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私のプラム

わが家の庭にはプラムの木が植わっている。

私が生まれた年に建てられた家。まだまっさらな庭。
第一子の誕生に浮かれた父は、その記念に何の木を植えたものか、かなり悩んだらしい。桃にしようか、梅にしようか、いいや、オリーブなんてのも洒落ているかもしれない……。本屋に立ち寄ればガーデニングのコーナーに立ち寄り、マイホームを持つ友人に会えば話を聞き。それはもう熱心に検討していたと母は語る。

葉や花、実の美しい木がいい。虫のあまり寄りつかない木がいい。だけど一番には、のびのびと健やかに育つ木がいい。だって娘と一緒に生きる木なのだから。

さて、父は検討に時間をかけすぎてしまった。
ある日、遊びにきていた母方の祖父が、何の気なしにプラムの木を植えてしまったのだ。父が仕事で家をあけていた時のことだった。
「あの人の落ち込みようといったら」——この話をするたび、母はケタケタと笑う。

こうしてプラムの木がぬるっと「娘の木」になった。
父の当初の願いは叶った。プラムの木はすくすくと育ち、立派に枝葉を繁らせ、毎年甘酸っぱい真っ赤な果実を実らせている。

慎重派な父、それと対極とも言える祖父の自由奔放さ、一歩引いた立ち位置から面白がる母。さまざまな要素を象徴するようなこのエピソードが私は好きだ。若き父にあったであろう義父への遠慮もうかがえる。

今となっては笑い話だし、本人も「気にしていないよ」と言い張るけれど、父は今でもプラムの実に手をつけようとしない。
それを冷やかす私は、母に似たのかもしれない。

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