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蒼穹のファフナー THE BEYOND 最終章おぼえがき

 17年の物語にいよいよ幕が下りました。なんだかんだ続いてきたコンテンツが終わりを迎えるのはやっぱりさみしいです。小学生の頃に一作目を見て以来、自分の成長とともにあった作品です。登場人物も同様に成長してひとつの成熟の形を見せてくれました。島民(ファフナーファンの呼称)としての気持ちは、親心というよりは同伴者・伴走者といった言葉が似あうような感じがします。
 BEYOND最終回(第12話)は、ほとんど泣きぬれてびしょびしょになりながら見ていました。内容は頭に入ってこないし、自分を支えてくれた物語がフィナーレに向かっていく事実に、喪失感をただただ強く感じていました。この物語が終わってしまうという現実に耐えられず、人物たちの一挙手一投足にすら涙をこらえきられませんでした。アニメにこんな感情を抱くことができるなんてと、初めての体験に驚くと同時に、蒼穹のファフナーという作品が自分の生活の一部になっていたことを認めざるをえませんでした。
 ファフナーが一貫して私に与えてくれていたものは感傷やノスタルジーともいえるような「傷」でした。私を含むファンは何が楽しくてつらい展開が待っていると決まっている作品を見続けてきたのでしょうか。ファフナーを見ていると胃が締めつけられむかむかして、号泣したその日は1日を棒に振ることになります。私たちは娯楽を通して自ら不快な状態をつくりだしにいきます。おかしなことですね。ファフナー(ロボット)がかっこいいとか、キャラクターデザインが好みだという理由で見続けられるほどお気楽な物語では決してありませんでした。作り手は、人物への思い入れを最高潮に高める方向へとファンをいざない、次の瞬間あっけなく戦死させます。ひどい。本当にひどい。作り手は、人物が死ぬ理由を生み出すことに関するプロフェッショナル集団でした。ある人物が死んだとしても作り手にヘイトが向きにくい構造になっていたのは、使命を全うしたともいえるような見事な死であって、ファンを納得させる筋書きが用意されていたからでしょうか。いや死に納得するってなんでしょうか。「どうしてあの人が死ぬことになったのか」と苦悩を与えられただけにすぎないのかもしれません。私たちファンは登場人物が減っていくことに慣れすぎただけなのかもしれません。
 さて、そろそろ内容に入っていこうと思います。気になったトピックスについて副題をつけつつそのことに関して思いつくままに書きました。それぞれのタイトル間に共通項が見つけられることもあれば、まったく関連のないこともあります。もしかしたらEXODUSから考えていたことであってBEYONDのことではないこともしばしば…。

〇一騎「お前は俺だ。俺はお前だ。」美羽「あなたは私。私はあなた。」
 一騎は、EXODUSで存在の地平線すなわちフェストゥム人間となったわけですが、それ以降一騎が敵を同化するときにこういうセリフを添えるようになりました。これは端的にフェストゥムの攻撃手段を流用しているのですが、このセリフが難解。「あなたはそこにいますか。」という言葉には、思春期の子どもたちを揺さぶる強いエネルギー、また大人をも揺るがすパワーをもっていました。思春期の子どもに立ちふさがるアイデンティティの課題に対する抽象的な問いかけでした。子どもが、自分の生きる道を自分で決めて行動する、自分が自分を獲得するというような過程に、「あなたはそこにいますか。」つまり大勢のなかの一人として集団に左右されて揺蕩っていませんか、きちんと自分を見つけられていますか、というグサッとくるストレートな問いを投げかけます。翻ってフェストゥムたちはまるで自分がしっかり確立されていて成熟した大人かのように問いかけていますが、その実際はミールの意志によってのみ行動する雑兵であって、自分など存在しないもぬけの殻でした。なので、フェストゥムの問いかけに応える≒相手を理解しようと試みると、その虚無感が一挙に襲ってきて結晶化し死んでしまうというロジックになっていたと、私は理解しています。
 しかしこのロジックで一騎の同化攻撃を考えていくことには無理があります。一騎は「存在と痛みの調和」を武器に、相手の苦しみを理解し、相手の分まで痛みを背負うという大変な所業を一手に担いました。存在とは、痛みとは、調和とは、それぞれ抽象的な概念なので、つまりこう!という形で言葉に表せないもどかしさがあります。ファフナーの物語は解釈しようとすればするほど深みにはまっていく構造になっています。抽象に抽象を重ねれば具体性からは遠のくばかりです。なので、無理はせずある程度は謎のまま置いておくことも大事だと思います。一騎はとにかく強い。相手の虚無感を理解し、「いっそ殺して」という願望でさえもかなえてしまいます。その戦闘スタイルに総士が疑義を挟むのは当然だと思います。

