  58年 ジャケット変更してリリース さらに多くの歌手のシングル競合となる

となる。
B面として出てからこれだけ広まってついには大ヒットとなるには、この歌の隠しても隠しきれない底力と、欧陽菲菲自身が衝撃を受け各場所で歌い続けたことが理由だろう。

そうだよね。
虫垂炎で手術した友達を見舞って

あーしは はんたを 忘れはしなっひぃ〜

と物真似をして見せたら、術後の痛む傷口を押さえて
「腹いて〜こんな時によくも笑わせて〜」
と後々まで恨まれることになったのは、昭和58年頃だったはずだ。
いや、「するってえと何かい?おまえさん」とおかみさんを演る落語家の物真似だったか?
全く私は何をやっていたんだろう。

物真似はしたが、この歌の意味を実感持って受け取れるには当時まだまだ若くて青かった。
若いうちは暴力的にでも好きの維持を求めて、自分には相手の未来なんて考えられなかった。
もっと大人になって意味が迫ってきた。
きっと最後の恋だと思いながらも相手の未来を考えて辛くても突き放す。
そうしながら 
誰に抱かれても忘れはしない 
という究極の愛の言葉がある。

でももっと歳をとったらこう読み取ってしまう。
年上で色々あっただろう女には、相手との行末が見えてしまう。
今はこんなにイノシシみたいに突き進んで愛してくれるけど、きっと終わりに向かうだろう。このままいくと好きになった分更に辛い。そして傷つく自分に耐えられないであろう。ならばこのピークで別れてあんたに決定的な愛情の刻印を押してしまおうという魂胆。
自分を保つためにそうする部分がちょっとはあろう。でもそれくらい許してほしい。最後の恋は一定の年齢になると致命傷になるのだ。

初版ラヴ・イズ・オーヴァーを🅱️面に差し置いたこの曲、今だと誰もが首をかしげるだろうが、昭和54年(1978年)という時代背景もありそう。前年に世界中にディスコブームを巻き起こした映画 サタデー・ナイト・フィーバー がヒットしたのだ。日本のディスコは邦楽ではなく徹頭徹尾洋モノのビートで踊っていたが、80年代90年代でもアジアの他の国のディスコでははその国のポップスをかけて踊るのが普通だった。だから、台湾や香港ではそれなりに売れたのもうなずける。
そして当時のディスコの客層と、欧陽菲菲の客層は違うだろうから、「ディスコクィーン」というのはナウでヤングな感覚で、年齢層高い人はあやかりたいと思ったかも。

ところで、同じ中国系と言っても、陳美齢は アグネス チャン、鄧麗君は テレサ テン、翁倩玉は2歳で来日して帰化もしているが ジュディ オング の名で日本で活動している。
その中で堂々の 欧陽菲菲と書いて オーヤンフィフィ である。昭和世代の人なら必ず読めると思う。この読みも含めて日本人に浸透させた威力はすごい。そして中国系では少ない二文字の姓である。
万国受けするような英名+カタカナ表記にしなくても、歌と存在も名前も全部ひっくるめてそのまま浸透させてしまった存在感は大きい。

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