【読書ノート】詩学 (アリストテレス)

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第1章要約:
詩には叙事詩、悲劇、喜劇、ディテュランボス詩などの種類がある。これらは模倣の形式では共通しているが、模倣の対象・手段・様式が異なる。手段としては言葉・リズム・調べが用いられ、様式としては語りか劇の形をとる。詩人は性格によって高尚な人物を描くか卑俗な人物を描くかに分かれるが、どの詩形式も人間の行為を模倣するという点では共通している。

印象的なフレーズ:

  • "Epic poetry and Tragedy, Comedy also and Dithyrambic: poetry, and the music of the flute and of the lyre in most of their forms, are all in their general conception modes of imitation."

  • "the medium being the same, and the objects the same, the poet may imitate by narration—in which case he can either take another personality as Homer does, or speak in his own person, unchanged—or he may present all his characters as living and moving before us."

重要なポイント:

  • 詩の種類は模倣の対象・手段・様式の違いで分けられる

  • 詩は人間の行為を模倣するという点で共通

  • 詩人の性格により高尚な人物描写か卑俗な人物描写かに分かれる

理解度確認の質問:

  1. 詩の種類にはどのようなものがあるか?

  2. 詩の模倣の手段にはどのようなものがあるか?

  3. 詩人はどのような基準で分類できるか?

重要な概念:

  • 模倣(imitation):詩の本質。人間の行為を言葉などを用いて再現・表現すること。

  • ディテュランボス詩:ディオニュソス神を讃える合唱舞踊詩。激しい感情表現を特徴とする。

考察:
アリストテレスは詩の本質を「模倣」ととらえ、詩の種類を体系的に分類した。どの詩形式も人間の行為を描写する点で共通しているという洞察は鋭い。一方で、詩人の気質を「高尚」「卑俗」と二分するのは単純化しすぎているきらいがある。
とはいえ、模倣説は後世の文芸理論に大きな影響を与えた。「詩は人間の普遍的本性を描写する」という考えは、シェイクスピアなど近世の文学者にも共有されている。模倣を通して人間の真実に迫る。それが詩の使命だというアリストテレスの主張は、今なお示唆に富んでいる。多様な詩形式を包括的に論じた『詩学』第1章の考察は、文学論の古典としての地位を不動のものにしている。

第2章要約:
詩人は人間を現実よりも優れた姿で描写するか、現実よりも劣った姿で描写するか、あるいはありのままに描写するかに分けられる。この描写対象の違いが、悲劇と喜劇の相違を生む。崇高な人物の行動を描くのが悲劇で、卑しい人物を描くのが喜劇である。叙事詩においても同様で、ホメロスは人間を現実よりも理想化して描いた。模倣には語りと演技という異なる様式があるが、どの様式を用いるかは詩人の選択次第である。

印象的なフレーズ:

  • "The same distinction marks off Tragedy from Comedy; for Comedy aims at representing men as worse, Tragedy as better than in actual life."

  • "There is still a third difference—the manner in which each of these objects may be imitated. For the medium being the same, and the objects the same, the poet may imitate by narration—in which case he can either take another personality as Homer does, or speak in his own person, unchanged—or he may present all his characters as living and moving before us."

重要なポイント:

  • 描写対象の違いが悲劇と喜劇を分ける

  • 悲劇は崇高な人物、喜劇は卑しい人物を描く

  • 詩人は語りか演技かの様式を選択できる

理解度確認の質問:

  1. 詩人の描写対象にはどのような違いがあるか?

  2. 悲劇と喜劇はどのような人物を描くか?

  3. 叙事詩人ホメロスの描写の特徴は何か?

重要な概念:

  • 悲劇(Tragedy):崇高で理想的な人物像を描く詩。高尚な行動を描き、観客に恐れと憐れみを引き起こす。

  • 喜劇(Comedy):卑しく現実以下の人物像を描く詩。滑稽な言動を描き、観客を笑わせる。

考察:
『詩学』第2章では、詩における人物描写のあり方に焦点が当てられる。理想化か、現実化か、あるいは理想以下の卑俗化か。その描写対象の設定が、悲劇と喜劇という対照的なジャンルを生み出すとアリストテレスは論じる。崇高で高尚な人物像に観客が感情移入するのが悲劇の狙いであり、卑しい人物の滑稽な言動を笑うのが喜劇の狙いである。
この区分には、理想を追求する詩の姿勢への信頼が見て取れる。人間の優れた側面を描き、感銘を与えることを詩の使命と考えるアリストテレスの立場がうかがえる。同時に、喜劇にも一定の意義を認める柔軟さもある。
現代の視点からすれば、この区分はやや図式的に感じられなくもない。理想と現実、崇高と卑俗の対比を強調するあまり、人間の多面性が幾分捨象されている。とはいえ、悲劇と喜劇の違いを明快に定式化した功績は大きい。理想を描くか現実を描くかは、文学を貫く普遍的な二項対立と言えるだろう。

第3章要約:
模倣の様式には、語りと演技の違いがある。語り手が登場人物になりきるのがホメロスの叙事詩であり、登場人物を直接演じさせるのが悲劇や喜劇である。このように、同じ素材を扱っても、語るか演じるかで作品の性質は大きく変わる。ドーリス人は悲劇と喜劇の発祥を主張しているが、その根拠は言葉の語源である。だが真偽はともかく、様式の違いが詩の多様性を生んでいることは確かである。

印象的なフレーズ:

  • "There is still a third difference—the manner in which each of these objects may be imitated. For the medium being the same, and the objects the same, the poet may imitate by narration—in which case he can either take another personality as Homer does, or speak in his own person, unchanged—or he may present all his characters as living and moving before us."

  • "For the same reason the Dorians claim the invention both of Tragedy and Comedy. The claim to Comedy is put forward by the Megarians,—not only by those of Greece proper, who allege that it originated under their democracy, but also by the Megarians of Sicily."

重要なポイント:

  • 語りと演技という模倣様式の違いがある

  • ホメロスの叙事詩は語りの様式、悲劇と喜劇は演技の様式

  • 模倣様式の選択が作品の性質を左右する

理解度確認の質問:

  1. 語りの様式と演技の様式はどう違うか?

  2. ホメロスの叙事詩はどちらの様式か?

  3. ドーリス人が悲劇と喜劇の発祥を主張した根拠は何か?

