![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101364739/rectangle_large_type_2_d17dbeb4f97000598f2969dca50cb35e.jpg?width=1200)
私がなぜバイクに乗るのか
Twitterの方ではちょこちょこ呟くことが多いもののnoteの方ではほとんど書いたことがなかったのですが、私は普段バイクに乗ってます。
バイクと言っても125ccのPCXといういわゆる原付二種スクーターで、持ってる二輪免許は小型AT限定ですが(普通・大型ライダーの諸先輩方、ここでは原付やスクーターを含めてバイクと呼称することを大目に見てください)。
クルマという便利なものがありながらなぜバイクに乗るのか、自分の考えを書いていきます。
初めてバイクを自分で運転したのは、大学生時代のピザの宅配バイトで50cc原付に乗った時でした(厳密にはそれより前に自動車学校の教習でちょっと原付に跨ったことはありますが)。
そもそもあちこちに移動するのは苦じゃない性格だし、バイトなのに1人の時間が確保できるというのは魅力的だと思って応募した気がします。少なくとも、バイクに興味があったというわけではなかったです。
研修を終え、1人で原付に乗り配達に出た時。なんて自由で開放的なんだろうとひどく感動したのを覚えています。もちろんその時は配達の仕事中であり、走るルートや制限時間という枷はガッツリあるのですが、その枷を差し引いたとしても有り余る自由と開放感があったのです。
同時に、これが仕事じゃなくて行き先も時間も制限なく、自分の好きなように走れるとしたらどんなに楽しいだろうとワクワクしたものです。
大学生時代の移動手段というのはもっぱらママチャリでした。移動できるのは頑張っても精々片道2時間程度の距離が限界でした。
しかし原付の場合、全く力を込めなくてもスロットルをクイっと捻れば体を置き去りにしてグンッと前に進んでいきます。ママチャリの時からは考えられないスピードで、疲れ知らずで、上り坂だってへっちゃらです。なんて素晴らしいんだろうと思いました。
しかし結局プライベートで原付に乗ることはありませんでした。原付と出会ったのが大学生活は残り1/4程度というタイミングだったこともあり、今さら買ってもなあという感じだったからです。
その後バイトを辞め学生時代は終わり、学生時代を過ごした地を離れ、原付に乗ることは全くなくなりました。
社会人になり、移動手段はママチャリからクルマに。通勤も買い物も旅行も、相棒はいつもクルマでした。
しかしある時、勤め先の職員用駐車場が閉鎖されることになったのです。クルマ通勤したい人は自費で月極駐車場を契約することが必要に。ですがそれは勿体無い気がしました。
そこで思い付いたのが「今こそ、学生の時に乗りたいと思ってた原付を買ってそれで通勤すればいいじゃん」ということでした。
思い立ったらいてもたってもいられず、バイク屋さんに突撃。最初はYAMAHAのVOXに惹かれていたのですが、店頭で実物をあれこれ見比べているうちにBW'Sがお気に入りになり購入しました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101386003/picture_pc_c565653b650718597fbe619a009d3dbe.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101386310/picture_pc_1abf11b31eb76fa4ed3a175d3278878f.png?width=1200)
念願のマイ原付を手に入れて、日々の通勤はもちろん、ちょっと遠くまでツーリングにも行きました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101386538/picture_pc_58891bcba7209e33b91b6c17c24097e4.jpg?width=1200)
50ccの原付に乗り続けていると、やがて時速30キロ制限や2段階右折などを煩わしく感じるようになりました。
かといって普通・大型の二輪免許を取るのはハードルが高いように感じられて、どうしたものかと悩んでいたところ、オートマの原付二種免許なら最短2日で取得できるという情報を目にしました。
