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ハシの身辺雑記part1

なんか身辺雑記的なことでも書こうかと思う。

なんとなく自分語りさせてもらうと、ぼくは地元は大阪で、東京のとある私立大学を中退しており、22歳か23歳くらいのときに地元に戻ってきた。

で、家帰ってきて、当時やることないので、とりあえず、バイトをしないと地元の友人とも遊ぶ金が無い。でもぼくは中学、高校とバイトをしたことがなかった。

で、求人雑誌に地元で塾講師バイトみたいなのを見つけて、マクドナルドで面接と試験ということで、筆記試験と小論文みたいなのを書いた。

で、中学生に英語とかを教えていた。たまにものすごく賢い子がいた。
で、英検2級とTOEIC680くらいのちょうど高卒程度の英語力のぼくは次第に、あれ、これ生徒のほうが賢いな、と思ってやめてしまった。

で、次は工場でアルバイトをはじめた。で、バイトしながら大阪市内にあるカルチャースクール、小説学校みたいなところで、小説を書きはじめた。バイトして、たまにそのスクールに顔を出し、小説を皆に品評してもらい、良さそうなら講師に添削してもらい、文芸雑誌の賞とかに応募する。

当時の数少ない地元の友人のひとりは、漫画の賞をとったとか、担当者がついたとかで、名刺をぼくに見せてくれたりした。で、車の免許をとったとかで、飯に誘ってくれたりした。

もうひとりの友人は警察官になって、彼女できたとかで、それでも「彼女とふたりでユニバ行くの間が持たないからお金だすから一緒に来てくれ」というブラブラしてる俺への遠まわしの優しさなのか、友人の不器用さからくる切実な悩みなのか、なんなのかよく分からない理由でユニバで遊んだりした。

で、暇なときはモスバーガーに行ってパソコンで小説を書いていた。

で、小説ができた。そこそこ長いものができて、そのとき「これ以上の質と長さのものはもう書けないだろう」と思った。

で、当時の講師の方に、「センスはある、デビューできる、というかデビューは誰でもできる、センスだけではその先続かない」
ということと、あとは「君が書いてるのはこれは小説ではない」みたいことを言ってくれて、そのあとラインで、瀬戸内寂聴さんの話をしてくれた。

瀬戸内寂聴さんは、当時自分の書いた小説を偉い先生に見せに行って、その人から「小説さえ書かなければ良いお嬢さんなんだが、、」といったことを言われたようだった。

で「わたしはそんなお嬢さんなんかなりたくない」と言って憤慨して帰ったようだ。

で、瀬戸内寂聴さんは後に気づいたらしい、ああ、あの先生はわたしには才能がなかったと言いたかったんだ。それでもわたしは書くことをやめなかっただろう。みたいな、うろ覚えだけれども。

そういう話をしてくれて、あとは自分で考えてください、みたいなことだった。


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