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師匠との思い出

今朝、目覚めたら私はぐしょぐしょに泣いていました。なぜ泣いているのか、目覚めた私にはすぐにわかりました。戸惑いはほとんどありませんでした。だんだんと覚醒するにつれて、さらに涙が溢れてきて、しばらく体をぎゅっと固めていました。
涙の原因は、その日見た夢でした。

指導教員(以下師匠)との体験からお話ししたいと思います。修士(臨床心理学)時代の私の師匠は、学生が抱える傷に手当てをすることにとても長けた人でした。心理士のような対人支援職を目指す人は、過去さまざまなシーンにおいて傷ついてきたことに自覚的な人が多いです。師匠は、他者の傷つきを癒す職につくのであれば、まずは自分の傷つきに向き合い、積み残した作業を先にした方が、後々よいことが起こるということをよくわかっていた人なのだと思います(多くの心理士がそう考えると思います)。

学部生の間にはずいぶん癒された経験があります。講義のさなかに涙が止まらなくなったこともありました。師匠の講義に泣いている学生は少なからずいましたが、大半の学生は白けた様子で講義をうけていて「情緒的に語りすぎていて意味がわからない」とさえ評されていました。
師匠が、辻村深月『かがみの孤城』で読書会を開催した際に参加した学生は、みんな師匠に救われたと感じている学生でした。かがみの孤城を読んだ人は、集まる学生がどういうバックボーンを抱えた人なのかの想像がある程度つくのではないでしょうか。

救われた体験をもつ学生がいるなか、当の師匠は「救ってやろう」という偽善で学生に接していたわけではありません。ある学生が「私は先生に会えて本当によかったと思います。ありがとうございます」と感謝を述べたとき「いやそういうのはいいんだよ」と真剣に言われたそうです。
師匠はよく「ぼくはね、風になりたいんだよ。振り向いたらそこにいる風のような」と言っていました。ポエティックなせりふを恥ずかしげもなく言うことができる人でした。
心理士というのは「クライエントにとっての、ある一時代をともに過ごす存在で、その時間はすごく濃密で特別な関係性だけど、ずっとセラピストのもとにいるわけにはいかない。いつか終結が来て、クライエントはセラピストの元を去る。クライエントはセラピーに取り組んでいたことさえ忘れられたら、それで花丸。でもクライエントがまた心折れそうになったとき、ふとした拍子にあの日あの時に取り組んだセラピーのことを思い出して、立ち直ることができる力を身につけてもらうことが仕事だと思う。そういう意味で、クライエントがふと振り向いたときに吹く風のような存在」という旨のことを言いました。

さて、私はこの日の夢のなかで、師匠に「べつにいいんだよ~、できなくても!」と励まされました。前後の文脈こそ、起きた直後でも思い出せませんでしたが、師匠は確かにこう言いました。いつもの八の字眉毛で言いました。
幸いにも私は師匠と同じ道を歩み、心理職として子どもたちを相手にしています。私が相手にしているクライエントは、わるい意味でドラマティックな人生を歩んできた人ばかりです。仕事は一筋縄ではいきません。行き詰まることはしょっちゅうあります。今度こそ自分が壊れるかもしれない間際までいっている自覚はありました。


そんなどん詰まりに「べつにいいんだよ~、できなくても!」と、風はいつもの調子で、私を励ましてくれたのでした。

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