重要な概念:

  • 語り(narration):語り手が登場人物の言動を描写する模倣様式。間接的な描写。

  • 演技(performance):登場人物が直接行動を演じる模倣様式。直接的な描写。

考察:
『詩学』第3章では、アリストテレスが模倣の様式に着目し、語りと演技という対比を示している。ホメロスに代表される叙事詩は、語り手が登場人物の言動を間接的に描写する。一方、悲劇や喜劇では、登場人物が舞台で直接行動を演じる。語るか演じるかは、作品の性質を大きく左右する選択だとアリストテレスは論じる。
間接的な語りは、登場人物に感情移入しにくい客観的な描写になる。他方、演技は登場人物の心情を直接伝えるので、観客はそこに感情を投影しやすい。語りは叙事詩に、演技は演劇に適した様式と言えるだろう。
ただし、二つの様式が截然と分かれているわけではない。小説など、語りの形式をとりつつ登場人物の心理を細かく描写する手法もある。逆に、ブレヒトの叙事的演劇のように、俳優が客観的な語り口で演じることもある。語りと演技の比重をどう配分するかは、現代の文学作品にも通底する課題と言える。様式を弁別したアリストテレスの考察は、文学理論の源流として、今なお示唆に富んでいる。

第4章要約:
詩作の動機には、人間の本能的な模倣欲求と、リズムや音楽を好む傾向の二つがある。初期の即興的な詩は、詩人の気質により悲劇か喜劇に分化した。悲劇は英雄の行為を描き、喜劇は卑俗な人物を揶揄した。やがて台詞が導入され、登場人物の数も増え、悲劇は完成の域に達した。喜劇はというと、obscenityを避けるようになり、整った形式を備えるに至った。叙事詩は重厚な韻律を獲得し、悲劇よりも壮大なスケールで人物を描くようになった。

印象的なフレーズ:

  • "Poetry in general seems to have sprung from two causes, each of them lying deep in our nature. First, the instinct of imitation is implanted in man from childhood, one difference between him and other animals being that he is the most imitative of living creatures, and through imitation learns his earliest lessons; and no less universal is the pleasure felt in things imitated."

  • "The successive changes through which Tragedy passed, and the authors of these changes, are well known, whereas Comedy has had no history, because it was not at first treated seriously."

重要なポイント:

  • 詩作の動機は模倣欲求と音楽的欲求

  • 詩人の気質により悲劇と喜劇に分化

  • 悲劇は英雄、喜劇は卑俗な人物を描く

  • 台詞の導入と登場人物の増加で悲劇は完成

理解度確認の質問:

  1. 詩作の二つの動機とは何か?

  2. 初期の詩が悲劇と喜劇に分かれた理由は?

  3. 悲劇が完成するまでにどのような変化があったか?

重要な概念:

  • obscenity:わいせつ、下品なこと。初期の喜劇は下品な表現を含んでいたが、後に避けられるようになった。

  • 韻律(metre):詩のリズムを整える言語の音の規則的な繰り返し。叙事詩は重厚な韻律を備えている。

考察:
『詩学』第4章では、人間の模倣本能と音楽的欲求が、詩の起源だとされる。子供の頃から備わるこの二つの本能が、詩的表現を生み出す原動力だというのは興味深い指摘である。
詩が悲劇と喜劇に分化した理由を、詩人の気質の違いに求めるのも示唆的である。崇高なものを愛する者は英雄の行為を描き、卑俗なものを好む者は凡人の滑稽さを揶揄する。悲劇と喜劇の対比が、人間の志向性の違いに根差しているという洞察は鋭い。
ギリシャ悲劇の発展過程の記述も充実している。台詞の導入により登場人物が増え、個性が際立つようになった。これにより、人物の性格と運命の描写が深まり、悲劇はより洗練された芸術形式へと至ったとされる。対する喜劇の歴史は資料が乏しいため、十分な考察はなされていない。
現代の視点からすれば、模倣説には疑問の余地もあるだろう。創作の動機を単に本能の発露と見るのは、芸術家の創意を過小評価しかねない。とはいえ、人間の表現欲求に詩の起源を求めるアリストテレスの考察は、文学の人間学的基盤を示すものとして、今なお一定の説得力を持っている。

第5章要約:
喜劇は性格の悪い人間を描写するが、あくまで笑いを誘うために滑稽な部分を誇張するのであって、完全に邪悪な人物を描くわけではない。喜劇の発展過程は資料が乏しく詳細は不明だが、シチリアのエピカルモスやフォルミスが重要な役割を果たしたようだ。一方、叙事詩と悲劇は、時の経過の描き方に違いがある。叙事詩は長大な年月を扱えるのに対し、悲劇は基本的に1日以内の出来事を描く。ただしかつては、悲劇でも叙事詩のように長期にわたる出来事を描いていた時期があった。

印象的なフレーズ:

  • "Comedy aims at representing men as worse, Tragedy as better than in actual life."

  • "Epic poetry agrees with Tragedy in so far as it is an imitation in verse of characters of a higher type. They differ, in that Epic poetry admits but one kind of metre, and is narrative in form."

重要なポイント:

  • 喜劇は人物の滑稽な部分を誇張して描く

  • 喜劇の発展過程は詳細不明

  • 叙事詩は長期の出来事、悲劇は短期の出来事を描く

  • かつては悲劇でも長期の出来事を描いていた

理解度確認の質問:

  1. 喜劇が描く人物の特徴は何か?

  2. 喜劇の発展に貢献した人物は誰か?

  3. 叙事詩と悲劇の出来事の時間的スケールの違いは?

重要な概念:

  • エピカルモス、フォルミス:シチリアの喜劇詩人。喜劇の発展に重要な役割を果たしたとされる。

考察:
『詩学』第5章では、喜劇と悲劇のさらなる対比が試みられる。喜劇は、悲劇が理想的な人間像を描くのとは対照的に、現実の人間よりも劣った人物を描くとされる。だが、単に人物の欠点を殊更に強調するのではない。あくまで観客を笑わせるのが目的であり、喜劇の誇張は、滑稽さの醸成に奉仕しているのだ。
もっとも、喜劇の考察は史料の制約もあり、十分に掘り下げられているとは言い難い。悲劇に比べると、内容の吟味は簡略的である。アリストテレスの関心が、もっぱら悲劇の分析に向けられていることがうかがえる。
一方、叙事詩との比較では、描かれる出来事の時間的スケールの違いが指摘されている。叙事詩が長大な時の流れを描くのに対し、悲劇の扱う時間は短い。だがその差異は絶対的なものではなく、相対的なものでしかない。アリストテレスも認めるように、悲劇の形式や規範は時代とともに変化してきたのである。
この点は示唆的だ。文学ジャンルの特性は固定的なものではなく、歴史的に形成されるものだというアリストテレスの認識が垣間見える。様式の規範を同定しつつ、その可変性を認める柔軟さ。規範と変化のダイナミズムへの目配りは、古典的な詩学の限界を超えるものがあるように思われる。

第6章要約:
悲劇の定義は、「完結した一つの行為の模倣で、一定の長さを持ち、洗練された言葉を用い、各部分に固有の様式を伴い、劇中で登場人物を演じさせることで、憐れみと恐怖を呼び起こし、感情を浄化する」というものである。悲劇の構成要素は、プロット、性格、言葉、思想、視覚的要素、音楽の6つである。このうち最も重要なのはプロットであり、悲劇は人物の模倣ではなく、行為と人生、幸福と不幸の模倣である。性格は二番目に重要な要素で、思想は三番目である。言葉は四番目だが、詩的技巧が発揮される分野でもある。視覚的要素は重要だが、詩人の仕事ではない。音楽は最も魅力的な要素だが、本質的ではない。

印象的なフレーズ:

  • "Tragedy, then, is an imitation of an action that is serious, complete, and of a certain magnitude."

