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【読書ノート】銃・病原菌・鉄


プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

要約:
本書は、世界の各地域で人類社会の歴史的発展が大きく異なる理由を探求している。ニューギニア人の疑問「なぜ白人は豊かな技術を発達させたのに、ニューギニア人は自分たちのものといえる技術をほとんど持たないのか」から始まる。環境や文化的要因、個人の力といった説明を超えて、世界の多様な社会の違いを生み出した地理的要因を重視する。筆者の専門分野と経験を活かし、多様な分野の研究成果を統合しながら、人類史上のこの重要な問題に取り組む大著である。

印象的なフレーズ:

  • 「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」

  • 歴史家のなかには、この疑問を問うことをやめてしまった人もいる。

  • 生物学的差異による説明と、一見、同じくらいの説得力がありそうなのが、つぎのような説明である。

  • ヤリの投げかけた疑問に対する一般的な答えはいまだに存在していないのだ。

重要なポイント:

  • 世界の地域によって人類社会の歴史の発展の仕方が大きく異なる理由を探る。

  • 人種差別的な説明を退け、地理的要因を重視する。

  • 多様な分野の研究成果を統合し、学際的なアプローチをとる。

  • 植民地支配の歴史が現代にも大きな影響を与えている。

質問:

  1. 本書が取り組む中心的な問いは何か。

  2. ヤリが投げかけた疑問とは何か。

  3. 筆者はどのようなアプローチで人類史の謎に迫ろうとしているか。

重要な概念:
人種差別主義: ある人種の他の人種に対する優越性を主張する思想。本書は、人種差別主義に基づく説明を批判的に検討し、より科学的な説明を模索する。

地理的要因: 環境、資源、地形など、人間社会に影響を与える地理的条件。本書は地理的要因が人類の歴史に与えた影響を重視する。

学際的アプローチ: 複数の学問分野の知見を統合して問題に取り組む方法。筆者は自身の多様な専門知識を活かし、学際的な視点から人類史を考察する。

考察:
ジャレド・ダイアモンド著「銃・病原菌・鉄」は、人類社会の多様性と不平等の起源を問う野心的な書であり、西洋中心主義的な歴史観に挑戦している。プロローグでは、現代世界の不平等の根源を探求する筆者の問題意識が鮮明に描かれ、ニューギニア人ヤリの素朴な疑問が本書全体を貫く中心的な問いとして提示される。

筆者は、19世紀以来の人種差別主義的な思想を退け、環境決定論を超えた地理的要因の重要性を説く。生物学的差異を安易に持ち出すのではなく、地理、生態学、考古学、言語学など多様な分野の知見を動員し、人類社会の多様性を生み出した複合的な要因を解明しようとする姿勢は説得力がある。

一方で、環境や地理が人間社会に与える影響を強調するあまり、人間の主体性や文化の独自性が軽視される恐れもある。また、現代の不平等な世界秩序の淵源を数万年前に遡って説明しようとする大胆な試みは、時に恣意的で還元主義的な議論に陥る危険性をはらんでいる。

しかし、従来の歴史叙述を批判的に再検討し、より包括的で科学的な人類史の構築を目指す本書の意義は大きい。多様な視点と膨大な知識に裏打ちされた筆者の考察は、読者を知的な冒険へと誘い、人類の過去と現在、そして未来を根源的に問い直す契機を与えてくれるだろう。

第1部 勝者と敗者をめぐる謎

第1章 一万三〇〇〇年前のスタートライン

要約:
本章では、人類の進化の歴史を概観し、1万3千年前の時点で各大陸の住民が平等な立場にあったのかを検証する。700万年前にアフリカで誕生した人類は、約10万年前に現生人類が登場するまでにアフリカ、ユーラシア、オーストラリアに広がり、技術や身体的特徴を発達させていった。オーストラリアでは大型動物の絶滅という環境改変が生じた。約1万3千年前に人類が南北アメリカ大陸に到達し、ここでも大型動物の絶滅が起きた。しかし、この時点では各大陸の人類は、いずれも技術的に大きな違いはなかった。

印象的なフレーズ:

  • 「その逆に、南北アメリカ大陸の先住民、アフリカ大陸の人びと、そしてオーストラリア大陸のアボリジニが、ヨーロッパ系やアジア系の人びとを殺戮し、征服し、絶滅させるようなことが、なぜ起こらなかったのだろうか。」

  • 「すでに見てきたとおり、人類は大躍進時代の訪れとともにオーストラリア・ニューギニアへ移住し、それにつづいてユーラシア大陸の最寒冷地にも住みはじめている。」

  • 「知的能力ではニューギニア人は西洋人よりもおそらく遺伝的に優れていると思われる。」

重要なポイント:

  • 人類の起源と進化の歴史を辿ることで、1万3千年前の時点での各大陸の人類の立ち位置を探る。

  • 現生人類の起源と拡散について、アフリカ単一起源説と多地域進化説の論争に言及。

  • オーストラリアとアメリカ大陸への人類の到達が、大型動物の絶滅をもたらした可能性を指摘。

  • ニューギニア人と西洋人の知的能力の差は、遺伝的要因よりも環境要因で説明できると論じる。

質問:

  1. 初期人類の進化において、直立歩行と脳容量の増大が始まった時期はいつか。

  2. 人類がオーストラリアとアメリカ大陸に到達した時期と、その際に起きた出来事は何か。

  3. ニューギニア人と西洋人の知的能力の差について、筆者はどのように論じているか。

重要な概念:
現生人類(ホモ・サピエンス): 現在の人類を指す。アフリカで約20万年前に登場し、世界各地に拡散した。

大型動物の絶滅: 人類が新しい大陸に進出した際、しばしば大型動物の絶滅が起きた。狩猟や環境改変がその原因と考えられている。

多地域進化説: 現生人類が、アフリカを含む複数の地域で別々に進化したとする説。アフリカ単一起源説との論争がある。

考察:
第1章は、人類の進化と拡散の歴史を辿ることで、1万3千年前の時点で各大陸の人類が平等な立場にあったのかを問うている。筆者は化石や考古学的証拠を丹念に検討し、アフリカを発祥の地とする人類が、長い年月をかけて世界各地に広がっていった過程を描き出す。

特に注目すべきは、人類の拡散が環境に与えた影響である。オーストラリアやアメリカ大陸では、人類の到達が大型動物の絶滅を引き起こした可能性が高い。このことは、原始の技術しか持たない人類であっても、新しい土地の生態系を大きく改変する力を持っていたことを示唆している。

一方、筆者は各大陸の人類の能力差を遺伝的要因に求める見方を批判的に検討する。ニューギニア人と西洋人の知的能力を比較し、むしろニューギニア人の方が優れている可能性を指摘するくだりは印象的だ。環境が人間の能力に与える影響の大きさを考えれば、遺伝的決定論は単純化しすぎであろう。

ただし、各大陸の人類が1万3千年前の時点で平等であったとしても、その後の分岐を説明するには不十分だ。気候、地形、生物相など、地理的条件の差異が歴史の展開にどう影響したのかを詳しく論じる必要がある。本章はあくまで序論であり、ここから筆者の本論が始まるのだと理解すべきだろう。人類の多様性と不平等の起源をめぐる知的探求は、まだ始まったばかりなのである。

第2章 平和の民と戦う民の分かれ道

要約:
本章では、ポリネシア人の拡散と定着の歴史を通して、環境が人間社会に与える影響を探る。同じ祖先を持つポリネシア人が、気候、地形、資源などの異なる島々に定着した結果、狩猟採集民から首長国家まで多様な社会が生まれた。島の環境条件が、農業の形態、人口密度、社会構造、物質文化などを規定し、数世紀の間に大きな差異を生み出した。ポリネシアの事例は、環境決定論を極端に単純化せずに、地理が人間社会の発展に及ぼす影響を考える上で格好の「自然実験」となる。

印象的なフレーズ:

  • 「チャタム諸島とニュージーランドの異なる環境がどのように影響して、彼らをちがった種族に形成していったのか。それを歴史的にひも解くのはさほどむずかしいことではない。」

  • 「トンガやハワイの人びとにあと数千年という時間があったら、彼らはおそらく太平洋の支配をめぐって争う二大帝国になっていたかもしれない。」

  • 「ポリネシアは、人間社会が環境によって多様化するという格好の例をあたえてくれた。」

重要なポイント:

  • マオリ族とモリオリ族の歴史は、環境が社会の発展に与える影響を如実に示している。

  • ポリネシア人の拡散は、同じ出発点から環境の異なる島々で多様な社会が生まれる過程を明らかにする自然実験と言える。

  • 島の面積、地形、土壌、資源などの違いが、農業の形態、人口密度、社会構造、物質文化の多様性を生み出した。

  • ポリネシアの事例は、地理的要因が社会の発展に及ぼす影響を示す一方、人間の主体性も無視できないことを示唆する。

質問:

  1. モリオリ族とマオリ族は、もともとどのような関係にあったか。

  2. ポリネシア人の拡散が「自然実験」と呼ばれる理由は何か。

  3. 島の環境条件が人口密度や社会構造に与える影響について、具体的に説明せよ。

重要な概念:
狩猟採集社会: 農耕を行わず、狩猟と採集によって生計を立てる社会。人口密度は低く、平等主義的な傾向が強い。

首長制社会: 首長を頂点とする階層的な社会。農耕の発展により余剰生産が可能となり、職能分化が進む。

環境決定論: 環境が人間社会の発展を決定づけるとする考え方。極端な単純化には批判もある。

考察:
ジャレド・ダイアモンドは第2章で、ポリネシアにおける人間社会の多様性が環境条件によって生み出された過程を詳述している。マオリ族とモリオリ族の分岐に始まり、ポリネシア全域に広がる社会の多様性は、島嶼環境という「自然の実験室」が生んだ結果と言えるだろう。

ポリネシアの事例は、地理的要因が社会の発展に与える影響を如実に示している。限られた資源、狭小な土地、周囲からの隔絶といった条件は、農業の形態や人口扶養力を規定し、ひいては社会構造や物質文化の違いをもたらす。筆者が強調するように、ポリネシアの比較研究は環境決定論の格好の実証例となる。