これだと思い、AT原付二種で乗れるバイクを調べてみたところ、HONDAのPCXに一目惚れしました。
“原付”と呼ばれるとはとても信じられない車格、デザイン、充実した装備に惚れ込みました。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101387048/picture_pc_7c3535235e75774cbcb7a7c70d153192.png?width=1200)
免許を取るまで少し躊躇する時間はありましたが、結局自動車学校に通って無事に免許をゲット。さすがに2日で免許取得は自動車学校と自分自身のスケジュール的に無理でしたが、それでもかなりスムーズでした。
バイク屋さんでBW'Sを手放し、PCXを購入しました。
納車された日はあいにくの雨でしたが、まっすぐ家に帰らず少し寄り道をして走りました。50ccとは全く異なるスピードで、何の問題もなくクルマ達と並んでスイスイ走れるのに大興奮でした。
さて、バイクヒストリーの前置きが随分長くなってしまいました。
なぜ私がバイクに乗るのかですが、答えは「楽しいから」に尽きます。
オイオイ散々引っ張ったあげくそんな陳腐で誰でも言えるような理由かよと思うかもしれません。私もそう思います。でもこれ以外に上手に表現できる語彙力がないんです。
ですので、ここからは「バイクの何が楽しいのか」について、少し考えを深めてみたいと思います。
バイクは言うまでもなく、クルマとは違って人間が剥き出しで乗って走る乗り物です。
クルマのように鉄のフレームやガラスで囲われてないので、安全性能は比べるまでもなくクルマより劣ります。
雨が降ったらそのまま濡れるしかありません。
空調なんてないので夏は暑くて溶けそうになるし、冬は寒くてガタガタ凍える羽目になります。
走りながら音楽やラジオを聴いて楽しむこともできません(中にはやってる人もいますが)。
ソファのような快適な座り心地のクルマのシートに比べて、バイクのシートなんてとても貧相なものです。
こうして比べてみると、バイクがクルマより優れている点なんて何もないように思います。
そう、バイクは“安全で快適に目的地まで移動する手段”としてはクルマには絶対に敵いません。
ではバイクの存在価値とは何なのか。
それは、走ることそのものや目的地まで移動する過程まで含めた全てを最大限に体感し、味わい、楽しむことができる乗り物であるというところにあると思います。
例えば移動中に雨が降った時。
クルマならフロントガラスにポツポツと雨粒がついたのを見てワイパースイッチを指先ひとつでカチッと動かすだけです。
視界が悪くなったなとか、傘を忘れてしまったなとか、精々その程度の思考を巡らして終わりでしょう。
一方バイクに乗ってる時は、雨が降り出しただけでそれはもう旅の一大イベントなんです。
どこか安全に停まれる場所を探してカッパを着るべきか(そもそもそんな場所があるだろうか)、この程度の雨で目的地まで○kmならこのまま突っ走った方がいいか……そんなことをその瞬間ごとに考えて判断することが求められます。
夏のうだるような暑さの中ヒイヒイ言いながら走っててダーッとゲリラ豪雨が降ってきた時なんかはもう成す術がありません。ただ自然の流れに身を任せて全身ずぶ濡れになりながら「あーあ、ズボンの中までびっしょりだよ……」という最悪な気分と「走りながら受ける風が超涼しくなって快適だ!!」という最高な気分が一気に押し寄せメチャクチャになります。最終的には「あっははは!!!もう後のことなんて知ーらね!どうにでもなーれ⭐︎」という境地に行き着きます。クルマに比べて感情がものすごく揺り動かされるんです。
他にも、川沿いの山道やトンネルを走った時に感じる意外に大きな温度変化や、鳥や虫の鳴き声、どこからか漂ってくる野焼きやご飯を作る匂い……などなど、クルマで過ごす“快適な箱の中の旅”ではなかなか味わうことのない様々な情報が、ただ走ってるだけで五感を次々と刺激してくるんです。
外界と自分を遮るものがない状態でダイレクトに飛び込んでくる数々の刺激が、いま自分がいるこの場所がどんな所なのかを訴えかけてきます。
それが大自然にしろ大都会にしろ住宅地にしろ地方の街並にしろ、クルマの中のように外界と隔たれた状態ではない、生身の自分自身が今ここにいるんだと実感できます。