  • "The Plot, then, is the first principle, and, as it were, the soul of a tragedy: Character holds the second place."

  • "Thought is required wherever a statement is proved, or, it may be, a general truth enunciated."

重要なポイント:

  • 悲劇は完結した一つの行為の模倣である

  • 悲劇の最も重要な要素はプロットである

  • 性格は二番目に重要で、思想は三番目に重要な要素

  • 言葉は詩的技巧が発揮される分野

理解度確認の質問:

  1. 悲劇の定義とはどのようなものか?

  2. 悲劇の6つの構成要素とは何か?

  3. プロットが最も重要な要素とされる理由は?

重要な概念:

  • カタルシス(catharsis):観客が悲劇を見ることで憐れみと恐怖を経験し、感情が浄化されること。悲劇がもたらす効果の一つ。

考察:
『詩学』第6章はアリストテレスの悲劇論の核心部分であり、悲劇の本質と構成要素が定義される。悲劇を「完結した一つの行為の模倣」とする定義は、極めて示唆的だ。登場人物の性格ではなく、その「行為」こそが悲劇の主題だという認識は重要である。人物を通して「行為」を描き、それが織りなす人生の悲喜こそを描くのが悲劇なのだ。
悲劇の6要素の位置づけにも、アリストテレスの洞察が表れている。プロットを「悲劇の魂」と呼び、最重要視する。ストーリーの展開そのものに悲劇の本質を見出す視点は、今日でも意義を失っていない。
性格や思想を、プロットに次ぐ要素と位置づけるのも納得できる。観客が感情移入する上で、登場人物の性格は欠かせない。だが、性格はプロットに奉仕する限りで意味を持つ。教訓的な内容を説く「思想」にしても、劇的展開の必然性を補強する限りで重要なのだ。
言葉は詩的な洗練が求められる分野だが、視覚的要素や音楽は本質的な要素とはみなされない。これらの演出的要素への関心の薄さには、文学中心の芸術観が垣間見える。
全体として見れば、行為の模倣としての悲劇という規定は、きわめて洞察力に富むものだ。だがその代わり、言葉や視覚、音楽の要素の重要性が過小評価されているきらいもある。行為と性格だけでなく、言語表現や舞台の総合的な効果にも目を向ける必要があるだろう。とはいえ、悲劇の本質をプロットに求めるアリストテレスの考察は、文学理論の金字塔として不朽の意義を保っている。

第7章要約:
悲劇のプロットは、完結した全体であり、一定の長さを持つべきである。美しさには適度の大きさが不可欠で、あまりに小さくても大きくても、全体を一望することができない。生き物や物体と同様、プロットは素材を秩序立てて配置し、必然性や蓋然性に従って部分を構成しなければならない。詩人の仕事は、起こった出来事を語ることではなく、起こりそうな出来事、つまり必然性や蓋然性に基づいて可能性のある事柄を語ることである。歴史家が個別の事実を扱うのに対し、詩人は普遍的な真理を扱う。優れたプロットは単純で、登場人物の性格が一貫しており、驚きの効果を生み出すべきである。

印象的なフレーズ:

  • "A whole is that which has a beginning, a middle, and an end."

  • "As therefore, in the other imitative arts, the imitation is one when the object imitated is one, so the plot, being an imitation of an action, must imitate one action and that a whole, the structural union of the parts being such that, if any one of them is displaced or removed, the whole will be disjointed and disturbed."

  • "Poetry, therefore, is a more philosophical and a higher thing than history: for poetry tends to express the universal, history the particular."

重要なポイント:

  • プロットは完結した全体で、適度な長さが必要

  • 構成要素を必然性・蓋然性に基づいて配置すべき

  • 詩人は普遍的真理を扱う

  • 優れたプロットは単純で、驚きの効果がある

理解度確認の質問:

  1. プロットはどのような特徴を持つべきか?

  2. 詩人の仕事と歴史家の仕事はどう違うか?

  3. 優れたプロットが備えるべき点は何か?

重要な概念:

  • 蓋然性(probability):ある事柄が起こりそうだと考えられる可能性。必然性とともに、プロット構成の重要な原理。

考察:
『詩学』第7章では、悲劇のプロット構成について掘り下げた議論が展開される。プロットを生物の身体になぞらえ、統一性と完結性を備えるべきだとするアリストテレスの主張は示唆に富む。プロットが単なる出来事の羅列ではなく、必然性に基づく有機的な結合体であるべきだという認識は、今なお説得力を持つ。
アリストテレスが詩人の仕事を歴史家との対比で論じているのも興味深い。歴史家が起こった個別の事実を記録するのに対し、詩人は起こりそうな普遍的な真理を描くべきだという。事実と真実の対比は、「詩は哲学よりも一層真理に近い」という有名な言葉につながっている。
もっとも、蓋然性に基づく出来事の選択を強調するあまり、アリストテレスは驚きの要素を過小評価しているようにも見える。彼は優れたプロットの条件として単純さを挙げるが、それは逆に言えば、物語の曲折に乏しいということでもある。
現代の物語論からすれば、複雑なプロットにも一定の意義を認めざるを得ないだろう。単純明快なプロットを理想とするアリストテレスの規範は、やや図式的に感じられなくもない。
とはいえ、プロットの統一性と必然性を重視するアリストテレスの考察は、今なお物語作法の基本である。緊密に構成された物語の骨格を、彼は「ミュートス」(mythos)と呼んだ。神話的な起源を感じさせるこの概念は、創作の根源的な契機を開示している。アリストテレスの洞察は、物語芸術の古典的規範として、現代の文学理論を照らし続けている。

第8章要約:
統一性のあるプロットは、主人公の性格や行動の一貫性に基づくべきであって、例えばヘラクレスについての逸話をつなぎ合わせるだけでは不十分である。ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』は、統一的な行為を模倣しているが、そこに登場する出来事は必然的または蓋然的に結びついている。これに対し、劣った詩人の作品では、主人公に起こる様々な出来事が羅列されているにすぎない。優れた詩人は、行為の統一性を保ちつつ、挿話によって作品を多様化し、聴衆を飽きさせない工夫を凝らしている。

印象的なフレーズ:

  • "Unity of plot does not, as some persons think, consist in the unity of the hero. For infinitely various are the incidents in one man's life which cannot be reduced to unity; and so, too, there are many actions of one man out of which we cannot make one action."