ただし、ここで環境決定論の限界にも留意すべきだろう。島の地理が社会の多様な発展を方向づけたとしても、人間の創意工夫や選択の余地を完全に排除することはできない。たとえば、イースター島の環境制約下で巨石像を建造したラパ・ヌイの人々の営みは、環境決定論では説明しきれない文化の独自性を示している。

また、筆者も認めるように、ポリネシアの事例をそのまま他の地域に当てはめることはできない。ユーラシアや南北アメリカなど、はるかに広大で多様な環境を抱える大陸では、社会の発展により複雑な要因が絡み合うはずだ。島嶼環境という「実験室」から得られた知見は、あくまで仮説の域を出ない。

とはいえ、ポリネシアの経験が示唆に富むのは間違いない。自然環境が人間社会の発展可能性を規定する大枠となること、しかし同時に人間の選択と行動が歴史を動かす原動力となることを、私たちは改めて認識すべきだろう。環境決定論の大胆な視座と、人間の主体性への謙虚な眼差しの双方を忘れずに、人類史の多様性と普遍性に迫っていく必要がある。

第3章 スペイン人とインカ帝国の激突

要約:
本章では、スペイン人のインカ帝国征服の決定的瞬間であるカハマルカの戦いを取り上げ、征服の直接的要因を探る。騎馬、鉄製武器、銃器などの軍事技術、伝染病がもたらした人口学的打撃、政治の集権化の度合い、識字率の高さなど、スペイン側の優位性が征服を可能にした。一方、インカ帝国の分裂、伝染病の脅威や政治制度に関する無知など、先住民側の脆弱性も敗因となった。これらの要因は、他の地域でのヨーロッパ人と先住民の関係を大きく左右した直接的要因でもあった。しかし、スペイン人にこうした優位性をもたらした究極的な原因は依然として謎のままである。

印象的なフレーズ:

  • 「ヨーロッパ人がアメリカ先住民や他民族と対決する際、ヨーロッパ側が圧倒的に有利な武器を持ち合わせていたことが、その結果を左右する大きな要因となった。」

  • 「目撃者の話には、騎馬隊を持っていたことがどんなにスペイン側を有利にしたかという記述が目につく。」

  • 「要するに、読み書きのできたスペイン側は、人間の行動や歴史について膨大な知識を継承していた。それとは対照的に、読み書きのできなかったアタワルパ側は、スペイン人自体に関する知識を持ち合わせていなかったし、海外からの侵略者についての経験も持ち合わせていなかった。」

重要なポイント:

  • スペイン人の軍事技術(騎馬、鉄製武器、銃器)が征服において決定的に重要な役割を果たした。

  • ヨーロッパ由来の伝染病がインカ帝国の分裂と人口減少を引き起こし、征服を容易にした。

  • スペイン人の政治的、文化的優位性(集権化、識字率)も征服の成功に貢献した。

  • インカ側の伝染病や外敵への無知と政治的分裂が敗因となった。

  • これらの要因は他の地域でのヨーロッパ人と先住民の関係も左右したが、根本原因は未解明。

質問:

  1. カハマルカの戦いにおいて、スペイン人の軍事技術のうち最も決定的だったのは何か。

  2. ヨーロッパ由来の伝染病がインカ帝国の征服に与えた影響を説明せよ。

  3. スペイン人とインカ帝国の知識と経験の差が、征服の結果にどのように影響したか。

重要な概念:
軍事技術: 軍事力を構成する物的要素。武器、防具、移動手段などが含まれる。征服においてしばしば決定的な役割を果たす。

伝染病: 感染症のうち、人から人へ感染が広がるもの。抗体を持たない集団に壊滅的な被害を与えうる。

集権化: 中央政府への権力の集中。周辺の反乱を抑え、大規模な軍事行動を可能にする。分権化した社会に対して優位に立ちやすい。

考察:
第3章で描かれるカハマルカの戦いは、ヨーロッパ人と先住民の邂逅が軍事的衝突に発展した際の典型例と言えるだろう。圧倒的多数のインカ軍を前に、わずか168人のスペイン軍が勝利を収めた背景には、両者の軍事技術、政治組織、知識体系の大きな格差があった。

スペイン側の鉄製武器や銃器、騎馬戦術は、インカ軍を圧倒するに十分な破壊力を持っていた。また、伝染病の流行がインカ帝国の政治的分裂と軍事力の低下を招いたことも、スペイン人に有利に働いた。一方、インカ側は外敵の脅威を適切に評価できず、逆にスペイン人を過小評価するという致命的な判断ミスを犯してしまう。

この非対称性の背景には、政治の集権度合いや識字率の高さなど、両社会の構造的差異があった。情報の蓄積と伝達に長けたスペイン人は、未知の相手に関する知識を柔軟に応用できる一方、インカ側はそのような知的訓練を欠いていた。カハマルカの戦いの勝敗は、まさにこの「知の格差」が生んだ結果だったのである。

ただし、ここで歴史の必然性に安易に身をゆだねるべきではない。銃や鉄、伝染病がなければ、あるいはインカ帝国がもう少し情報収集に長けていれば、結果は違ったものになったかもしれない。事態を左右したのは、ヨーロッパ的な「文明の力」などではなく、軍事技術、政治制度、疫学といった個別の要因であった。

とはいえ、16世紀の時点でスペイン人がこれほどの優位性を持っていた事実は、より大きな歴史的謎を提起する。すなわち、ヨーロッパとアメリカ大陸の発展の差は、いかにして生じたのか。この問いに答えることこそ、「パルケ、ラ・エスパーニャ(なんというスペインだ)」と言わせた歴史の真の意味を解き明かす鍵となるだろう。

第2部 食料生産にまつわる謎

第4章 食料生産と征服戦争

要約:
本章では、食料生産が人類の運命を大きく左右したことが説明される。狩猟採集から農耕への移行により、一エーカーあたりの産出カロリーが大幅に増加し、定住と人口増加が可能になった。余剰食料は専門職の出現を促し、中央集権的な政治体制を生み出した。家畜は、食料や役畜、交通手段として重要な役割を果たした。食料生産は、銃器や鉄の技術、疫病への免疫を発達させる間接的な前提条件でもあった。食料生産の地理的時間差が、大陸間の運命を左右したのである。

印象的なフレーズ:

  • 「一万年以上前に食料生産を独自にはじめた人びとは、地球上のどの地域においても、誰かが農耕をしている様子をそれまで見たこともなければ、農耕とはなんであるかもまったく知らなかった。」

  • 「農耕民は、土地を耕し家畜を育てることによって、一エーカーあたり、狩猟採集民のほぼ一〇倍から一〇〇倍の人口を養うことができる。」

  • 「一九五六年、私はフレッド・ハーシーという老農夫のもとで働きながら、十代の夏をモンタナ州ですごした。」

重要なポイント:

  • 食料生産の開始により、人口密度と社会の複雑性が増大した。

  • 家畜は食料、役畜、交通手段などの面で人類に貢献した。

  • 食料生産は銃器、鉄、疫病への免疫の発達を間接的に促進した。

  • 食料生産開始の地理的時間差が大陸間の不平等を生み出した。

質問:

  1. 食料生産はどのように人口密度と社会の複雑性を高めたか。

  2. 家畜はどのような形で人類に貢献したか。

  3. 食料生産の地理的時間差が大陸間の不平等をもたらしたのはなぜか。

重要な概念:
食料生産: 農耕と牧畜による食料の生産。狩猟採集から食料生産への移行は、人類史上の大きな転換点であった。

余剰食料: 食料生産により生み出された余剰は、専門職の出現と社会の階層化を促進した。

地理的時間差: 食料生産の開始時期には大陸間で大きな差があり、その差が歴史の展開に影響を与えた。

考察:
第4章は、食料生産が人類史に与えた影響の大きさを浮き彫りにしている。農業の開始は単なる生業の変化ではなく、人口動態から社会構造、さらには技術や疫病に至るまで、あらゆる面で重大な結果をもたらした。筆者の指摘で特に重要なのは、食料生産の開始時期の地理的なばらつきが、その後の歴史の不平等な展開の原因になったという点だ。

一方で、農業の開始が必然的に豊かで複雑な社会を生み出すわけではないことにも注意が必要だ。実際、初期の農耕民の栄養状態や平均寿命は、狩猟採集民に比べて悪化した例も多い。社会の分化と統合のプロセスも一様ではなく、地域によって大きく異なる。食料生産はあくまで必要条件であって、十分条件ではないのだ。

とはいえ、長期的なスパンで見れば、農業を基盤とした社会が技術や政治、軍事の面で優位に立ったことは疑いない。ユーラシア大陸の優位もそこから説明できるだろう。ただし、本章の内容だけでは不十分で、農業に適した作物や動物が偏在していた事実など、地理的要因にも目を向ける必要がある。歴史の展開を決めたのは、食料生産という人間の選択だけではなく、自然環境がもたらした機会と制約だったのである。

第5章 持てるものと持たざるものの歴史

要約:
本章では、なぜ特定の地域でのみ食料生産が始まり、他の地域では始まらなかったのかを考察する。食料生産の開始には、人間側の要因と植物側の要因の両方があると指摘する。メソポタミアの肥沃な三日月地帯、中国、中米、アンデス、アメリカ東部の5つの地域では、独自に食料生産が始まった。一方、サハラ以南のアフリカ、ニューギニア、オーストラリアでも独自に始まった可能性がある。食料生産が独自に始まらなかった地域でも、近隣から農作物や家畜が伝播すると、すぐに取り入れられた。伝播のスピードの違いが、地域間の不平等を生み出す一因となった。

印象的なフレーズ:

  • 「アメリカ合衆国太平洋岸に位置する各州、南米アルゼンチンの大草原地方、オーストラリア南西部および南東部、南アフリカのケープ地方などである。驚くべきことに、いまや世界の穀倉地帯となっている地域のうちのいくつかは、人類が食料生産をはじめてから数千年を経た紀元前四〇〇〇年頃になっても農耕は開始されていないのである。」

  • 「今日では、地球上の人類のほとんどが、自分で作ったものを食べるか、他人が作ったものを食べて生活している。この傾向がこのままつづけば、ここ一〇年で、すでに少数しか残っていない狩猟採集民はその生活形態を放棄してしまうだろう。」

