妄想昭和歌謡 ふ 「冬のオペラグラス」新田恵利
昭和61年 歌 新田恵利 作詞 秋元康 作曲 佐藤準
令和ロマンの漫才に、AKBはじめ今昔のアイドルグループの歌を、作詞の秋元康本人が歌っていると想像し、身悶えする、というネタがある。
中でも一番のキモさを醸すのは “おニャン子クラブ” の「セーラー服を脱がさないでだ。
クルマが何度もリフレインして歌う
♫友達より早く エッチをしたいけど
のフレーズを、秋元先生を思い浮かべるケムリが気持ち悪がる。
驚いた。
だって私には昔からこの歌が、秋元康の顔と共に鳴り響いていたのだ。
逆にあの小太りの人物を思い浮かべずに聴いている人がいるとは思っていなかったからだ。
「夕焼けニャンニャン」「おニャン子クラブ」はその時代人気があったとされるが、実際今なら「非モテ」とされる中高生男子がその中心であり、ましてや女性ファンなど皆無だったように思う。
そこが今のアイドルとは違う。
これは私が初期メンバーよりちょっと年上で、アラが見え心底どうでもいいと距離をおけたからかもしれないし、平日夕方にTVを見ていられるターゲット相がそもそも限られていたからもあるだろう。
当時「ニャンニャン」という言葉は 〜する をつけて動詞化され、性行為を意味する前提があった。「おニャン子」なんて、素人っぽい女子を性の対象として扱うと公言しているようなものだ。
10代の子をそう扱うのも、それを察しつつも知らないふりしてアイドルになるため厭わない本人達もどうかと思った。
当時番組レギュラーの“とんねるず” が苦手だったのもある。女性に対しての嫌〜なスタンスが石橋貴明に顕著だった。イジリの名を借りれば女子にあからさまな雑な扱いをしていいと勘違いした男子が当時それにならって、それは平成に持ち越してしばらく続く。
だから国民全体の中でのファン比率は低いはずだ。
なんせ女にとっては「は?」だし、男であっても恋愛経験ありそうな年代や種類の人には響かない。
当時だってアイドルは他にたくさんいる。中山美穂は美しく、小泉今日子の可愛さ自由奔放さは光っていて、中森明菜は表現力や雰囲気を持っていて魅力的なのに、わざわざアレを応援しなくてもいいような気がするが、「親しみやすい」「クラスの女子の人気投票の延長」という別の角度でのアソートパックが良かったのか?
あ、いたわ そう言えば。
実習中の小児科病棟で夕方からの「夕焼けニャンニャン」が見れない事を嘆いていた難病入院中の18歳男子が。そうだよね。昭和にはリアルタイムTVが主流。
そうか、幼児が「おかあさんといっしょ」を見てる時間に思春期男子が「夕焼けニャンニャン」を見ていたとすれば、“テレビに子守りさせる” の延長線上か。
私がおニャン子メンバーを目にしたのは86年まで、それもたまたまなので、初期メンバーについてしか感想はない。しかし比較的容姿の整った河合その子は表情がないし、ニャンギラスは色物と割り切るには素人感が気の毒だし、セーラーズの服はスタイルの悪さも隠せるデザインで良かったね、としか思わなかった。
今試しにアップされてた夕焼けニャンニャンのプール編を見たら、画質悪いのに腕毛ボーボーがはっきりわかる幼児体型のメンバーが映って、令和には相当キツイ。
人気No.1と言われる新田恵利のことはベストテン番組でのこの「冬のオペラグラス」で初めて知った。
友達と部屋で進まないレポートを書いていた時、気晴らしにつけたテレビで彼女が歌い出す。地味な外見と衝撃の下手さに、顔を見合わせて、言葉を失い、身をよじり音量を下げる。
ハウリング音並の不快さに。
初めて聞いた和田アキ子が
「テレビ壊れたかと思った」
と言ったというように、単に歌が下手というより、音とか声が何か根本的に間違っているような感じ。
今でも怖くてYouTubeの埋め込みさえためらう。
だから令和ロマン。