  • "Homer, as in all else he is of surpassing merit, here too—whether from art or natural genius—seems to have happily discerned the truth."

重要なポイント:

  • プロットの統一性は主人公の一貫性によるのではない

  • 優れた詩人は行為の統一性を保ちつつ多様性も表現する

  • 挿話により物語を多様化し聴衆を飽きさせない工夫が必要

  • ホメロスの作品は統一的行為を模倣している

理解度確認の質問:

  1. プロットの統一性はどこに求められるべきか?

  2. ホメロスの作品が優れている理由は何か?

  3. 優れた詩人が心がける点は何か?

重要な概念:

  • 挿話(episode):メインプロットから派生した出来事や逸話。物語に多様性を与えるために用いられる。

考察:
『詩学』第8章では、統一的プロットの条件が、主人公の性格の一貫性ではなく、行為の統一性にあるとされる。主人公の一生を構成する様々な出来事をつなぎ合わせるだけでは、統一性のあるプロットにはならないというのだ。
アリストテレスがここで示唆しているのは、人物中心の物語観からの脱却である。重要なのは登場人物ではなく、人物が織りなす行為の必然的連関なのだ。ホメロスの叙事詩が範例とされるのは、まさにそこに、統一的な行為の模倣が実現されているからにほかならない。
もっとも、行為の統一性と見聞の多様性は、必ずしも二律背反ではない。アリストテレスも指摘するように、優れた詩人は挿話を織り交ぜることで、物語に変化を与え、聴衆を飽きさせない工夫を凝らす。統一性を損なわない範囲での多様性の導入。それが詩人の技量の見せどころだというわけだ。
アリストテレスのこの考察は、今日の物語論にも通底する重要な論点を含んでいる。物語を人物の性格の表現と見るか、出来事の因果連鎖と見るか。前者の立場を取れば、主題の統一性は人物の同一性に収斂するだろう。対する後者の立場では、一貫した筋立ての展開こそが物語の求心力となる。
文学理論の系譜を辿れば、前者は近代小説の人格主義的な系譜に、後者は物語の客観的構造に着目する構造主義的系譜につながるだろう。アリストテレスは明らかに後者の立場に与している。もっともそれは、前者の観点を完全に排除するものではない。
重要なのは、人格と構造、統一性と多様性の均衡をどう取るかだ。その意味で、ホメロスを範とするアリストテレスの考察は、現代の物語作法にも、なお示唆するところが多い。人格主義的な近代小説の閉塞を突き抜ける糸口もまた、そこに潜んでいるようにも思われる。

第9章要約:
詩人の仕事は、実際に起こった出来事を描写することではなく、起こりそうな出来事、つまり可能性や蓋然性に基づいて物事を描写することである。このことから、詩作は歴史叙述よりも哲学的であり、より高尚な営みだと言える。なぜなら、詩作は普遍的真理を扱うのに対し、歴史叙述は個別的事実を扱うからだ。悲劇は一般的には実在の人物の名前を用いるが、喜劇は架空の名前を用いる。重要なのは、たとえ実在の人物を扱う場合でも、可能性や蓋然性に基づいて物語を展開させることである。優れた詩人は技巧によって、ありそうもない偶然の出来事にも必然性を与えることができる。

印象的なフレーズ:

  • "It is not the function of the poet to relate what has happened, but what may happen, — what is possible according to the law of probability or necessity."

  • "Poetry, therefore, is a more philosophical and a higher thing than history: for poetry tends to express the universal, history the particular."

  • "It clearly follows that the poet or 'maker' should be the maker of plots rather than of verses; since he is a poet because he imitates, and what he imitates are actions."

重要なポイント:

  • 詩作は起こりそうな出来事を描写する

  • 詩作は歴史叙述より哲学的で高尚

  • 詩作は普遍的真理を、歴史叙述は個別的事実を扱う

  • 詩人は筋立ての作り手であるべき

理解度確認の質問:

  1. 詩人の仕事は何か?

  2. なぜ詩作は歴史叙述より高尚だと言えるのか?

  3. 優れた詩人はどのような能力を持つべきか?

考察:
『詩学』第9章は、詩作と歴史叙述の違いを浮き彫りにすることで、詩人の仕事の本質的規定を試みている。アリストテレスによれば、詩人の役割は、実際に起こった特定の出来事の記述ではなく、普遍的な真理を表現することにある。
詩人が描くのは、現実に起こったことではなく、起こりうること、起こるべきこと。その意味で、詩作は「可能性の叙述」だと言える。歴史が過去の偶然的事実の記録だとすれば、詩は必然的真理の開示なのだ。だからこそアリストテレスは、詩作を歴史叙述よりも「哲学的」で「高尚」な営為だとするのである。
この考察は、リアリズム文学の規範を相対化する眼差しを含んでいる。特定の歴史的事件を如実に描くことよりも、人間の普遍的本質を描くことの方が詩的だというのだ。ただし、リアリズムを全面的に退けているわけではない。架空の設定でも、「ありそうなこと」として了解可能な限りで、詩的真理を表現できる、とも述べられている。
ここから浮かび上がるのは、普遍と特殊のダイナミックな相関関係である。人は特殊な状況のうちに普遍を垣間見、普遍的真理は特殊な場面を通じて具現化される。アリストテレスもまた、そうした認識を抱いていたのかもしれない。
重要なのは、詩人が「筋立ての作り手」であるべきだという指摘だろう。巧みな言葉を紡ぐことよりも、necessity(必然性)に貫かれた筋立てを考えることが詩人の仕事だというのだ。登場人物の言葉が、状況から必然的に導かれるような仕掛けを施すこと。それが「真正の詩人」(the true poet)の責務だとアリストテレスは論じる。
この箴言的命題は、今日の文学作法にも、重要な示唆を与えている。情感の吐露に寄りかかるのではなく、言葉と状況を緊密に結びつける技法。登場人物の個性的な言葉が、全体の筋立てから有機的に紡ぎ出されるような構成の妙。そうした詩的真理の制御こそが、「筋立ての作り手」たる詩人に求められる資質なのである。

第10章要約:
プロットには単純なものと複雑なものがある。単純なプロットは、一連の出来事が必然的または蓋然的に連続し、劇的転換や発見がない。複雑なプロットは、劇的転換や発見を伴い、登場人物の幸運や不運が入れ替わる。劇的転換とは、ある行為が意図した結果と反対の結果を生むこと。発見とは、無知から知への転換であり、愛情や憎しみを生む。最良の発見は劇的転換と同時に起こるものである。第三の要素は苦難(pathos)で、破滅的・苦痛な行為を指す。以上のような構成要素を組み立てることで、優れたプロットができあがるのである。

印象的なフレーズ:

  • "Reversal of the Situation is a change by which the action veers round to its opposite, subject always to our rule of probability or necessity."