そしてそんな状態で走ってて目に飛び込んでくる大自然の雄大な景色や都会の夜景などの絶景の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。クルマで走ってる時に車内から見る風景とは、何かが確実に違うんです。
私は登山をする趣味はないのであくまで予想ですが、たぶん登山を楽しんでる人って、事前に装備を整えたり、どうパッキングしようか試行錯誤したり、いざ登ると道中の険しい道で疲労困憊になったり、ルートの状況が思ってたのと違ったり、そういう不便や制約やトラブルのある過程すら含めて楽しんでいるんじゃないでしょうか。そしてそういったものを乗り越えた先に待つ絶景や達成感は何物にも代え難いと。バイクも似たようなところがあるんじゃないかと思っています。
中には、排気量の大きいバイクのアクセルを全開にした時の加速感やエンジンサウンドが最高なんだと言う人もいるかもしれません。
もちろんそれは私の知らないバイクの世界であって、そういう楽しみ方もあるんだろうと思いますし否定するつもりは全くありません。
ただ私にとってのバイクの楽しみというのは、バイクの性能で決まるものではなく、上に書いたような「身ひとつで走ることそのものに対する悦び」にあると思っていて、その根っこはバイクの原初体験である50cc原付に乗ったあの時の万能感・ワクワク感に通じているのだろうと思います。
なので、私はバイクを楽しむことに排気量もMT・ATの区別も関係ないと思っています。
身一つでエンジン付き二輪を走らせることに喜びを見出せるのであれば、どんなバイクだっていいんだと思います。
自分で書き始めておいてナンですが、バイクの何が楽しいのかというのは非常に言語化の難しい話題です。
クルマでもないのにこんな遠くまで来ちゃったよというソワソワ感とか、走ってて絶景が目の前に飛び込んできた時にヘルメットの中で一人口元が緩んでニヤリとしてしまったり、走りまくって散々クタクタになってしまい走りながら「やりすぎた、失敗した」と後悔してたはずなのに、しばらく時間が経って振り返ってみると「あの時にバイクで出掛けたの楽しかったなぁ」と良い思い出になってたり……。なんで?と自分でも不思議に感じるのですが、虜になってしまう謎の魅力があるんです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101390704/picture_pc_d06482f0e1e21ecc513ce1939f16f1c5.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101400084/picture_pc_eda34dc9ad6fed0f0201552589cf8a02.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101390802/picture_pc_3c13f96a8bd6c0d092935e964c07c4c5.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101390979/picture_pc_77355fcdf64874fb00af7c61254a38a5.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101394575/picture_pc_f748e7e92e073a28f38ddde4201716ea.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/101394423/picture_pc_69e8ff6cd8cce510679722c28ae702bb.jpg?width=1200)
クルマでの旅ももちろん楽しいし好きなんですが、バイクで出掛けた旅の方が体験として濃く記憶の中に残っています。
それは多分、良いことも悪いことも含め旅の途中に受ける刺激や感情の起伏がクルマより圧倒的に多く、脳の奥までその経験が刻み込まれるからなんじゃないかと思います。
クルマでは単なる平凡な小移動に過ぎない距離であっても、バイクで出掛けるだけでワクワクドキドキの冒険になってしまうんです。
ところで「バイクになぜ乗るか」「バイクの楽しさは何か」をふと考える時、私が何度も読み返してしまうブログがあります。
特に印象に残っている部分を一部抜粋しながら引用させていただきます。
バイクの一体何処がいいのか?