  • 「それぞれの大陸において農耕や家畜の飼育が異なる時代にはじまったという、食料生産開始の地理的な時間差が、それらの大陸の人びとのその後の運命を非常に大きく左右しているのである。」

重要なポイント:

  • 食料生産が独自に始まった地域とそうでない地域があり、その違いは人間側と植物側の両方の要因による。

  • 独自に始まらなかった地域でも、農作物や家畜の伝播により食料生産が急速に広まった。

  • 伝播のスピードの違いが、地域間の技術や免疫、武器の格差を生み出した。

質問:

  1. 食料生産が独自に始まった5つの地域とその特徴は何か。

  2. 食料生産が独自に始まらなかった地域で、伝播により食料生産が広まったパターンにはどのようなものがあるか。

  3. 食料生産の伝播のスピードの違いが、地域間の不平等を生み出すメカニズムを説明せよ。

重要な概念:
地理的時間差: 食料生産の開始時期の地域差。この差が、その後の歴史の不平等な展開をもたらした。

伝播: ある地域で栽培化・家畜化された作物や動物が、他の地域に広まること。伝播のスピードの違いが重要な意味を持つ。

プリエンプティブ・ドメスティケーション: 外来の作物や家畜の伝播により、在来種の独自の栽培化・家畜化が起きなくなる現象。

考察:
第5章は、食料生産の開始を決定づけた要因の複雑さを浮き彫りにしている。適切な作物と人間の創意工夫の組み合わせが、農業の独自の発生をもたらしたのだ。一方、それ以外の地域は、外来の作物と技術の伝播を待つ立場に置かれた。筆者はこの過程を「先取りの栽培化・家畜化」と呼び、伝播のスピードの差が歴史の分岐点になったと指摘する。

ただし、この議論には注意すべき点もある。第一に、独自の農業の発生と外来の農業の伝播は、必ずしも二者択一ではない。実際、多くの地域で在来種と外来種の組み合わせが見られる。第二に、伝播のスピードを決めたのは、地理的障壁など自然条件だけではない。人間社会の対応も無視できない要素だ。

とはいえ、地理的時間差という観点は重要である。チャンスに恵まれ、いち早く食料生産を手に入れた地域が、その後の歴史でも優位に立ちやすかったのは確かだろう。ユーラシア大陸の優越も、そこから説明できる。

ただしこれは、ユーラシアの人々の優秀さを示すわけではない。あくまで機会の偏在が、不平等な歴史を生み出したのだ。私たちは、歴史の勝者と敗者を分けた要因の複雑さを直視する必要がある。そうしてこそ、今日の不平等の解消に向けた知恵も得られるはずだ。

第6章 農耕を始めた人と始めなかった人

要約:
本章では、なぜ人々が農耕を始めたのか、なぜ始めなかったのかを考察する。農耕を始めた人々は、より豊かな生活を求めてそうしたわけではない。初期の農耕民の健康状態は狩猟採集民よりも悪かった。一方、農耕に適した環境にありながら、農耕を始めなかった人々もいる。彼らは周囲の農耕民と交易しつつ、狩猟採集を続けた。人々が農耕へと移行した要因としては、利用可能な食料の減少、栽培に適した野生植物の増加、食料生産の技術的進歩、人口圧力、農耕民との接触などが考えられる。ただし、これらの要因は場所によって異なる。

印象的なフレーズ:

  • 「われわれは、狩猟採集者の生活様式を特徴づけるとき、『汚くて、野蛮で、ひもじい』というイギリスの哲学者トマス・ホッブズの言葉をよく引き合いにだした。」

  • 「スウェーデン南部に居住していた狩猟採集民は、紀元前三〇〇〇年頃に南西アジアの作物を育てる農耕をいったん身につけていたが、紀元前二七〇〇年頃には狩猟採集民に戻ってしまい、四〇〇年後に農耕を再開するまで狩猟採集生活をつづけていた。」

  • 「食料採集と食料生産が併存する生活は、食料採集だけの生活や食料生産だけの生活と優劣を競い合う関係にあった。しかし、食料の採集と生産が併存する生活様式のなかにもさまざまな様式があり、生産性の面で互いに競合していた。」

重要なポイント:

  • 農耕を始めた人々は、より豊かな生活を求めてそうしたわけではない。

  • 農耕に適した環境でも、農耕を始めなかった人々がいる。

  • 農耕への移行には複数の要因があるが、場所によって異なる。

  • 狩猟採集と農耕の併存も見られ、それぞれの生活様式が競合していた。

質問:

  1. 初期の農耕民の健康状態が狩猟採集民よりも悪かったのはなぜか。

  2. 農耕に適した環境にありながら、農耕を始めなかった人々の例を挙げよ。

  3. 人々が農耕へと移行した主な要因には何があるか。

重要な概念:
狩猟採集: 野生の動植物を狩猟や採集によって獲得する生活様式。農耕の開始以前の人類の主要な生業であった。

農耕: 作物を栽培することによって食料を生産する生活様式。人類史上の大きな転換点となった。

食料生産への移行: 狩猟採集から農耕への移行のプロセス。複数の要因が関与し、地域によって異なる様相を示した。

考察:
第6章は、農耕の開始をめぐる通説に疑問を投げかける。農耕への移行は、必ずしも人々の意思選択の結果ではなく、むしろ環境の変化に対する受動的な適応だったのではないか。農耕民の健康状態の悪化は、その象徴的な事実だ。

一方で、農耕を拒否し続けた社会の存在も見逃せない。彼らは周りの農耕民と交易を行いつつ、狩猟採集の生活を守り続けた。ここから、生業の選択には文化的な要因も作用することがわかる。

筆者が強調するのは、農耕への移行のプロセスの複雑さだ。気候変動から人口圧力まで、様々な要因が絡み合っている。そして何より、移行のパターンが地域によって大きく異なることが重要だ。一律の説明は通用しないのである。

ただし、長期的には農耕社会が優位に立ったのは確かだろう。安定的な余剰生産は、人口増加と社会の複雑化を促した。都市の発展と国家の形成も、農業なくしては考えられない。その意味で、農耕は人類史の大局を決定づけた出来事だったと言える。

とはいえ、農耕への移行は必然ではなかった。機会と制約の織りなす偶然の産物でもあったのだ。そして、移行のプロセスで生まれた社会間の格差は、その後の不平等の起源となった。歴史の皮肉と言うべきか。私たちは改めて、環境と文化の相互作用の中で人間社会がどう変化してきたかを問い直す必要があるだろう。

第7章 毒のないアーモンドのつくり方

要約:
本章では、人類が野生植物を栽培植物へと改良してきた過程を考察する。原始人は排泄場などを通じて無意識のうちに植物を栽培化した。大きさや味などの特性に基づいて有用な個体を選抜し、狩猟採集から農耕へと移行した。アーモンドの例では、有毒な野生種から無毒の栽培種への改良の過程が推察される。有用な形質の多くは突然変異によって生じ、人為的な選抜と自然淘汰の組み合わせにより固定されていった。一方、オークのように栽培化に失敗した植物もある。それらは成長が遅い、気性が荒いなどの特性を持っていた。

印象的なフレーズ:

  • 「排泄場は栽培実験場」

  • 「毒のないアーモンドのつくり方」

  • 「自然淘汰と人為的な淘汰」

重要なポイント:

  • 原始人は無意識のうちに植物を栽培化した

  • 有用な形質を持つ個体を選抜することで栽培種が生まれた

  • 突然変異と人為選択・自然選択の組み合わせが重要

  • 栽培化に失敗した植物には共通の特性がある

質問:

  1. 原始人はどのようにして無意識のうちに植物を栽培化したか。

  2. アーモンドはどのようにして有毒な野生種から無毒の栽培種へと改良されたか。

  3. オークが栽培化されなかったのはなぜか。

重要な概念:
選抜(selection):ある形質を持つ個体を選んで次の世代に残すこと。
突然変異(mutation):突発的に生じる遺伝的変化。進化の原動力となる。
自然淘汰(natural selection):自然環境への適応度が高い個体が生き残り、子孫を残すこと。
人為選択(artificial selection):人間が意図的に行う選抜。品種改良などに用いられる。

考察:
第7章は、人類が野生植物を栽培化してきた過程を生物学的に考察した興味深い内容である。原始人が無意識のうちに行った選抜が、次第に意図的なものへと変化していく過程は、進化の法則が人間の手によって利用されていく過程とも言えるだろう。

アーモンドの例は、有毒物質を持つ野生種がどのようにして無毒の栽培種へと改良されたかを如実に示している。突然変異により毒を持たない個体が生じ、それが人為選択により固定されていったのである。この過程は、ダーウィンの「種の起源」で詳述された自然選択の原理と共通するものがある。

一方、栽培化に失敗したオークなどの例からは、植物側の特性が栽培化の成否を左右することが分かる。成長の遅さや気性の荒さは、人間による管理を困難にする。これは動物の家畜化においても同様だろう。人間との共生に適した特性を備えた生物のみが、栽培・飼育の対象になり得るのである。

本章を通して、生物の進化と人類の歴史が密接に関わっていることが理解できる。農業の発展は単なる技術の進歩ではなく、生物との相互作用の産物なのだ。今日の食卓を彩る多様な食物は、まさに自然と人間の共進化の結晶と言えるのではないだろうか。

第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか

要約:
本章では、それぞれの地域で利用可能な野生植物の種類が、その土地の住民による農耕の発展に大きな影響を与えたことを論じている。地中海性気候で多様な植物が自生するメソポタミアの「肥沃な三日月地帯」では、小麦、大麦などの栽培に適した植物が多数存在し、農耕が発展した。一方、ニューギニアや北米では、栽培可能な植物種が限られていたため、農耕の発展が制限された。ただし、それらの地域の住民は利用可能な植物を熟知しており、栽培可能な植物を見逃していたわけではなかった。農耕の発展における地域差は、住民の能力の差ではなく、野生植物の種類の差に起因するものだった。

印象的なフレーズ:

  • 「肥沃三日月地帯での食料生産」

  • 「八種の「起源作物」」

  • 「ニューギニアの食料生産」

  • 「アメリカ東部の食料生産」

重要なポイント:

  • メソポタミアの肥沃な三日月地帯では農耕に適した植物が多数存在した

  • ニューギニアや北米では栽培可能な植物種が限られていた

  • それぞれの地域の住民は利用可能な植物を熟知していた

  • 農耕の発展における地域差は野生植物の種類の差に起因する

質問:

  1. メソポタミアの肥沃な三日月地帯ではどのような利点があったために農耕が発展したのか。

  2. ニューギニアにおける農耕の発展を制限した要因は何か。

  3. 北米の住民はなぜ利用可能な植物を栽培化しなかったのか。

重要な概念:
肥沃な三日月地帯(Fertile Crescent):メソポタミアを中心とする、農耕発祥の地の一つ。
起源作物(founder crops):農耕の起源において重要な役割を果たした作物。
プレエンプティブ・ドメスティケーション(preemptive domestication):野生植物の栽培化を阻害する、先行する栽培植物の存在。

考察:
第8章は、農耕の発展における地域差の原因を、それぞれの地域に自生する野生植物の種類の違いに求めた興味深い議論である。メソポタミアの肥沃な三日月地帯のように、小麦や大麦など栽培に適した植物種が豊富に存在する地域では、農耕が発展する素地があった。一方、ニューギニアや北米のように、栽培可能な植物種が限られた地域では、農耕の発展が制限されたのである。

ただし、筆者は野生植物の種類のみを強調するのではなく、それぞれの地域の住民が利用可能な植物を熟知していたことにも注目している。ニューギニアや北米の住民は、決して無知だったわけではない。彼らは trial and error を通じて、栽培可能な植物を探索していたのだ。農耕の発展における地域差は、住民の能力の差ではなく、あくまで野生植物の種類の差に起因するものだった。

また、筆者は先行する栽培植物の存在が野生植物の栽培化を阻害する「プレエンプティブ・ドメスティケーション」にも言及している。これは農耕の伝播を考える上で重要な視点だろう。新しい土地に農耕が伝わると、在来の野生植物を改めて栽培化するインセンティブが失われるのだ。

本章は、農業の起源と発展を考える上で、地理的・生態学的な視点がいかに重要であるかを示してくれる。人類史は、ともすれば特定の民族の優秀性を強調しがちだが、そのような見方は一面的だ。私たちは自然環境と人間の相互作用の中に、より深い洞察を見出す必要があるのではないだろうか。

第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか

要約:
本章では、動物の家畜化の成功と失敗の要因を考察している。家畜化に成功した14種の大型哺乳類は、ユーラシア大陸に集中している。これは、ユーラシア大陸には家畜化に適した野生動物が多く生息していたためである。一方、アフリカやアメリカでは、家畜化に適した動物の種類が限られていた。家畜化の成否を左右する要因として、食性、成長速度、繁殖習性、気質、社会構造などが挙げられる。肉食動物や成長の遅い動物、気性の荒い動物などは家畜化に向かない。また、順位制のある集団を作る動物は家畜化しやすい。これらの条件を満たす動物は限られているため、新たな家畜の誕生は難しい。

印象的なフレーズ:

  • 「アンナ・カレーニナの原則」

  • 「由緒ある家畜」

  • 「家畜化されなかった六つの理由」

重要なポイント:

  • 家畜化された動物の大半はユーラシア大陸原産である

  • 家畜化の成否には動物の生物学的特性が関わる

  • 肉食性、成長の遅さ、繁殖の難しさ、気性の荒さは家畜化の障壁となる

  • 順位制のある社会構造は家畜化を容易にする

  • 新たな家畜の誕生は容易ではない

質問:

  1. なぜ家畜化された動物の多くがユーラシア大陸原産なのか。

  2. シマウマが家畜化されなかった理由は何か。

  3. 新たな家畜を作り出すことが難しい理由は何か。

重要な概念:
アンナ・カレーニナの原則(Anna Karenina principle):幸福な家庭は皆似ているが、不幸な家庭はそれぞれ違う不幸を抱えている、という法則。
順位制(dominance hierarchy):集団内の個体間に見られる支配-被支配の関係。
プレエンプティブ・ドメスティケーション(preemptive domestication):先行する家畜の存在が、新たな動物の家畜化を阻害すること。

考察:
第9章は、動物の家畜化をめぐる生物学的・地理学的な要因を論じた興味深い内容である。家畜化の成功には、動物側の特性が大きく関わっている。食性、成長速度、繁殖習性、気質、社会構造など、様々な条件がクリアされなければならない。まさに「アンナ・カレーニナの原則」が当てはまるのだ。

シマウマが家畜化されなかったのは、気性の荒さと社会構造の特徴が障壁となったからだろう。一方、ウシ、ウマ、ヒツジなどは、順位制のある集団を作る習性があるため、家畜化に適していた。このような動物の特性の違いが、家畜化の成否を分けたのである。

また、地理的な要因も見逃せない。ユーラシア大陸には家畜化に適した動物が多く生息していたが、アフリカやアメリカでは選択肢が限られていた。これが、ユーラシア文明とその他の地域の差を生んだ一因とも言えるだろう。

ただし、家畜化された動物が存在すると、新たな動物の家畜化が阻害されるという指摘は興味深い。「プレエンプティブ・ドメスティケーション」とも呼ぶべきこの現象は、家畜の伝播を考える上で重要な視点だ。

本章を通して、人類史におけるヒトと動物の関係の重要性が浮き彫りになる。家畜は単なる食料ではなく、社会や文化の形成に大きな影響を与えてきた。私たちは自然との共生の中で、文明を築いてきたのだ。その過程で、動物の特性をどう活かすかが問われてきたと言えるだろう。

第10章 大地の広がる方向と住民の運命

要約:
本章では、大陸の地理的な広がりの方向が、農作物や家畜、技術の伝播の速度に影響を与え、それが人類の歴史に大きな影響を及ぼしたことを論じている。ユーラシア大陸は東西に広がっているため、同じ気候帯の中で農作物や家畜が容易に伝播した。一方、アメリカ大陸やアフリカ大陸は南北に長いため、気候帯が大きく変化し、農作物や家畜の伝播が困難だった。この地理的な違いが、文明の発展速度の差をもたらした。例えば、メソポタミア起源の農作物は短期間でヨーロッパ全土に広がったが、アメリカ大陸ではトウモロコシの伝播に何千年もかかった。同様に、車輪や文字の伝播も東西方向に速く、南北方向に遅かった。こうした違いが、ユーラシア文明の優位性を生み出す一因となったのである。

印象的なフレーズ:

  • 「大陸が東西に広がっていること、あるいは南北に広がっていることが、その大陸の人びとの歴史的展開に影響をあたえたとしたら、それはどのようなものだったのだろうか」

  • 「アメリカの愛国的な歌、『アメリカ・ザ・ビューティフル』は、輝く海から海につづく、広々とした空や、琥珀色に波打つ穀物のイメージを呼び起こす。しかし、現実のアメリカ大陸の地理的様相はまったく逆である」

重要なポイント:

  • 大陸の地理的な広がりの方向が農作物や家畜、技術の伝播速度に影響した

  • ユーラシア大陸は東西に広がっているため、農作物や家畜の伝播が速かった

  • アメリカ大陸やアフリカ大陸は南北に長いため、農作物や家畜の伝播が遅かった

  • 地理的な違いが文明の発展速度の差をもたらした

質問:

  1. なぜユーラシア大陸では農作物や家畜の伝播が速かったのか。

  2. アメリカ大陸における農作物の伝播の特徴は何か。

  3. 大陸の地理的な広がりの方向が人類の歴史にどのような影響を与えたか。

重要な概念:
技術の伝播(diffusion of technology):ある地域で生まれた技術が他の地域に広がること。
文明の発展速度(rate of development of civilization):文明の進歩や複雑化の速度。
地理的決定論(geographical determinism):地理的環境が人間の社会や文化を決定するという考え方。

考察:
第10章は、地理的要因が人類史に与えた影響を論じた刺激的な内容である。ユーラシア大陸が東西に広がっているのに対し、アメリカ大陸やアフリカ大陸は南北に長いという事実。これが農作物や家畜、技術の伝播の速度に大きな違いをもたらしたという指摘は説得力がある。

ユーラシア大陸では、同じ気候帯の中で農作物や家畜が容易に広がった。メソポタミア起源の麦類が短期間でヨーロッパ全土に伝播したのは、まさにその好例だろう。一方、アメリカ大陸ではトウモロコシの伝播に何千年もかかった。気候帯の違いが、農作物の適応を困難にしたのだ。

さらに、車輪や文字などの技術の伝播も、東西方向に速く、南北方向に遅かった。これは農業の発展と密接に関わっている。農業の発展が技術の発展を促し、技術の発展がさらなる農業の発展を可能にする。この好循環がユーラシア大陸で起こり、他の地域を凌駕する力となったのではないか。

ただし、この議論にはいくつか注意点もある。まず、地理的決定論に陥らないことだ。地理が歴史を決定するわけではない。あくまで、地理が人類の選択の幅に影響を与えるのである。また、地理以外の要因、例えば文化や宗教の影響も無視できない。

とはいえ、本章の議論は示唆に富んでいる。それは、人類史を理解するには、自然環境との相互作用を視野に入れる必要があるということだ。私たちの文明は、地理的条件の中で育まれてきた。その事実を直視することが、history の本質を捉えることにつながるのではないだろうか。

第3部 銃・病原菌・鉄の謎

第11章 家畜がくれた死の贈り物

要約:

本章では、人間と動物の病原体の関係について考察し、旧大陸の病原体が新大陸の先住民に壊滅的な影響を与えた歴史的経緯を探る。人間は家畜化した動物から多くの感染症を受け取り、それらの病原体は人間社会の中で進化を遂げた。旧大陸では農耕の開始とともに人口密度が上昇し、都市の発達によって感染症が広まりやすい環境が生まれた。一方、新大陸には家畜由来の感染症や都市がほとんどなかった。その結果、旧大陸から持ち込まれた天然痘などの感染症が、免疫を持たない新大陸の先住民の間で大流行し、社会を崩壊させる一因となった。

印象的なフレーズ:

  • 「われわれのなかには、ペットの動物から病気をもらってしまう人がいる。犠牲者の数は大人より子供のほうが多いかもしれない。」

  • 「人類史上、病原菌が、病原菌がもっともおぞましい歴史的役割を果たした。」

  • 「病原菌は、農業が実践されるようになってとてつもない繁殖環境を獲得したといえる。しかし、病原菌にもっと素晴らしい幸運をもたらしたのが都市の台頭だった。」

重要なポイント:

  • 人間の感染症の多くは、家畜化された動物から受け取った病原体が進化したものである。

  • 旧大陸では農耕と都市の発達によって人口密度が上昇し、感染症が広まる条件が整った。

  • 新大陸には家畜由来の感染症がほとんどなく、旧大陸からもたらされた感染症が先住民に壊滅的な打撃を与えた。

  • 病原体と宿主の関係は、双方の進化の産物であり、時に宿主の存続を脅かすこともある。

質問:

  1. 人間の感染症の多くは、どのようにして動物から受け取られたのか。

  2. 旧大陸で感染症が広まりやすい条件となったのは、どのような社会的変化か。

  3. 新大陸の先住民が旧大陸からの感染症に対して脆弱だった理由は何か。

重要な概念:

集団感染症: 人口が密集した環境で流行しやすい感染症。麻疹、天然痘など。

病原体と宿主の進化: 病原体は宿主の中で進化し、宿主に適応する。時に宿主の死をもたらすこともある。

群居性動物: 群れをなして生活する動物。家畜化されやすく、感染症の病原体の起源となりやすい。

考察:

第11章は、人間と感染症の関係を進化の視点から捉えなおし、旧大陸と新大陸の歴史的な分岐点を探る意欲的な論考である。筆者は病原体を宿主との共進化の産物と見なし、その適応戦略を冷静に分析する。読者は感染症を「敵」とのみ見なす先入観を取り払い、生態系の一部として理解することを求められる。

特に印象深いのは、旧大陸の病原体が新大陸の先住民社会に壊滅的な打撃を与えたくだりだ。天然痘などのウイルスは、免疫を持たない先住民の間で爆発的に広がり、時に感染者の95%以上を死に至らしめた。スペイン人の残虐行為よりも、むしろ感染症こそが新大陸征服の決定打だったのである。

ただし、筆者の議論にも疑問が残る。新大陸になぜ感染症が存在しなかったのか、より掘り下げた考察が欲しいところだ。集約的な農耕や都市は存在していたのだから、別の要因を探る必要があるだろう。また、病原体の進化を意志的なものとして描くのは擬人化が過ぎるきらいがある。

とはいえ、本章は学際的なアプローチによって、感染症の世界史に新たな光を当てている。人間と微生物の関係は、一方的な「宿主と寄生体」ではなく、相互作用と共進化のダイナミズムとして理解すべきなのだ。私たちは日々、目に見えない生命との駆け引きの中で生きているのである。

第12章 文字をつくった人と借りた人

要約:

本章では、人類の文明史における文字の役割と起源について考察する。文字は知識の蓄積と伝達を可能にし、政治的・宗教的権力の源泉ともなった。しかし、文字の発明は容易ではなく、世界でも限られた地域でしか独自の文字システムは生まれなかった。メソポタミアの楔形文字とメソアメリカのマヤ文字は、表語文字と表音文字を組み合わせた複雑なシステムへと進化を遂げた。その他の地域の文字は、これらの先行する文字から派生したり、表記法の原理のみを借用したりすることで成立した。文字の伝播には地理的・言語的な障壁が大きな影響を与えた。

印象的なフレーズ:

  • 「もちろん、インカ人たちのように、文字を持たずして大帝国を治めることができた人びともいた。フン族相手に大敗したローマ軍のように、『文明人』が『野蛮人』に常に勝利できたわけではない。」

  • 「シュメール文字が登場する以前においても、肥沃三日月地帯では、何千年ものあいだ、さまざまな形をした粘土片を使って、羊の数や穀物の量が記録されていた。」

  • 「アルファベットの歴史は、エジプトの象形文字にまでさかのぼることができる。」

重要なポイント:

  • 文字の発明は人類の知的活動の中でも特に困難な営みであり、世界でも限られた地域でしか独自に達成されなかった。

  • シュメール文字とマヤ文字は、表語文字と表音文字を組み合わせた複雑なシステムへと進化した。

  • 文字は発祥地から周辺地域へと伝播したが、その過程は地理的・言語的な障壁に大きく影響された。

  • 初期の文字は抽象的な思考を表現するには不十分で、主に権力者の道具として用いられた。

質問:

  1. シュメール文字とマヤ文字は、どのようにして表語文字と表音文字を組み合わせたシステムへと進化したか。

  2. 世界の多くの地域で、なぜ独自の文字が発明されなかったのか。

  3. 初期の文字の用途と使用者の特徴は何か。

重要な概念:

表語文字: 一つの文字が一つの単語や意味を表す文字体系。例えば漢字など。

表音文字: 一つの文字が一つの音を表す文字体系。アルファベットなど。

文字の伝播: ある地域で発明・使用された文字が、別の地域へと広まっていくこと。

考察:

第12章は、人類史における文字の意義と伝播の諸相を手際よく整理した好論である。筆者は文字の発明が知的に極めて困難な営みだったことを強調し、シュメールとマヤの事例を詳細に検討する。両者に見られる表語文字と表音文字の組み合わせは、言語を視覚的に記録する試行錯誤の産物なのだ。

興味深いのは、文字が発祥地から周辺へと伝播する際の障壁についての指摘だ。たとえばメソアメリカの文字は、わずか1200キロ離れたアンデスにさえ伝わらなかった。文字という技術は、言語と深く結びついているがゆえに、その伝播には地理的のみならず言語的な障壁が立ちはだかるのである。

ただし、アルファベットの起源についての記述は、やや単純化が過ぎるきらいがある。セム系文字の母音表記については異論もあるし、ギリシア文字への伝播経路ももう少し複雑だろう。

とはいえ、本章は文字の伝播を大局的に捉えようとする意欲作である。ここで描かれるのは、発明と借用を繰り返しながら広がっていく文化の姿だ。文字は単なる記号ではなく、人間の思考を映し出す鏡なのである。その伝播の軌跡をたどることは、文明の盛衰を知的に再構築する作業にほかならない。文字を読み解くとは、すなわち人類の精神を読み解くことなのだ。

第13章 発明は必要の母である

要約:

本章では、人類の技術史における発明のプロセスと伝播の諸相について考察する。紀元前1700年頃のクレタ島で発見された「ファイストスの円盤」は、粘土に活字を押した最古の印刷物だが、後世に伝播することはなかった。発明は社会の必要に応じて生み出されるとは限らず、むしろ発明が新たな必要を生むことも多い。エジソンの蓄音機やオットーの内燃機関は、発明当初は用途が不明確だった。発明者の功績は、しばしば過大評価されがちだが、彼らは先行する発明の延長線上に立っているにすぎない。技術の発展は、累積的かつ自己触媒的なプロセスなのだ。古代の発明は偶然の産物であることが多いが、科学的な発明を可能にしたのは、金属の精錬など、先行する技術の蓄積である。また、発明の伝播には地理的な障壁が大きな影響を及ぼしている。

印象的なフレーズ:

  • 「ファイストスの円盤の記号は、四五種類という数からして、アルファベットというよりは音節文字であることを示唆している。しかし、記号の意味はいまだに解読されていない。」

  • 「つまり、多くの場合、『必要は発明の母』ではなく、『発明は必要の母』なのである。」

  • 「科学技術は、それまでの技術への精通を前提として前進する。科学技術の進展過程が自己触媒的である理由の一つはここにある。」

重要なポイント:

  • 発明は必ずしも社会の必要に応じて生み出されるわけではなく、発明自体が新たな必要を生むこともある。

  • 発明者の功績は過大評価されがちだが、彼らは先行する発明の蓄積の上に立っているにすぎない。

  • 技術の発展は累積的かつ自己触媒的なプロセスであり、ある発明が新たな発明を生む連鎖が見られる。

  • 発明の伝播には地理的な障壁が大きな影響を及ぼし、隔絶された社会では技術の停滞や後退も起こりうる。

質問:

  1. 「ファイストスの円盤」が示唆する技術とは何か。またなぜそれが広く伝播しなかったのか。

  2. 発明は社会の必要に応じて生み出されるというのは本当だろうか。筆者の見解は何か。

  3. 技術の発展が「自己触媒的」であるとはどういう意味か。

重要な概念:

累積的技術発展: 新しい技術が、それ以前の技術の蓄積を前提として生み出されること。

自己触媒的発展: ある技術の発展が、連鎖的に新たな技術の発展を促進すること。

技術の伝播: ある社会で生み出された技術が、他の社会へと広まっていくこと。

考察:

第13章は、発明のプロセスと技術の伝播をめぐる刺激的な論考である。筆者は「ファイストスの円盤」を手がかりに、技術史の通説に鋭い疑問を投げかける。社会の必要が発明を促すというより、むしろ発明が新たな必要を生み出すことの方が多いのだ。

興味深いのは、発明者の功績が過大評価されがちだという指摘だ。彼らは天才として祭り上げられるが、実際には無数の先行者の努力の上に立っているにすぎない。ワットが蒸気機関を、エジソンが白熱電球を生み出せたのも、そこに至るまでの技術の蓄積があったればこそなのである。

ただし、発明の「必然性」を強調するあまり、個人の創造性を過小評価するのも片手落ちだろう。技術の発展には、しばしば「飛躍」の契機が必要であり、それを担うのは個性的な発明者なのだ。彼らなくして、技術の連鎖は停滞を余儀なくされたかもしれない。

とはいえ、本章の眼目は技術の伝播をめぐる卓抜な考察にある。ユーラシア大陸では発明が東西に広がりやすかった一方、南北に長いアメリカ大陸では伝播が困難だった。オーストラリアのように隔絶された環境では、独自の発明すら乏しかった。逆に日本などでは、伝播した技術を忘却することすらあった。

ここから浮かび上がるのは、人類の技術が地理的条件と不可分だったという事実である。われわれは発明を「普遍的」なものと捉えがちだが、その実現と伝播は、自然環境といった偶然の産物でもあるのだ。技術の向背には、つねに目に見えない力学が作用している。それを読み解くことは、人間の創造性の可能性と限界を知る営みでもあるだろう。