  • "Recognition, as the name indicates, is a change from ignorance to knowledge, producing love or hate between the persons destined by the poet for good or bad fortune."

  • "The best form of recognition is coincident with a Reversal of the Situation, as in the Oedipus."

重要なポイント:

  • プロットは単純なものと複雑なものに分けられる

  • 複雑なプロットは劇的転換と発見を含む

  • 最良の発見は劇的転換と同時に起こる

  • 苦難(pathos)は優れたプロットの第三の要素

理解度確認の質問:

  1. 単純なプロットと複雑なプロットの違いは何か?

  2. 劇的転換と発見とはどのようなものか?

  3. 最良のプロットにはどのような要素が含まれるべきか?

重要な概念:

  • 苦難(pathos):登場人物が経験する破滅的・苦痛な出来事。観客に同情と恐怖を引き起こすことで、感情の浄化(カタルシス)を促す。

考察:
『詩学』第10章では、優れた悲劇のプロットが備えるべき要件が示される。単純なプロットと複雑なプロットを区分した上で、後者により高い価値が与えられている。アリストテレスが重視するのは、劇的転換(ペリペティア)と発見(アナグノリシス)である。
ペリペティアとは、登場人物の行為が意図せぬ結果を生み、状況が反転することを指す。主人公が無知ゆえに破滅へと向かう展開。アリストテレスはそこに、優れたプロットの条件を見出している。
他方、アナグノリシスは、登場人物や観客の「無知から知への転換」を意味する。真実の露見により、愛や憎しみが生まれる場面。それは同時に、観客の感情を揺さぶる契機ともなる。
アリストテレスが最良のプロットとして挙げるのは、この二つが同時に生起する場合だ。『オイディプス王』の名を引きつつ、劇的転換によって主人公の境遇が反転し、同時に衝撃的真実が発見される場面。そこにこそ、悲劇的効果の極点があるというのだ。
さらに付け加えられているのが、苦難(パトス)の要素である。主人公が身を滅ぼす悲惨な出来事を指す語だが、強い同情と恐怖を観客に引き起こすことで、感情の浄化(カタルシス)に資するものとされる。
以上のように、アリストテレスの考察は、優れた悲劇の条件を明示している。だがそれは、いささか図式的な感もある。現代の目から見れば、彼の規定は、やや硬直した定型を作品に押しつけているようにも映る。
とはいえ、物語の面白さを生む要因を理論的に析出した功績は大きい。ペリペティアとアナグノリシスは、今なお、優れた物語の骨格を形作る要素として認識されている。
重要なのは、観客の感情を揺さぶる仕掛けを組み込むことだろう。単なる偶然の展開ではなく、必然的な劇的転換。驚きと必然が交差する場面の創出。登場人物の心情を通して普遍的な感情に訴えかけること。
そうした古典的教訓は、現代の物語作法を導く規範として、今なお輝きを失っていない。「人間は皆、オイディプスである」とフロイトが言ったように、悲劇的プロットの原型は、人間の根源的な実存を映し出す鏡なのである。

第13章要約:
優れた悲劇の筋立ては、単純であるよりも複雑であるべきだ。悲劇は憐れみと恐れを喚起すべきであり、これを最もよく実現するのは、予想外の出来事が因果律に基づいて生じる場合である。主人公は善人でも悪人でもなく、むしろ過ちや弱さにより不運に陥る人物が適している。高貴な家柄の者が不幸から幸福に移り変わるよりも、幸福から不幸に転落する方が、憐れみを誘うからだ。また筋立ては、詩人が言葉で表現するよりも、目で見るように構想すべきである。残酷な行為は舞台の外で起こし、言葉で報告するのがよい。

印象的なフレーズ:

  • "The change of fortune should be not from bad to good, but, reversely, from good to bad."

  • "It follows plainly, in the first place, that the change, of fortune presented must not be the spectacle of a virtuous man brought from prosperity to adversity: for this moves neither pity nor fear; it merely shocks us."

  • "A well constructed plot should, therefore, be single in its issue, rather than double as some maintain."

重要なポイント:

  • 悲劇の筋立ては複雑であるべき

  • 憐れみと恐れを喚起するのが悲劇の目的

  • 主人公は善人でも悪人でもない人物が適する

  • 幸福から不幸への転落が憐れみを誘う

  • 残酷な行為は舞台の外で起こすべき

理解度確認の質問:

  1. 優れた悲劇の筋立てはどのようであるべきか?

  2. 悲劇が喚起すべき感情は何か?

  3. 悲劇の主人公として適した人物とはどのような者か?

考察:
アリストテレスは第13章で、悲劇作法の核心に迫る考察を展開している。彼が重視するのは、筋立ての複雑さと、観客の感情を揺さぶる力である。単純な筋立てよりも、思いがけない出来事が因果律によって生じるような複雑な構成が望ましいと論じる。
そこで喚起されるべき感情が、憐れみ(エレオス)と恐れ(フォボス)である。アリストテレスにとって、観客のカタルシス(浄化)を促すことこそが、悲劇の目的なのだ。
では、その効果を生むにはどのような主人公が適しているか。アリストテレスは、善人でも悪人でもない、中庸の人物を理想とする。非の打ち所のない善人の没落は、憐れみよりも嫌悪を招く。かといって、悪人の転落では、共感を得られない。
求められるのは、善悪の間で揺れ動く、人間的な弱さを抱えた主人公である。過ちや弱さゆえに不幸に陥る姿に、観客は自らを重ね合わせることができる。高貴な身分の者が、幸福から不幸へと転落する悲劇。それが最も強い感情効果を生むというのが、アリストテレスの考えである。
もっとも、過激に残酷な場面は控えめに処理すべきだとも指摘される。子殺しなど究極の悲劇的行為は、舞台上で直接描写するのではなく、伝言として処理する。言葉の報告を通して、観客の想像力に訴えかけるのだ。「見せる」よりも「聞かせる」ことで、想像の広がりを生かすという戦略である。
こうしたアリストテレスの考察は、今日なお示唆に富んでいる。シェイクスピア悲劇などに通底する悲劇作法の基本原理を、彼はここで定式化したと言える。
人間的な過誤が招く不条理な結末。だが単なる偶然ではなく、必然的な因果の帰結として。そこに、悲劇の核心的な面白さがあるのかもしれない。人はなぜ過ちを犯すのか。善悪の彼岸で、人を突き動かすものは何か。人間の宿命的な弱さを凝視することで、悲劇は普遍的な問いを投げかける。
悲劇とは、結局のところ、人間の条件そのものを剔抉する装置なのだ。自由意志と運命、善意と悪意の交錯。その弁証法的緊張のなかで、人間存在の深淵があらわになる。アリストテレスの考察は、そうした悲劇的契機の根源を開示していると言えるだろう。