歌が下手と言えばそれ以前の筆頭は 浅田美代子 と 風吹ジュン だった。(能瀬慶子はそこまでブレイクなしだし)
確かにとても下手。声も出てなきゃ変に裏声、音程フラフラだ。二人とも。
でも浅田美代子の可愛さは少女や年配者にもわかったし、風吹ジュンは童顔でセクシーで、「歌わせなきゃよかったけど、かわいいからまあいいか」とみんな温かい目で見た。見てるうちに演技派女優になってくれた。
新田恵利は「朝ドラ あまちゃん」で 歌が下手の例えで自分の会員番号が引き合いに出されたシーンを見て
「私のこと~?そりゃ、確かに上手いとは口が裂けても言えないが…私とどっこいどっこいのメンバーは沢山いたぞっ! なのに、何で私なの!? 27年経っても官九郎さんの中での歌が下手なおニャン子は私なんですね、とほほ」
と言っている。(←ブログより)
自覚のなさに驚く。ぶっちぎりで歌手の態をなさないレベルが、上手くはないけどみんなどっこいどっこいって。そりゃグループ内ではそうかもしれないけど、歌番組に出て他の歌手の歌とは比べないというのにも。
当時、先の小児科に入院中の女子中学生が
「新田恵利クラスで人気ある」
というから
「いったいアレのどこが?」
と詰め寄ったら
「笑うとかわいい」
のだという。そもそもそれくらいの年代の子のほとんどは「笑うとかわいい」ものなのだよ。だから
「どう見てもMちゃん(その女子中学生本人)の方がかわいいと思う」
と言うと、ひどく恥ずかしがってしまった。実際Mちゃんはバセドウ病コントロール入院ということもあるが(バセドウ病はえてして目が大きくなり肌もしっとりして美人病と言われることもある)、知的なかわいらしい子で、新田恵利よりはるかにいい。でもクラスの男子には
「お前なんてダメだ ブス」
的な事を言われたそうだ。昭和男子中学生は素直じゃないからだよ、それは。
彼女と同じような顔の系統として今ならヒコロヒーさんもいる。ちょっと劣化させれば小室佳代さんの若い頃とか。でも前者は圧倒的に才能あるし、後者は後に度肝を抜かれるモンスター感を知るので、中高生には手に負えないだろう。
新田恵利の事を今調べると、結構壮絶なその後であった。
おニャン子時代に父親が急逝し、直後の初海外ロケでは高熱で倒れて入院し、その後芸能界で生き残ったというには「懐かしの」がつく微妙な扱いだし、長期の不妊治療、長期の実母の自宅介護。自身は脳動脈瘤により手術を受け、現在夫は闘病中。
しかしネット越しだが彼女の姿は重苦しくも病んでいるようにも見えない。極端にバランスを崩したり何かの境地に達した感もなく、飄々と乗り越えつつ昔より魅力的な笑顔で写っている。芸能界に残ってるイジったり抗ったりし続けた同世代よりはるかに素敵に思える。
地域の学校PTAの保護者で一番波風を立てずに回してくれそうなタイプ。
そこでようやく気がつく。
放送事故並に関わらず、歌がヘタと言われても「他も同じようなものなのに」程度に受け止めてる自己評価の高さ
これはパートナーに持つとすごい武器だ。身内のジャッジが厳しいとくつろげない。
取り立てたものがなくとも、あまり深刻に打ち込んだり極めたりせずかつ逃げずに対応してくれそうな普通さが、実生活ではこの上なくありがたい。長期の自宅介護をしていた姿も現実感伴って敬服。
実際は飄々としているように見えて、見せているだけかもしれない。
心中色々あろう。あって然るべきだ。
しかし荒波も危機も当然あるだろう人生の伴侶として、深刻さや不安定さを表に出さず乗り越えて、こういう笑顔を見せられるのは得難い魅力だ。
昭和終わりの中高生男子は、こういう普通の人生にふさわしい伴侶の匂いを嗅ぎつけていたのか?
令和ロマンから派生して、当時一つもわからないしわかりたいとも思わなかった、新田恵利の人気の理由が今ならちょっとわかるに至った。