第14章 平等な社会から集権的な社会へ

要約:

本章では、人類の社会進化の道筋を辿り、平等な小規模社会からいかにして集権的な大規模社会が生まれたのかを考察する。最初の人類は小規模血縁集団を形成して暮らしており、そこでは平等性が高く、指導者の権力も限定的だった。人口増加に伴い、紛争解決の必要性から部族社会が生まれ、リーダーの権力が次第に強まった。首長社会では首長が世襲で地位を継承し、富の再分配を通じて権力を行使した。国家は征服や外圧をきっかけとしてさらに大規模化・集権化し、官僚制と常備軍を備えるに至った。国家は文字の発明や食料生産の拡大と結びついており、権力の正当化には宗教が大きな役割を果たした。社会の進化は一方向的なものではなく、君主制から民主制への移行など、様々な経路をたどっている。

印象的なフレーズ:

  • 「平民より上等な生活を堪能しながら、彼らのあいだで不人気にならないためにはどうしたらいいのか。歴史上、エリート階級たちは、つぎの四つの方法をさまざまに組み合わせて、この問題に対処してきた。」

  • 「ニューギニアやアマゾンで移動生活を送っている小規模血縁集団間で起こる戦争は、こうした結末に終わる傾向にある。」

  • 「国家の官僚は、その人の経験や能力を少なくともある程度考慮したうえで選ばれる専門家である。国家における指導者の地位は、時代を経るにつれ、最近の国家においてそうであるように、特定の家系で世襲されなくなる。」

重要なポイント:

  • 人類最初の社会形態は小規模血縁集団であり、平等性が高く、指導者の権力は限定的だった。

  • 人口増加に伴い紛争解決の必要性から部族社会が生まれ、首長社会では首長が富の再分配を通じて権力を行使した。

  • 国家は征服や外圧をきっかけに大規模化・集権化し、官僚制と常備軍を備えるに至った。

  • 国家の形成には食料生産の拡大と文字の発明が関わっており、権力の正当化には宗教が重要な役割を果たした。

質問:

  1. 人類最初の社会形態はどのようなものだったか。そこでの平等性と指導者の権力はどうだったか。

  2. 部族社会から首長社会へと進化する際の原動力は何か。

  3. 国家の形成に関わった要因にはどのようなものがあるか。

重要な概念:

小規模血縁集団: 数十人規模の狩猟採集民社会。平等性が高く、指導者の権力は限定的。

部族社会: 数百人規模の定住農耕社会。血縁や地縁で結ばれ、首長が一定の権力を持つ。

首長社会: 数千人規模の社会。首長が世襲で地位を継承し、富の再分配を通じて権力を行使する。

考察:

第14章は、人類の社会進化を小規模血縁集団から国家に至るまで、幅広い視野で捉えた野心的な論考である。筆者は人類学や考古学の知見を踏まえつつ、社会の発展を人口動態や生産様式の変化と結びつけて説明する。そこには単線的な進化史観を超えた、重層的な洞察が光っている。

特に印象深いのは、支配と平等のダイナミズムについての考察だ。国家は強大な権力を握るが、その実効支配のためには、民衆の不満を和らげる戦略が不可欠となる。富の再分配や治安維持、イデオロギーの利用などは、為政者が古くから用いてきた手法なのである。

ただし、国家形成の議論は、やや図式的に過ぎる嫌いもある。征服説や外圧説は一面的であり、国家の発生には内的な契機もあったはずだ。宗教と権力の関係も、もう少し丁寧に論じる必要があるだろう。

とはいえ、本章は社会の進化を貫く普遍的な力学を浮き彫りにしている。人口増加が社会の複雑化を促し、集権化が進むにつれて統治の技法が洗練されていく。その一方で、支配と被支配のせめぎ合いが絶えず続いている。国家は強大だが、決して不可侵ではないのだ。

ここから導かれるのは、社会進化の複雑な道のりである。小規模社会から国家への一方通行ではなく、進化と退行、統合と分裂が絶えず繰り返されてきた。現代の民主制国家も、この長い歴史の一コマでしかない。社会の形態は時代とともに移ろうが、権力と平等のダイナミズムは普遍なのかもしれない。われわれはいま、新たな社会秩序を模索する岐路に立っている。その行く末を占うためにも、人類の遥かな軌跡を振り返る作業は欠かせないのである。

第4部 世界に横たわる謎

第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー

要約:

本章では、オーストラリア大陸とニューギニアの自然環境と人間社会の特異性について考察する。両地域は近接しているが、自然環境も言語も大きく異なる。オーストラリアは乾燥が厳しく、土壌が痩せており、気候変動も激しい。そのため農業に適さず、アボリジニは狩猟採集を続けた。一方ニューギニア高地では集約的な農耕が発達し、高い人口密度を支えた。両者の違いは、家畜化・栽培化可能な生物種の多寡と、地理的障壁の存在で説明できる。オーストラリアの征服は、この環境的要因とヨーロッパ人の技術的優位が相俟って起きた出来事だった。

印象的なフレーズ:

  • 「オーストラリア先住民たちは、食料生産を独自に発達させなかったわけでもない。ヤムイモや、タロイモや、クズウコンなどは、南ニューギニアだけでなく、北オーストラリアにも野生の状態で分布している。北オーストラリアに住んでいたアボリジニも、これらの植物を採集していた。」

  • 「ヨーロッパ人がニューギニアを植民地化したのであって、その逆ではなかった理由は、はっきりしている。ヨーロッパ人は外洋船と羅針盤を持っていた。地図や、詳しい道のりや、ニューギニア支配を確立するための書類を作成する文字や印刷機を持っていた。」

  • 「ヨーロッパ人がニューギニアに大量に定住できなかったもう一つの理由は、ヨーロッパの農作物や家畜がニューギニアの自然環境にまったく適していなかったことである。」

重要なポイント:

  • オーストラリアとニューギニアは地理的に近接しているが、自然環境と人間社会が大きく異なる。

  • オーストラリアの厳しい自然環境が農耕の発達を阻み、アボリジニの技術的発展を制限した。

  • ニューギニア高地では豊かな自然環境を背景に集約的農耕が発達し、高い人口密度を支えた。

  • 両地域の差異は、農業に適した生物種の多寡と、地理的障壁の存在で説明できる。

  • ヨーロッパ人のオーストラリア征服は、環境要因とヨーロッパ側の技術的優位が重なった結果だった。一方、ニューギニアの自然環境はヨーロッパ人の定住に適さなかった。

質問:

  1. オーストラリアの自然環境の特徴は何か。それがアボリジニの生活にどう影響したか。

  2. ニューギニア高地では、なぜ集約的な農耕が発達したのか。

  3. オーストラリアとニューギニアの人間社会の違いは、どのような要因で説明できるか。

重要な概念:

火おこし棒農法: アボリジニが行っていた狩猟採集の一形態。定期的に野火を放つことで、動植物の生産性を高める方法。

ラピタ式土器: オーストロネシア系移民がニューギニア周辺に広めた特徴的な土器。彼らの拡散の考古学的証拠となっている。

トレス海峡: オーストラリア大陸とニューギニア島を隔てる海峡。両地の人々の交流はこの海峡を介して行われた。

考察:

本章は、一見すると似通った地域でありながら、決定的に異なる発展を遂げたオーストラリアとニューギニアの歴史を比較することで、環境が人間社会に与える影響の大きさを浮き彫りにしている。

オーストラリアの厳しい自然環境は農耕に適さず、アボリジニは狩猟採集を続けざるを得なかった。彼らは火おこし棒農法など独自の技術を発達させたが、食料生産の規模は限られていた。一方、ニューギニア高地の豊かな環境は集約的農耕を可能にし、高い人口密度を支えた。両者の差は、家畜化・栽培化に適した生物種の多寡と、海や山脈による隔離の度合いに起因するという指摘は説得力がある。

ヨーロッパ人によるオーストラリア征服は、こうした環境的要因とヨーロッパ側の圧倒的な技術力が重なった結果と言える。対照的に、ニューギニアの自然環境はヨーロッパの農業や家畜にはむしろ不向きで、マラリアなどの風土病もヨーロッパ人の定住を阻んだ。先住民の農耕社会を完全に置き換えることは不可能だったのである。

本章の考察は、人間社会の多様性が、普遍的な人間性の違いではなく、自然環境の差異に深く規定されていることを示唆している。もちろん、環境決定論に陥ることなく、人間の創意工夫の可能性にも目を向ける必要があるだろう。とはいえ、長いスパンで見れば、環境から自由な社会の発展はありえない。その意味で、環境と人間の相互作用こそ、人類史を解明する鍵と言えるのかもしれない。

第16章 中国はいかにして中国になったか

要約:

本章では、中国における政治的・文化的統一がいかにして達成されたかを考察する。中国は、南北で気候や生態系が大きく異なり、多様な民族が暮らす地域でありながら、早くから統一国家を形成した。その過程で、北方の華夏民族が南方の諸民族を同化し、シナ・チベット語や漢字文化を広めていった。この統一は、中国における地理的障壁の少なさと、長江・黄河など大河川による地域の結びつきの強さに起因する。東アジアの他地域も中国文化の強い影響を受けたが、完全な同化は起きなかった。

印象的なフレーズ:

  • 「中国の中央部の州、チベット・ビルマ系ロン族(レプチャ族)の地域、中国西南部のイ族(彝族)の地域、そして彼らを取り巻く蛮族の地域といった、五つの地域の住人には、変えようのない、共通した性質が見られる。」

  • 「中国では、北部で起こった周王朝を手本に、紀元前の一〇〇〇年間に国家統一がなされ、紀元前二一一年に秦王朝が誕生している。中国文化も、文字を読み書きできる「文明化された」中国人たちの国が読み書きのできない「野蛮人たち」を征服したり、「野蛮人たち」が中国人の文化を取り入れたりする過程を通じて統一されていった。」

  • 「中国は、紀元前二二一年には政治的に統一されていた。それ以来、中国が統一されていなかった時代はあまりない。文字システムも、中国では最初から同じものが使われてきていて、ヨーロッパのように、何十もの異なるアルファベットが使われているわけではない。」

重要なポイント:

  • 中国は南北で自然環境が大きく異なり、多様な民族が暮らす地域でありながら、早くから統一国家を形成した。

  • 国家統一のプロセスで、北方の華夏民族が南方の諸民族を同化し、言語・文化の統一が進んだ。

  • 中国の統一は、地理的障壁の少なさと、大河川による地域のつながりの強さに起因する。

  • 東アジアの他地域も中国文化の影響を強く受けたが、日本や朝鮮のように独自性を維持した地域もある。

  • 中国の政治的・文化的統一は、東アジア全体の歴史を方向づけた重要な出来事だった。

質問:

  1. 中国では、なぜ早い時期から統一国家が形成されたのか。

  2. 中国の国家統一のプロセスで、北方の華夏民族はどのような役割を果たしたか。

  3. 東アジアの他地域が中国化を免れた理由は何か。

重要な概念:

華夏民族: 中国の北方に起源を持つ民族。周王朝の建設を主導し、のちに中国全土に拡散した。

シナ・チベット語族: 中国語、チベット語など、中国とその周辺で話される言語の系統。中国の統一とともに各地に広まった。

秦の始皇帝: 中国全土を統一し、秦王朝を樹立した皇帝。焚書坑儒など、統一のための過激な政策を行ったことで知られる。

考察:

本章は、中国史の最大の特徴である早期の政治的・文化的統一がいかにして達成されたかを論じている。多様な自然環境と民族から成る中国で、なぜ強固な統一国家が生まれたのか。その問いに、著者は中国の地理的条件に一つの答えを見出している。

中国には、ヨーロッパのような海や山脈による明確な地理的障壁がない。黄河と長江の二大河川が各地を結びつけ、人・モノ・情報の交流を促した。中原の華夏民族は、この地理的条件を背景に周辺諸民族を服属させ、言語・文化の同化を進めることができたというのである。

一方で、朝鮮半島や日本列島は中国と同じ文化圏でありながら、独自の民族性を保った。これは、これらの地域が中国から海で隔てられ、一定の独立性を維持できたためだろう。つまり、地理的な「適度な隔たり」の有無が、中国化の度合いを分けたと言えるかもしれない。

しかし、中国の統一を地理だけで説明するのは不十分だ。国家統合の論理や、儒教的イデオロギーの役割なども検討する必要がある。とはいえ、中国史を考える上で地理の要因は看過できない。東アジア文明の盛衰もまた、中国という磁場の影響下にあった。

本章は、中国の特殊性を浮き彫りにすると同時に、アフロ・ユーラシア大陸東部における文明の力学を描き出している。ここから、世界史の多様性と普遍性を読み解くヒントが得られるだろう。環境と人間の織りなす複雑な相互作用のなかに、歴史の本質が隠れているのかもしれない。

第17章 太平洋に広がっていった人びと

要約:

本章では、オーストロネシア人の東南アジアから太平洋への拡散について考察する。彼らは、中国南部から台湾、フィリピン、インドネシア、オセアニア、マダガスカルへと広がり、各地の先住民と交わった。この拡散は、言語学的証拠と考古学的証拠から裏付けられる。オーストロネシア人はまた、高度な航海術を発展させ、太平洋の島々へ到達した。一方、ニューギニアでは、マラリアなどの風土病や農耕に適さない環境が、オーストロネシア人の侵入を阻んだ。先住民の農耕社会を完全に置き換えることはできなかったのである。

印象的なフレーズ:

  • 「オーストロネシア人は、すでにニューギニアに住みついていた人びとに対して、有利な立場にたてるようなものをほとんど持っていなかった。オーストロネシア人が生活の糧にしていたタロイモやヤムイモやバナナといった作物にしても、彼らがニューギニアに到達する以前に、ニューギニア人によってすでに栽培化されていたと思われる。」

  • 「ビスマーク諸島やソロモン諸島、ニューギニア北部沿岸部の人びとは、遺伝子レベルでは一五パーセントがオーストロネシア人の血であり、八五パーセントがニューギニア高地人の血である。明らかに、オーストロネシア人はニューギニアに到達していた。しかし、内陸部にまで入り込めず、北部沿岸や島々にもともと住んでいた人びととと入り混じってしまったのであろう。」

  • 「オーストロネシア人が存在していたことを示す考古学的証拠が、ソロモン諸島から一〇〇〇マイル(約一六〇〇キロ)以上東にある、フィジー、サモア、トンガなどの太平洋諸島で見られるようになるのは、紀元前一二〇〇年頃である。」

重要なポイント:

  • オーストロネシア人は中国南部から東南アジア、オセアニア、マダガスカルへと広く拡散した。

  • 言語学的証拠と考古学的証拠から、オーストロネシア人の起源と拡散のプロセスが明らかになっている。

  • オーストロネシア人は高度な航海術を発展させ、太平洋の島々へ到達した。

  • ニューギニアでは、風土病や農業環境の違いから、オーストロネシア人は内陸部へ侵入できず、沿岸部で先住民と混血した。

  • オーストロネシア人の拡散は、東南アジアから太平洋にかけての文化・言語の多様性を生み出した。

質問:

  1. オーストロネシア人の起源について、言語学的証拠と考古学的証拠は何を示しているか。

  2. オーストロネシア人はどのようにして太平洋の島々へ到達したのか。

  3. なぜオーストロネシア人はニューギニア内陸部へ侵入できなかったのか。

重要な概念:

オーストロネシア語族: 台湾原住民語、マレー語、ポリネシア語など、東南アジアからオセアニアにかけて分布する語族。

ラピタ文化: 紀元前1500年頃のメラネシアで栄えた先史文化。特徴的な土器が出土する。オーストロネシア人の拡散と関連づけられている。

マダガスカル: アフリカ大陸の東に浮かぶ島。言語的にはオーストロネシア語族に属し、インドネシアからの移民によって成立したと考えられている。

考察:

本章は、オーストロネシア人の東南アジアから太平洋への壮大な拡散の歴史を浮き彫りにしている。彼らの移動は、海洋民族の冒険譚とも言うべきスケールと多様性を持っている。

オーストロネシア人の起源と拡散の過程は、言語学と考古学の見事な協働によって解明されつつある。とりわけ、彼らの高度な航海術は、人類史上の画期的な事象と言えるだろう。太平洋の島々への到達は、グレートジャーニー以来の快挙だったに違いない。

一方、ニューギニアにおけるオーストロネシア人と先住民の関係は、環境と文化の相互作用を示す興味深い事例である。マラリアなどの風土病、ニューギニア固有の農耕文化が、オーストロネシア人の侵入を阻んだのである。先住民を駆逐するどころか、彼らと混血せざるを得なかった。ここには、人間の意思を超えた、自然の力の大きさを見る思いがする。

オーストロネシア人の拡散は、東南アジアから太平洋にかけての文化的・言語的多様性の源泉となった。それは、単なる人の移動ではなく、様々な文化が交錯する壮大な文明の坩堝だったのである。

本章を通じて、私たちは改めて、人類の歴史が自然環境と切り離せないことを認識させられる。海や島々の地理が、オーストロネシア人の運命を方向づけた。彼らの物語は、環境に適応し、ときに抗いながら生きる人間の姿を映し出している。グローバル・ヒストリーの視点から見れば、オーストロネシア人の航海は、地域を結びつけるためのチャレンジだった。彼らなくして、現代の多文化世界は生まれなかったかもしれない。その意味で、彼らの足跡は、人類全体の遺産と言えるだろう。

第18章 旧世界と新世界の遭遇

要約:

本章では、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の征服がなぜ起こったのかを考察する。1492年時点で、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間には、食料生産、家畜化、病原菌、技術などの面で大きな差があった。アメリカ大陸では、家畜や鉄器、文字の使用が限られ、ユーラシア大陸からの伝播を受けなかった。この違いは、地理的条件の差異に由来する。征服時、ヨーロッパ人は病原菌、鉄器、政治組織などの点で優位に立っており、アメリカ先住民を圧倒した。ユーラシアの環境がこの優位を生み出したのである。

印象的なフレーズ:

  • 「南北アメリカ大陸では、外部から農作物が伝播してくるや、食料生産が盛んになっているので、競合的な食料生産システムの発展の遅れの原因が、栽培化に適した性質の野生植物の不足にあったことは明らかである。」

  • 「南北アメリカ大陸では、発明や技術においてもっとも進んでいた中央アメリカ、合衆国東部、そしてアンデス地方やアマゾン川流域の社会のあいだで、家畜や、文字システムや、政治システムが伝播することがなかった。」

  • 「技術の発達に深刻な影響をあたえているカースト制度がインドで古くから定着していることも、環境的な要因で説明できるのだろうか。儒教哲学や文化的保守主義が中国に根付き、歴史にかなりの影響をあたえたと思われることも、環境的な要因で説明できるのだろうか。」

重要なポイント:

  • 1492年時点のユーラシア大陸とアメリカ大陸の間には、食料生産、家畜化、病原菌、技術などの面で大きな差があった。

  • アメリカ大陸では、地理的条件のために、ユーラシアからの文化的伝播が起こりにくかった。

  • ヨーロッパ人は、病原菌、鉄器、政治組織などの優位性を背景に、アメリカを征服した。

  • この優位性は、ユーラシア大陸の環境条件によって生み出された。

  • 個人の特質も歴史に影響を与えるが、環境の影響のほうがはるかに大きい。

質問:

  1. 1492年時点で、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間にはどのような違いがあったか。

  2. なぜアメリカ大陸では、ユーラシアからの文化的伝播が起こりにくかったのか。

  3. ヨーロッパ人のアメリカ征服を可能にした要因は何か。

重要な概念:

大陸横断型交換: ユーラシア大陸の東西方向の文化伝播。農耕や牧畜、技術などが広く共有された。

同質な環境: 同緯度で気候や日照時間が似ている地域。作物や家畜の伝播が起こりやすい。

集団感染症: 人口密集地で流行する伝染病。ユーラシアで発生し、アメリカ先住民に大打撃を与えた。

考察:

本章は、旧世界と新世界の衝突という歴史の大転換を、環境と文化の相互作用という視点から捉えている。1492年のコロンブスの到来は、二つの異なる世界の出会いであり、その後の世界史を決定づける出来事だった。