第19章要約:
悲劇の言葉には思想が含まれるべきである。思想とは、言葉を通して何かを証明したり、一般的な真理を述べたりすることである。登場人物の性格を表現する言葉と同様に、思想を表現する言葉も状況から自然に生まれるようにすべきで、不自然に思想を述べさせるべきではない。言葉の修辞技術については『弁論術』で論じられているので、ここでは説明を省略する。思想を表現する上で重要なのは、文体ではなく議論の展開であり、弁論の技術に頼るべきではない。

印象的なフレーズ:

  • "Under Thought is included every effect which has to be produced by speech, the subdivisions being,—proof and refutation; the excitation of the feelings, such as pity, fear, anger, and the like; the suggestion of importance or its opposite."

  • "Concerning Thought, we may assume what is said in the Rhetoric, to which inquiry the subject more strictly belongs."

重要なポイント:

  • 悲劇の言葉には思想が含まれるべき

  • 思想は状況から自然に生まれるようにすべき

  • 思想表現で重要なのは議論の展開であり、文体ではない

  • 弁論術に頼るべきではない

理解度確認の質問:

  1. 悲劇における思想とは何を指すか?

  2. 思想を表現する言葉はどのようにあるべきか?

  3. 思想表現において重要な点は何か?

考察:
『詩学』第19章では、悲劇における言葉の役割、とりわけ思想の表現について論じられている。アリストテレスによれば、登場人物の言葉には、単なる感情の表出だけでなく、普遍的な真理を伝える思想が含まれているべきだという。
ただし、重要なのは言葉の表面的な装飾ではない。むしろ、登場人物の置かれた状況から自然に導き出される思想こそが求められる。唐突に格言めいたセリフを語らせるのは不適切だというのだ。
ここには、言葉と状況の整合性を重視する姿勢が表れている。登場人物の言動は、その性格づけと同様、状況の必然的な帰結として描かれねばならない。その意味で、言葉は劇的構造に奉仕する要素なのである。
だからこそアリストテレスは、弁論術の安易な援用に警鐘を鳴らす。修辞技巧の濫用は、言葉を状況から切り離し、リアリティを損ねかねない。大切なのは、議論の筋道を説得的に展開することであり、言語表現の巧みさではないというわけだ。
この指摘は示唆に富む。悲劇に限らず、文学という営為が孕む言語の罠を突いているからだ。ともすれば文学は、現実を言葉で覆い隠し、粉飾する装置となりかねない。雄弁な言葉が現実を歪め、真実を覆い隠す。そんな危うさを、文学は常に孕んでいる。
アリストテレスの忠告は、そうした言語の虚構性への警戒を促している。状況と切り結ぶことで、言葉はリアリティを獲得する。小説など、悲劇以後の文学形式にも通底する示唆だろう。
もちろん、言葉の装飾的な力を全否定するのは適切ではあるまい。比喩など文彩は、テクスト体験を豊かにする詩的装置でもある。とはいえ、アリストテレスの指摘は重要だ。事態の必然性から切り離された言葉は、現実を覆い隠す虚構となる。だからこそ作家は、言葉と状況の緊張関係から目を背けるべきではない。
アリストテレスの考察は、文学が孕む言語の両義性を照射している。虚構の魔力と現実のリアリティ。その境界を揺るがし続けることで、文学は人間の真実に迫るのかもしれない。

第23章要約:
叙事詩は悲劇と同様に行為の統一性を持つべきで、全体としての明確な始まりと中間と終わりがなければならない。歴史叙述のように単なる出来事の年代記であってはならず、全体として統一されたテーマを持つべきである。ホメロスは単に戦争の一部分だけを描くことでこの統一性を実現しており、他の詩人たちが失敗しているのと対照的である。またホメロスは、主要な筋書きと脇筋をバランスよく配置することで作品を多様化し、読者を飽きさせない工夫をしている。

印象的なフレーズ:

  • "Epic poetry must have as many kinds as Tragedy: it must be simple, or complex, or 'ethical,' or 'pathetic.'"

  • "Homer, admirable in all respects, has the special merit of being the only poet who rightly appreciates the part he should take himself. The poet should speak as little as possible in his own person, for it is not this that makes him an imitator."

  • "It is Homer who has chiefly taught other poets the art of telling lies skilfully."

重要なポイント:

  • 叙事詩は全体としての統一性を持つべき

  • 歴史叙述ではなく統一されたテーマが必要

  • ホメロスは統一性と多様性を巧みに実現している

  • 詩人は自ら語るのではなく登場人物を語らせるべき

理解度確認の質問:

  1. 叙事詩が持つべき統一性とはどのようなものか?

  2. 歴史叙述と叙事詩の違いは何か?

  3. ホメロスの作品が優れている点は何か?

考察:
『詩学』第23章では、叙事詩作法の指針が示される。アリストテレスによれば、叙事詩もまた、悲劇と同様に行為の統一性を備えるべきなのだ。一篇の詩作品が描くのは、統一されたひとつのテーマ。その要請を満たすには、全体の構成に明確な始まりと中間と終わりが求められる。
アリストテレスがここで批判するのは、年代記的な歴史叙述への接近である。歴史が時間軸に沿って出来事を羅列するのに対し、詩は統一的な行為の因果律を描くべきだというのだ。
理想とされるのがホメロスの叙事詩である。トロイア戦争という膨大な素材を前にして、ホメロスが採ったのは、全体の一部分に焦点を絞る戦略だった。『イリアス』が描くのは、怒りに駆られたアキレウスの運命的な一連の行為。主題の統一性こそが、詩作品の凝集力の源泉なのである。
しかも、ホメロスは枝筋を配することで物語に多様性も与えている。読者を飽きさせない工夫であると同時に、脇筋が主筋を引き立てる構成上の趣向でもある。アリストテレスが繰り返し強調するのは、全体と部分の整合的な関係である。
もうひとつ重要なのは、語り手の立ち位置だ。詩人は自ら前面に出るべきではなく、できる限り登場人物を通して語るべきだとアリストテレスは説く。「詩人が自分について語るのは、彼を模倣者たらしめるものではない」という指摘は示唆的だ。
作者の存在を最小化し、虚構世界の自律性を高めること。それは、リアリズム文学など近代小説の重要な作法となった。人物が生き生きと語り、行動する。そこに、読者を物語世界へと引き込む力学が生まれる。
アリストテレスのこの指摘は、「語り」をめぐる文学理論の先駆けとも言えるだろう。一人称の語り手を配するか、第三者的な視点から描くか。登場人物の内面に寄り添うか、俯瞰的な位置取りをするか。語りの多様なあり方を方向づける理論的起点が、ここには潜んでいるように思われる。
もちろん、小説という形式の進化とともに、語りの技法は複雑化していく。『ドン・キホーテ』に代表される自己言及的な語りは、作者の存在を逆に前景化してみせる。語り手自身が虚構世界に参入するメタフィクションの手法も生まれた。
だが、アリストテレスの考察は、そうした複雑化の彼方にある、「語り」の原点を示唆している。作品世界を生き生きと自律させること。登場人物の内面に感情移入する、ドラマ的な体験を読者にもたらすこと。そこに、虚構の言葉が発揮しうる独自の力がある。
アリストテレスの言う「巧みな嘘(lies)」とは、虚構があたかも現実であるかのように読者を誘う力を指すのかもしれない。

