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22時の生姜焼き定食(エッセイ)#元気をもらったあの食事

時代はキラキラしていた。いや、ギラギラしていた。
日本一、人が行き交う交差点のモニターには、
キーの高い女性ヴォーカルの声が弾けるように響き、
赤文字に囲まれたファッション誌の表紙には、目を強調したメイクのモデル達が、笑顔で肩を並べて自分の美を競っていた。華やかだった。

右に倣えの保守的な時代から、突き抜けるように
流れ始めた渦に乗りたくて、
当時20歳だった私の足は、「東京」にあった。

「東京で超一流美容師になるねん!もう帰ってこんからなー!」
そう言い切って、見送る母の視線を感じていたが、
後ろを振り返りもせず新幹線に乗り、
「何もなくてつまらない」と思っていた田舎を飛び出した。

憧れの東京で、お店は小さいけれど、シャンプーしか入らせてもらえないけれど、なりたかった美容師!洗濯、掃除、先輩方のお弁当の買い出し、営業後は練習して帰るから毎日0時を回るけれど、頑張ろう!私は美容師!お給料は激安!家賃引いたら、食費は1万円。電気もまた止められたー!それでも私は美容師!頑張ろう!!と、気力が続いたのは2年が限界だった。

毎日、先輩には何かしら怒られる。辛い。手荒れが酷くてジャンケンは、パーしか出せない。痛い。一向に次の技術に入れない。悔しい。今なら何てことのない小さな悩みでも、当時の私は物凄く大きく悩みがちだった。

                *

「美容師…、向いてないんちゃうやろか。」
いよいよそんな風に思い始めた時、住宅地の角にポツンと溢れる窓からの灯り。
22時にも関わらずまだやっている、小さな洋食屋さんが目に入った。
年期の入った木のドアの向こうから、既にいい匂いがして来そうな雰囲気。
「また今度、給料が入ったら来よう。」そういつもの我慢の呪文を唱え、一度は通り過ぎた。…のだが、

そういや今日は忙しくて何も食べていない。
方向を変える。
こっぴどく怒られた今日は、自分を慰めるために良しとしよう。と、メニューの前に立つ。
「生姜焼き定食」なら所持金で食べられる。と、ドアをそろりと開けた。

ドミグラスソースの香りが私の鼻を迎えた。奥に細長い店内は、キッチンの前にカウンター席のみ。とても広いとは言えない店内に、サラリーマンの人、一人で来ている人達で、予想外にいっぱいだった。
「どうぞ」と、ご夫婦経営だろうか、一つだけ空いていた席を差した、奥さんらしき人に案内される。
BGMも無く、黙々と食べている店内は図書館のように
静かだった。

「ショ…、生姜焼き定食」
贅沢をする緊張が乗ってしまった声が、その場に居た全員に聞かれたようで少々恥ずかしかった。
目の前のキッチンから、トントントンと野菜を切る音、ジュッワーっと豚肉に生姜のタレが蒸気をあげて焼かれているのだろうか。たちまちいい香りが届いてきた。
私の生姜焼きが作られている。それだけで嬉しかった。

「はい、生姜焼き」

目の前に来たのは、平たいお皿に乗ったライス、お味噌汁。そして、てんこ盛りのキャベツに、薄くカットされたきゅうり。まぁるいポテトサラダ、程よく厚みのある豚バラ肉の贅沢感。太めのくし切りの玉ねぎに、艶々の生姜焼きのタレが、たっぷりと絡まっていた。

空きっ腹とのファーストコンタクトは、生姜のタレにホールドされた、ぷるんぷるんの豚肉。
口に入れた瞬間に頬の両側から涎が溢れたのを今でも覚えている。
一通り、空腹が満たされて、美味しさがさらに正常に伝わってきた時、その生姜焼きは目の前を滲ませた。

似ていたのだ。母の作る生姜焼きの味に

少し甘めの、生姜が多めの、あの味に。

               *

何もない田舎が嫌だった。いちいち心配する母から離れたかった。
「東京で超一流美容師になるねん!もう帰ってこんからなー!」
そう言い切った。見送る母の視線を痛いほど感じてはいたが、今後ろを振り返れば、決心が揺らぐ。私はこれから一人で頑張らなあかんねん。喉元まで何度も込み上げる嗚咽を我慢しながら、新幹線に乗り、窓辺にぽたぽたと涙を落とした。後戻りしない為の覚悟だった。

口の中に、懐かしい味とライスを交互にかき込みながら、思い出した。
新幹線に乗ったあの日から、日本一、人が行き交う交差点に立ったあの日から、自分に負けてはいけない。と、東京でやるんだ私は!と、覚悟した事を。

やれるだけ、やってみよう。この生姜焼きがあれば、
何だか頑張れる気がする。

「そんな事言わんと頑張り〜」と、口癖のように言う母の声がするから。

仕事終わりの22時の生姜焼き定食は、私を支えてくれた。

私の様子を見て、生姜焼きの量を増やしてくれていたり、唐揚げが一個おまけで付いている日もあった。

余計な事を話さないご夫婦の優しさにも励まされていた。

                *
あれから20年。何もないと言って出て行った田舎で、毎日楽しく美容師をしている。時々、母の生姜焼きを食べながら。









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