著者は、この衝突の帰結があらかじめ決まっていたかのように見える理由を、両大陸の環境の違いに求めている。ユーラシア大陸は、東西に広がる同質な環境のおかげで、農耕や牧畜、技術などの文化的要素を共有することができた。一方、南北に長いアメリカ大陸は、環境の多様性ゆえに文化の伝播が難しかった。ヨーロッパ人の優位は、こうした環境の産物だったのである。

このように環境の役割を強調する一方で、著者は歴史における人間の意思の問題も軽視していない。個人の決定が歴史の分岐点になることは、たしかにありうる。とはいえ、長いスパンで見れば、やはり環境の影響のほうが大きいというのが著者の見立てである。

私見では、著者の議論は概ね説得的だが、物理的環境と文化的環境のバランスについてもう少し考察が欲しいところだ。とりわけ、カーストや儒教の例が示すように、観念的な文化の要因が環境から独立して歴史を動かすこともあるはずだ。環境決定論に陥ることなく、より複眼的な分析が求められよう。

ともあれ、本章が提示する「環境と文化の相互作用」という視座は、グローバル・ヒストリー研究に欠かせない。旧世界と新世界の遭遇は、その極端な事例と言えるだろう。二つの異質な文明が出会い、そこから新たな世界が生まれる。そのダイナミズムを読み解くことは、現代世界を理解する上でも重要なはずである。われわれもまた、自然と文化の狭間で歴史を作り続けているのだから。

第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

要約:

本章では、アフリカ大陸の人種的・文化的多様性と、その歴史的形成過程について論じる。アフリカには、黒人、白人、ピグミー、コイサン、アジア系など、多様な人種が暮らしてきた。この多様性は、アフリカの生態的多様性と長い人類史を反映している。食料生産の開始時期や適地の分布は、ユーラシアと比べて不利だった。サハラ以南では、バンツー系農耕民が拡散し、狩猟採集民を同化・駆逐した。ヨーロッパ人も病原体と物質文化の優位を背景に、アフリカに進出した。こうして、現在のアフリカの民族・言語・文化の分布が形作られたのである。

印象的なフレーズ:

  • 「アフリカ大陸に暮らしていた五つの人種のうち、黒人と白人は人口も多く、よく知られているので、彼らの身体的特徴をあえて説明する必要もないと思われる。」

  • 「アフリカには、人びとが小規模集団に分かれて暮らしていただけでなく、地理的にも孤立していて、技術やアイデアが到達しにくいという問題もあった。」

  • 「バンツー族は大群を組んで、行く手をふさぐコイサン族をけちらしながら前進した、と彼らの拡散を単純化して思い描くのは簡単である。しかし現実にはもっと複雑な過程を経て、バンツー族は拡散していった。」

重要なポイント:

  • アフリカには、黒人、白人、ピグミー、コイサン、アジア系など、多様な人種が暮らしてきた。

  • この多様性は、アフリカの地理的・生態的多様性と、長い人類史を反映している。

  • アフリカでは、ユーラシアと比べて、食料生産の開始が遅く、適地も限られていた。

  • サハラ以南では、バンツー系農耕民が拡散し、狩猟採集民を同化ないし駆逐した。

  • ヨーロッパ人は、病原体と物質文化の優位を背景に、アフリカに進出し、征服を進めた。

質問:

  1. アフリカにはどのような人種が暮らしてきたか。またその多様性はなぜ生じたのか。

  2. アフリカにおける食料生産の展開は、ユーラシアとどう異なっていたか。

  3. バンツー系農耕民の拡散は、アフリカの民族地理にどのような影響を与えたか。

重要な概念:

コイサン: 南部アフリカに暮らす狩猟採集民。肌は黄褐色で、言語に特徴的なクリック音がある。

バンツー語派: サハラ以南のアフリカに広く分布する語族。話者の多くは農耕に従事している。

マダガスカル: アフリカ東海岸の島。言語的にはアジア系のマダガスカル語が卓越する。

考察:

本章は、アフリカという一つの大陸のなかに、実に多様な人種と文化が共存してきた歴史を浮き彫りにしている。現在、アフリカと言えば黒人の世界というイメージが強いが、その実態は決して単純ではない。アフリカの多様性は、地理的・生態的な多様性を反映しているのである。

著者は、アフリカの食料生産の展開を丹念に跡づけることで、ユーラシアとの違いを明らかにしている。適地の分布が限られ、家畜化可能な動物種が少なかったことが、アフリカの農業の発展を制約したというのは納得がいく。ユーラシアの文明と比べた「後進性」も、こうした環境的要因に根ざしていたことが分かる。

サハラ以南における、バンツー系農耕民の拡散は、アフリカ史の重要な転換点だったと言えるだろう。農耕という新しい生業が、狩猟採集民を駆逐ないし同化し、民族地理を塗り替えていく。ヨーロッパ人との接触以前に、すでに大規模な文化的変容が起こっていたのである。

一方、ヨーロッパ人のアフリカ進出は、病原体と物質文化の脅威をもたらした。とりわけ、ユーラシア起源の感染症は、免疫を持たないアフリカ人に大打撃を与えた。この非対称な関係が、のちの植民地支配の前提となったことは想像に難くない。

アフリカの人種的・文化的多様性は、現代に至るまで根強く残っている。しかし、その淵源をたどれば、自然環境への適応と異文化との接触という、壮大な歴史のドラマが浮かび上がる。本章は、一見雑多に見えるアフリカの民族誌を、生態史と交流史の文脈で捉え直すことの意義を示してくれる。

環境と社会の複雑な相互作用を一つひとつ解きほぐしていく作業は、アフリカ史研究に欠かせないアプローチだろう。同時に、それは人類史全体を見渡す上でも示唆に富む。アフリカの経験は、人間と自然の関係を根本から問い直すきっかけとなるはずだ。私たちもまた、自然という舞台の上で、多様な文化を紡ぎ続けているのだから。

エピローグ 科学としての人類史

要約:

本書を通じて、人類史における環境の役割について論じてきた。人類の多様性は、人種的な違いではなく、環境の違いによって生み出されたのである。重要な環境要因として、(1)利用可能な動植物種の多様性、(2)大陸の地理的特性、(3)隣接する文化との接触の度合い、(4)人口規模と集団間競争の激しさ、の4つがあげられる。一方、文化の固有性や個人の特質も歴史に影響を与える。これらの問題を探求するためには、自然科学の手法を用いた「歴史科学」のアプローチが有効である。比較分析や自然実験から法則性を見出す試みは、歴史を科学的に解明する上で欠かせない。21世紀の人類社会を展望する上でも、このような視座が求められる。

印象的なフレーズ:

  • 「人類の長い歴史が大陸ごとに異なるのは、それぞれの大陸に居住した人びとが生まれつき異なっていたからではなく、それぞれの大陸ごとに環境が異なっていたからである」

  • 「歴史学は、通常、理系の学問ではなく文系の学問に近いと考えられている。あえて科学的な学問分野にふくめようとすれば、社会科学のなかでもっとも理系寄りではない学問に分類されるくらいである。」

  • 「天文学などをふくむ広い意味での歴史科学に属する学問は、物理学、化学、分子生物学などの自然科学と一線を画す特徴を多く共有している。これらの共通点のうち、おもだったものは、方法論、原因・結果の因果律による説明、予測性、複雑性の四つであると私は思う。」

重要なポイント:

  • 人類の多様性は、環境の違いに起因する。人種的な違いではない。

  • 重要な環境要因として、生物資源、地理、文化接触、人口規模の4つがある。

  • 文化の固有性や個人の特質も、歴史に一定の影響を与える。

  • 歴史を科学的に探求するためには、比較分析や自然実験が有効である。

  • 歴史科学は、自然科学とは異なる特徴を持つが、法則性の発見を目指す点で共通する。

質問:

  1. 人類史の多様性を生み出した主な環境要因として、著者は何をあげているか。

  2. 歴史における文化の固有性と個人の役割について、著者はどのような見方を示しているか。

  3. 著者が提唱する「歴史科学」とは何か。それはなぜ必要とされるのか。

重要な概念:

歴史科学: 過去の事象を研究対象とする学問分野。比較分析や法則定立をめざす科学的アプローチをとる。

文化の固有性: 環境とは無関係に生じうる文化的特徴。歴史展開の偶然的な要因となりうる。

大自然の実験: 人為的な操作を伴わない比較研究。異なる環境条件下での歴史的事例を分析する。

考察:

エピローグは、本書全体の議論を振り返りつつ、新たな人類史研究の可能性を示唆している。著者のメッセージは明快だ。人間の営みはつねに自然との相互作用のなかにある。だからこそ、歴史を理解するには、自然と向き合う知性が求められるのである。

著者が強調するのは、何よりも環境の重要性である。利用可能な動植物種、地理的条件、隣接文化との接触、人口規模などの要因が、各地域の歴史を方向づけてきた。人種的な違いを云々するよりも、むしろこうした客観的な条件に目を向けるべきだというのが著者の主張だ。

もちろん、著者も文化の固有性や個人の役割を軽視しているわけではない。環境決定論に陥ることなく、複合的な視点から歴史を捉えようとしている。ただ、全体としては、やはり生態学的な視座に軸足を置いているようにみえる。

評者としては、この手法をさらに推し進め、歴史と自然科学の垣根を越えていく学際的な営みに大きな期待を寄せたい。比較分析と法則定立をめざす「歴史科学」の可能性は、決して過小評価できない。それはおそらく、考古学、分子人類学、環境史、世界システム論など、さまざまな分野の知見を総合する壮大な知的事業となるだろう。

同時に、様々な時空間スケールで因果関係を探る作業は、容易ではないはずだ。一つ一つのケーススタディを積み重ねながら、巨視的なパターンを見出していくことが求められよう。地道な実証と大胆な理論化の往復運動。それこそが、新しい学問を切り拓く王道なのかもしれない。

21世紀の人類社会は、かつてないスピードで変貌を遂げている。気候変動や感染症、グローバル化の波。私たちは、自らを取り巻く環境と、どのように向き合えばいいのか。ジャレド・ダイアモンドの思索は、この問いへの一つの指針となるはずだ。ここから新たな知の地平が拓けていく。それは同時に、人類の新たな可能性を拓くことでもあるだろう。


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