第24章要約:
叙事詩は、悲劇と同様に、単純、複雑、倫理的、情動的という構成を持つべきである。ホメロスの作品は、これらの要素を適切に組み合わせており、言葉遣いや思想の点でも優れている。叙事詩は長さや韻律の点で悲劇と異なるが、長さには適切な範囲があり、始まりから終わりまで一望できる長さでなければならない。叙事詩は複数の筋書きを同時に扱うことができ、悲劇よりも雄大な効果を生み出せる。韻律に関しては、ホメロスが用いた英雄韻律が最も適しており、他の韻律を混ぜることは不適切である。驚きの要素を導入する際には、理にかなった説明を加えるべきで、ホメロスがそうしているように、非合理なことは物語の前提として受け入れやすくすべきである。

印象的なフレーズ:

  • "Epic poetry differs from Tragedy in the scale on which it is constructed, and in its metre."

  • "Epic poetry has, however, a great—a special—capacity for enlarging its dimensions, and we can see the reason. In Tragedy we cannot imitate several lines of actions carried on at one and the same time; we must confine ourselves to the action on the stage and the part taken by the players. But in Epic poetry, owing to the narrative form, many events simultaneously transacted can be presented."

  • "The poet should speak as little as possible in his own person, for it is not this that makes him an imitator."

重要なポイント:

  • 叙事詩は悲劇と同様の構成を持つべき

  • ホメロスの作品は言葉遣いや思想の点でも優れている

  • 叙事詩は複数の筋書きを同時に扱える

  • 英雄韻律が叙事詩に最も適している

  • 驚きの要素は理にかなった説明を加えるべき

理解度確認の質問:

  1. 叙事詩が持つべき4つの構成要素とは何か?

  2. 叙事詩と悲劇の長さの違いはどのようなものか?

  3. 叙事詩に驚きの要素を導入する際に気をつけるべき点は何か?

考察:
『詩学』第24章では、叙事詩の特性が、悲劇との比較を通して論じられている。アリストテレスによれば、叙事詩は悲劇と同様の構成要素を備えつつ、より大きな規模と自由度を持つジャンルなのだ。
第一に、叙事詩は複数の筋書きを同時に扱うことができる。悲劇が舞台の制約から一つの筋書きに集中せざるを得ないのに対し、語りの形式を取る叙事詩では、並行する出来事を織り交ぜることが可能だ。『オデュッセイア』が雄大な効果を生むのは、この複線的な構成によるところが大きいとアリストテレスは指摘する。
第二に、叙事詩の長さにも、より大きな自由度がある。もっとも、一望するに適した適度な長さが求められる。始まりから終わりまでを見通せる規模。それが、作品の統一性を損なわない範囲だというのだ。
興味深いのは、韻律をめぐる考察だ。ホメロスが用いた英雄韻律(dactylic hexameter)の優位性をアリストテレスは説く。会話に近い弛緩と、荘重な伝統の調べ。その絶妙なバランスが、英雄叙事詩の世界を支えているというわけである。韻文か散文かという選択以上に、韻律のあり方こそが問題となる。そこには、言葉の調子が生み出す「物語世界の感触」への鋭敏な感受性が表れている。
さらにアリストテレスは、驚きの要素を導入する際の注意点にも言及する。非現実的な事象も、周到に基礎づけることで説得力を獲得する。『オデュッセイア』で神々が介入する場面などは、そうした「信じうる驚き」の手本だと論じられている。
もとより現代人の感覚からすれば、『オデュッセイア』の神話的世界観をそのまま受け入れるのは難しいだろう。だが、アリストテレスのこの指摘は、リアリズムの文学にも通底する重要な作法を示唆している。
人物の心理や行動の飛躍を、周到な描写によって動機づけること。非日常的な出来事も、日常の延長線上に位置づけ直すこと。あり得ないことをあり得るように見せる技法。フィクションの説得力の源泉は、実はそこにこそあるのかもしれない。
アリストテレスの考察は、そんな文学のトリックの原型を開示している。非現実を現実に馴致する。人を驚かせつつ、同時に納得させる。『イーリアス』『オデュッセイア』の世界を貫く、そうした二重性の妙を言い当てているのだ。人はなぜフィクションに魅了されるのか。人間の想像力のダイナミズムを解き明かす理論的な手がかりもまた、そこに潜んでいるように思われる。

第25章要約:
詩の批評には、詩そのものに関わる批判と、詩の朗読に関わる批判がある。前者の批判には5つの観点があり、不可能なこと、非合理なこと、有害なこと、矛盾すること、技術的な誤りが指摘される。これらの批判に対しては、12の観点から反論が可能である。詩人が描くのは、実際にあったこと、現にあること、あると言われていること、あるべきこと、のいずれかである。言葉の使い方には、通常の言葉、方言、隠喩、造語など多様なバリエーションがあり、詩人には一定の自由が認められる。批判者の指摘が的を射ていない場合もあり、文脈を考慮せず一部分だけを取り上げて批判するのは適切でない。

印象的なフレーズ:

  • "The poet being an imitator, like a painter or any other artist, must of necessity imitate one of three objects,—things as they were or are, things as they are said or thought to be, or things as they ought to be."

  • "The same thing holds good of any other art or science. Similarly, therefore, the poet may imitate things as they ought to be,—which is a higher and more ideal method; or as they are,—which is the more universal."

  • "Things are censured either as impossible, or irrational, or morally hurtful, or contradictory, or contrary to artistic correctness."

