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「じゃない方」のジョージアは「の方」のジョージア 出発【専業旅婦はジョージア🇬🇪を目指す 1】

この地を旅行することを望んでいたはずだ。

7年前、東京国際映画祭で何気なく見た 一本の映画

泉の少女ナーメ(聖なる泉の少女 にその後改題)

そこで描かれた、どことも違うが根源的なところで郷愁をかきたてられる映像に、ストーリーに、どうも惹かれてしまった。
ジョージアが旧グルジアであることも見終わるまで知らず、知った途端に憧れ始めた。

自身の旅行歴からみれば7年は新参と言えるが、かつて狂ったように旅行していた土地は最初から望んだというよりあくまでいきがかり上で訪れたのが初めであり、それがどうにも忘れられない執着に転じたものだった。
一度行くと「今度はこういう風に」「あっちにも」みたいな欲が出るタチなので、初めてのところに自分から湧き上がるような気持ちで行きたくなったという経験は、実は初めてなのかもしれない。

ジョージアに関して知りたい思いがつのり、検索してもまず最初に出てくるのはコカコーラ社の缶コーヒー。そうじゃない。
地名として行き方や見どころを調べても、まずアメリカのジョージア州が先に出てくる。そりゃあ、40年前レイ・チャールズの Georgia on my mind を聴いてジョージア州を故郷に持ちたかったとは思っていたけれど。
旅行友達にも言ってみる。ジョージアに行きたいと。大抵アメリカ?と意外そうにする。インドのグジャラートとか内モンゴルとかならすんなりわかってくれそうだが、私はグアム ハワイなども含めてアメリカ領には一度も行った事がないのだ。
違う。私が行きたいのはそっちじゃない方なのだ。一般的にまず「じゃない方」とされる方こそ「の方」なのだ。

結論から言うと本当に面白く楽しい旅行だった。
夢のようだった。
しかし帰国から3週間たっても、どこか自分と地続きである感じが希薄なのだ。
そのくせ面白く美しい所を旅行した感とは矛盾しない。
改めて本当に「夢の(中の)よう」なのだ。

旅行中実は何度も思い出してしまった昭和歌謡がある。
どうしちゃったんだ、昭和とも歌謡曲とも無縁な土地なのに、と思い出しながら首をひねっていたのだが、理由に思い至った。

♫ おしえて ここはどこ 私生きてるの?
♫ 天国に手が届きそうな 青い椰子の島


このフレーズは 天国のキッス 松田聖子の昭和58年の歌だ。
って41年前?
いったい何なんだと思いつつ、ジョージアにいる間「おしえて ここはどこ?」そのものの気持ちが湧くし、椰子の島ではないけれど青い空の下天国に近い感覚が湧く。


おまけにサビの部分「KISS IN BLUE HEAVEN」は、初日トビリシの丘の上を散歩中にとびきり大きなくしゃみを響かせた連れに「BLESS YOU!」の声がかけられた記憶が相まって、自然と「BLESS IN BLUE HEAVEN」に変換され、ジョージア滞在中なぜか頭の中で響いていたのだった。

なぜだろう
なんだろう
この感覚は

それは遠いという事があったのかもしれない

日本🇯🇵とカタール🇶🇦の時差は6時間
苦手とする夜行便で羽田を後にし、ドーハ空港で乗り換えてトビリシについたところで私の精神的連続性は寸断されていた。

ドーハまでカタール航空はJALとのコードシェア便
無印カレーの機内食を食べながらインド映画を観る


ドーハ空港でこういう不思議な像を見て精神の連続性を失ったのか?


一晩かけて6時間分西に来たはずが、ほぼ真北に位置するジョージア🇬🇪との時差は5時間。
実際の時差の感覚はもっと開いていても良さそうで、朝7時でもまだ暗い。
でも日本とは随分違うところだけど、カタールより1時間分はゆうに色んな事が日本にも近いような気がする。

15日間の旅行中、ようやく実感が湧いたのが優に1週間は経ってからだった。
旅も半分過ぎてだ。
この7年来てみたくてたまらなかった、夢に近い憧れを抱いていた国、ジョージア。
それは一方的で突発的な感情だった。
憧れているくせに、地図上でもどこに位置しているか毎回迷う。
憧れのきっかけだった映画の世界とは別物であろうとはわかっているが、じゃあどんなところかというイメージもないままだった。

帰ってから10日で岩手県3泊4日の旅をして、ふと気づく。
今までのほぼすべての旅がどこか地続きなのは、自分の中の記憶や思いを掘り起こす旅だからだ。
初めての土地であってもどこか過去の自分の記憶や思い入れが見え隠れする。
それは懐かしさ感慨深さも含んだ楽しさではあるが、なまじ自分と同じ物を持つのでそのセンサーが精密になってしまう。だからちょっとした裏寂しさや作り物感なども若干感じることとなる。

しかしジョージアの旅はものの見事に新しく刻む旅だった
目にする物口にする物
路上ミュージシャンの歌
丸っこい字や知っている言語とは違う響きの会話
それらが新しく刻まれつつ、実は知っている物と繋がる懐かしさをも掘り起こす。

もう若くなくなっても、新しい事を刻むのことは旅なら容易だ。
刻んでいくうち、またどんどん地続きのものにいずれなっていくのだ。

行きと帰り飛行機での移動でほぼ丸1日
初めの4日を連れ合いと共にトビリシ旧市街
その後例によって一人残りカズベギ アハルツイへ
またトビリシに戻りソ連時代が色濃く残るあたり

この旅行
夢じゃなかったよね?
思い出していこう。

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