そうだな、バイクの良い所は・・・・
・夏は暑いし、冬は凍る。
・バックギアなんかないから、車庫入れも車庫だしも人力
・長く乗ればケツは痛いし、屋根がないから雨降ったらずぶ濡れ
・二輪なのでバランスを崩せば倒れる
・車とぶつかれば吹っ飛ぶのは必ずバイク
・エンストされたりパンクされて、重い鉄の塊になったバイクを押して歩いていると「もうこんな乗り物嫌だ」と思う。
だけど、そこがいい。
だってさ〜、つまんないじゃん、簡単な事って。
中々出来ないから面白いんだよ。
バイクに乗る時はいつも一人だ。
確かにタンデムやサイドカーという選択肢もあるが、車のように横に座っておしゃべりしながらっていうのはバイクにはない。
インカムつけたら別かもしれんが、それするなら車でいいじゃんって思う。
マスツーリング(集団で走るツーリング)でも一緒だ。
皆と並んで走っていても、ハンドルを握りアクセルを開けるのは“自分自身”
そうゆう所は少し人生に似ている。
何だかんだで、人は一人で生まれて一人で死んでいくんだ。
ゆりかごから墓場まで連れ添ってくれる人は誰もいない。
人は人に囲まれていても結局一人だ。
それでもバイクの上から見る風景には沢山“誰かに見せたい”ものがある。
一人で走っているにも関わらず、私はいつも“誰か”に思いを馳せる。
ここ数年、私より年上の人々が非常に迷走している。
私もその世代に入るが、こうゆう“常に人と繋がった状態”というのに慣れてない人が、
流行りに乗って繋がった結果、迷って心的エネルギーを枯渇させて暴走しているんだと思う。
でも、この人たちは馬鹿ではない。
むしろ賢い。本来賢い人ほどそうなる。
そんな人にはバイクをお勧めする。
理由は簡単。
イイ感じで馬鹿になれるからだ。
真冬の高速とか走っていると、寒さで頭のネジが飛んでもうなんか色々どうでも良くなって笑いたくなってくる。
真夏もそうだ。太陽とエンジンの熱に焙られていると笑いたくなってくる。
ゲリラ豪雨に行き会った時は最高だ。最高に笑うしかない!
笑わないと、馬鹿にならないと乗れんのだ、バイクは。
人は大人になって賢くなると、必死に走らなくなる。
明日があるから。
明後日があるから。
だから温存しよう。
そして今、目の前にある大事なモノを見失う。
バイクも確かに出掛ける前に色んな事を予測して装備を整える。
でも実際走り出すと今目の前にあるものを見据えないと走れない。
時々、ついつい走りすぎて「しまった~疲れた~」と半死人でハンドルを握って走る姿は、調子に乗って遠くまで遊びに出た子供だ。
でも、それが大人にはいい薬だ。
大人にはバイクでツーリングくらいが丁度いいんだ。
特に今まで線路の上を行くようにしていた人は、いきなりオールフリーに放り出されると逆に動けない。
ほら、たまに定年後のお父さんがやる事なくてアル中になったりするじゃん? あれがその最たるものだよ。
いきなり「好きな事していいよ、自由だよ」って言われると逆に困っちゃうんだな。
“バイクは自由な乗り物”と言われているが、実際には交通ルールあって、道もある。 でもどの道を走るかは自分次第。
その位の自由が丁度いいんだ。
すごい勢いでグイグイ読ませる文章のあちこちに、「バイクの魅力」について自分の考えと共通するところがあって大好きなブログです。
気になる方は是非リンクから飛んで全文をご一読ください。私のこのnote記事よりもバイクの魅力がビシビシ伝わってくると思います。
現在の相棒のPCXには大変満足しています。
日々の通勤やちょっとした買い物等がメイン用途ですが、なに不自由なく対応してくれますし、少し足を伸ばせば1日200kmくらいのツーリングは楽しむことができます。
3年ほど経って走行距離はまだ14,000km程度です。全く不調などは感じられず、これから先もしっかり走り続けてくれそうです。
……しかしながら、最近ちょっと普通二輪免許に興味が出始めているんですが……。それはまた別のお話……。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?