重要なポイント:

  • 詩の批評には詩そのものと朗読に関わる批判がある

  • 詩そのものへの批判には5つの観点がある

  • 批判に対しては12の観点から反論できる

  • 詩人が描くのは実在、現在、伝承、理想のいずれか

  • 言葉の使い方には多様なバリエーションがある

理解度確認の質問:

  1. 詩そのものへの批判の5つの観点とは何か?

  2. 詩人が描く対象には何があるか?

  3. 批判に反論する際の留意点は何か?

考察:
『詩学』第25章は、詩の批評をめぐる見取り図を提示している。アリストテレスによれば、批評の対象は大きく二つに分けられる。一つは詩そのものの内容に関わる批判、もう一つは朗読の仕方に関わる批判だ。
このうち前者には、不可能性、非合理性、有害性、矛盾、技術的誤りという5つの観点がある。詩の世界があまりに非現実的だと感じられたり、筋立てに辻褄の合わない点があったりすると、批判の的になりやすい。倫理的・道徳的な危うさを孕む内容も問題視される。
だが、アリストテレスはそうした批判に対して、反論の余地を残している。詩人が描くのは、必ずしも目の前の現実だけではない。過去や異郷の物語、想像上の理想郷など、多様な対象が詩の世界を構成している。現実との差異をもって詩を批判するのは、的外れだというのだ。
加えて、詩的言語の特殊性にも留意が必要だとされる。直喩や隠喩、造語など、詩人には通常の言葉遣いを超える表現上の自由が認められている。字義通りの意味だけを取り上げて詩を批判するのは適切ではない。むしろ批評家には、メタファーの背後にある詩的真理を汲み取る力が求められるのだ。
さらにアリストテレスは、作品の一部分のみを切り取って批判するのは片手落ちだと指摘する。あくまで作品全体の文脈の中で、個々の表現を評価すべきなのである。
以上のように、アリストテレスの考察は、詩の批評に求められるバランス感覚を示している。非現実性や言語の逸脱を認めつつ、全体の整合性を見定める眼。批判的観点を備えながら、詩的想像力の可能性にも開かれていること。
もとより、アリストテレスの時代と現代とでは、詩の受容のあり方も大きく異なるだろう。批評の規範意識も、時代とともに移り変わってきた。だが、作品を多面的に捉え、批判と共感を往還する批評精神のエッセンスは、今なお生きている。
作品を前にして、私たちはつねに問いを発している。この物語は何を伝えようとしているのか。なぜこのような表現を取ったのか。登場人物の行動の真意は何か。そうした問いを重ねることで、テクストの深層に分け入っていく。批評とは、能動的な読みの運動にほかならない。
アリストテレスが説いたのは、そうした批評的思考の原型だったのかもしれない。テクストを相手に、挑発的な問いを投げかける面白さ。可能性に開かれた読みのダイナミズム。批評という営為の醍醐味を、彼ははるか昔に言い当てているのだ。

第26章要約:
叙事詩と悲劇のどちらがより優れた芸術形式かという問題について、アリストテレスは次のように論じる。演技に頼る悲劇は俗っぽいという批判があるが、むしろ悲劇の方が叙事詩よりも優れている。なぜなら、悲劇は叙事詩の要素を全て含みつつ、音楽と舞台装置による固有の快楽を持っているからだ。また悲劇は叙事詩よりも統一性が高く、一回の鑑賞で全体を把握できる。さらに、ストーリーの筋立てや登場人物の性格描写においても、悲劇の方が優れている。叙事詩を逐語的に劇化すると長すぎて印象が薄れてしまうが、悲劇ならば程よい長さで効果的に主題を伝えられる。以上の点から、芸術形式としての悲劇の優位性が導かれるのである。

重要なフレーズ:

  • "Tragedy like Epic poetry produces its effect even without action; it reveals its power by mere reading."

  • "If, then, Tragedy is superior to Epic poetry in all these respects, and, moreover, fulfils its specific function better as an art—for each art ought to produce, not any chance pleasure, but the pleasure proper to it, as already stated—it plainly follows that Tragedy is the higher art, as attaining its end more perfectly."

重要ポイント:

  • 演技に頼る悲劇は俗悪だという批判がある

  • しかし悲劇は叙事詩の要素に加え固有の快楽を持つ

  • 悲劇は統一性が高く一回の鑑賞で全体が把握できる

  • 筋立てや性格描写も悲劇の方が優れている

  • よって芸術としての悲劇の優位性が導かれる

確認問題:

  1. 悲劇に対してどのような批判があるか?

  2. 悲劇が叙事詩よりも優れている点は何か?

  3. 悲劇の統一性の高さはどのような効果をもたらすか?

考察:
『詩学』の最終章で、アリストテレスは悲劇の優位性を力強く主張している。その論拠は多岐にわたる。第一に、悲劇は叙事詩の長所を全て備えている上に、音楽や舞台装置などの固有の魅力を持っている点だ。つまり悲劇は、言葉の芸術と舞台芸術の複合体として、より総合的な美的体験を可能にするのだ。
第二に、悲劇には叙事詩を上回る統一性がある。数日間を要する叙事詩の朗読に対し、悲劇は一回の鑑賞で全体像が把握できる。これにより、主題の印象が濃密に響くことになる。プロットの整合性という点でも、悲劇の方が勝っているとアリストテレスは論じる。
さらに、登場人物の性格描写という点でも、悲劇には優れた技法があるという。ストーリー展開に即して性格が生き生きと立ち現れる。言葉と行動の迫真性が増すのだ。
以上のように、アリストテレスの論証は説得的だ。だが、果たして芸術形式の優劣を決めつけることに意味はあるだろうか。長大な物語世界を紡ぎ出す叙事詩の魅力を、アリストテレスは過小評価しているようにも思える。
むしろ、悲劇と叙事詩はそれぞれに固有の美的体験を開く、対等な芸術ジャンルと見るべきなのかもしれない。現に、近代に至っても、小説というかたちで叙事詩は生命力を保ち続けている。対する悲劇も、映画などの新たなメディアと結びつきながら進化を遂げてきた。
重要なのは、アリストテレスが洞察した、それぞれのジャンルの本質的特性ではないだろうか。悲劇が志向する統一性と凝縮性。叙事詩がもたらす壮大な物語体験。どちらも、人間の想像力に訴える芸術固有の力を持っている。
アリストテレスの議論は、そうしたジャンル固有の詩的体験の輪郭を浮かび上がらせてくれる。悲劇的なるものの核心を言い当てたその考察は、演劇理論の金字塔として不朽の輝きを放っている。だが同時に、そこには叙事詩的想像力の深淵もまた示唆されているのだ。
優劣を決するのではなく、両者の豊かさを認め合うこと。そこに、文学の多様性を育くむ批評の眼が開かれるのかもしれない。

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