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「いつ何時も」について思考する

こんばんは
R @思考する綿毛です

前回の記事からすでに4ヶ月

絶賛お飾り制作中ですが(手の汚さが尋常ではない)
本日は「いつ何時も」について


突然ですが
去年の今頃、救急車で運ばれました
しかも夜の営業中に
大したことはなく、逆にすみません!
と平謝りしたくなる

その時強く思ったことがあって
健康の大切さとか、ありがたさとか
そういう当たり前のことではなく
(そもそもそれは全てにおいて大前程)

いつ何時、何が起きても良いように
最低限、大人としてちゃんとしておこう、と

靴下の左右の色が違っていたり
ポケットから、大量のゴミがでてきたり
ヒートテックにとんでもない穴があいていたり

食べたものを聞かれて
「昼に焼き芋、夕方にどん兵衛(小声)」
医師に「はぁ…」と気の抜けた返事をさせたり

少し思い出しただけで身震いがする

とはいえ、そんなに簡単に変われるわけでもなく
今日もニットの前後ろが逆で
あら、っと思ったところです

2022年も残すところわずか
「良いお年を」と挨拶し合う機会も少しずつ増えてきて
1年が終わることをひしひしと感じている

今年できなかったことを悔いる前に
来年は少しでもできるように
足りなかったことは、補っていけるように
すこしの親切心と思いやりも忘れずに

最後まで読んでくださってありがとう


植物:松、苔木、稲穂

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