〇生前の総士の変性意識としての現在の総士
 生前の総士「僕の名は皆城総士」総士「黙れ!それは僕の名前だ!!」と、混濁する意識のなか深海で総士同士がやり取りをする場面で総士は覚醒しました(第9話)。生前の総士は最初、パイロットが死ぬことに関して凪の気持ちでいられる冷血漢だと、パイロットたちから冷ややかに見られていました。一騎が波止場で「ファフナーと俺たち、お前にとってどっちが大切なんだ」「ファフナーだ」(ザッパーン!!)と言ったシーンが懐かしい。しかし今後続くシリーズのなかで、総士が考えていた理想は誰も死なないで戦争が終結に向かわせるということが明らかになりました。それは誰しもが望んだ理想で、たとえばカノンは同化現象を抑えながら搭乗できるファフナーを開発しました。
 BEYOND最終話では、誰も死なないで戦争を終結に向かわせる願いを美羽とともにかなえました。いつしか平和のための犠牲を厭わなくなった一騎は、美羽が人身御供となることに疑問を挟まない従順で諦め上手な大人へと成長していました。そのことを知った第4世代の子どもたち(総士、マリス)は美羽の犠牲を阻止するべく、マリスは島を離れ、総士は生前の総士とは違う存在であると一喝し、一騎(マークアレス)に打ち勝ちました。凝り固まった大人たちの思考を打ち破る新世代の台頭。親世代を乗り越え、自分たちが新しい価値観を作っていくという大仕事をやってのけました。

〇一騎は総士に勝てたはず
 マリスが総士を攫い島の作戦を阻止しようとした背景には、一重に美羽を思う気持ちがありました。島が美羽を犠牲にしようとしていることを知った総士は、美羽を導く一騎を止めるべく戦いを挑みます。そして見事一騎を打ち破った総士なのですが、一騎の全能の力をもってすればたかがニヒトなど抑え込めたのではないでしょうか。圧倒的な力をもった最強のパイロットのはずが、あっけなく総士に抑え込められてしまったのはなぜなのでしょうか。その背景には、一騎と生前の総士が託した次なる世代への期待がありました。一騎はわざと負けるでもなく、全身全霊で総士の相手を務めるわけですが、一騎の脳裏には生前の総士が「新たな未来にたどり着いた」ということを語りかけ、新世代のパイロットが次の世界を担う人材にふさわしいくらいに育ったということを二人は認めます。潔くあきらめた一騎はなおも「俺の命を使え」と、命を犠牲にして次世代に託すという古い考えを総士に投げかけますが、総士は「誰かの犠牲の上に成り立つ世界」はおかしいという考えでもって、自力で最後の対話に臨みます。生前の総士の思いを背負った一騎が、手塩にかけて育てた総士が巣立つときが来ました。

〇「これはね、持論だけど、愛ほど歪んだ呪いはないよ」
 マリスは第3の主人公だと冲方さんが言っている通り、島のことを思って行動したヒーロー的な役割を持った人でした。フェストゥムの思考もわかるエスペラントして高い期待を持たれつつ、理解者を得られなかったことが不憫でなりません。マリスのことをわかろうとしなかった、苦悩に気づけなかったことは島民の落ち度であると思います。
 島の民意は美羽をミールに捧げ対話に導くことが目標だと考えており、美羽の命は軽んじられているとマリスには受け取られました。島は美羽を殺そうとしている、そう感じ取ったマリスは島から美羽を引きはがそうと粉骨砕身します。マリスが周囲の大人を頼れなかったことは残念でした。いやもしかすると頼っていたのかもしれませんが、不器用で鼻につく物言いが目立つしプライドが高い斉藤壮馬なので邪見に扱われたのかもしれない。
 結果的には大勢の人を殺す羽目になったマリスは、美羽の祝福を受け、生かされました。罪人すら生かそうとする美羽の祝福。これはある意味でとても残酷なことです。これほどたくさんの人たちを傷つけてきたことに自覚があるマリスなら自ら死を選んでも、あるいは島民から殺されても不思議はないからです。しかし生かされて、贖罪を課された。死を選択できない世界はある意味では残酷。一生恥をさらすことになります。しかもマリスは今後予想される攻撃に対してフェストゥム(レガート、セレノア)とともに対話で臨むことを宣言しました。これは相当な覚悟です。
 余談ですが、BEYONDが始まる前に流れた呪術廻戦0の予告編で「これはね、持論だけど、愛ほど歪んだ呪いはないよ」と五条悟が言いました。ブラックアウトしたなかで放たれるやけに印象的なセリフでした。そして本編、マリスの行動の動機は美羽への思慕・愛情だとわかり、マリスが、美羽には消えてほしくないという思いを打ち明けたとても感動的なシーンで「これはね持論だけど」と脳内五条が神妙にしゃべり始めて何もかも台無しにしてくれました。黙ってくれ五条。

〇レガートが模倣したアレスの姿は異形の化け物だった
 レガートは“真似をする”、セレノアは“奪う”といった相手にある要素を自分のものにするというフェストゥムらしいまがい物の能力があるわけですが、深海でレガートが写したアレスの姿は、黒くどろどろとしていて化け物のようでした。これまで姿も能力も正確に模倣することができたレガートが、アレスに至ってはなぜ化け物になってしまったのでしょうか。
エグゾダスで、海岸で真矢と一騎と生前の総士が「存在と無の地平線」について話しているシーンがありました。総士が雄弁に「存在~」について語りますが、真矢は「わかんない」と苦笑い、一騎にも理解はできませんでした。他のパイロットに先駆けて唯一フェストゥム側に行き半フェストゥムになった総士が語る「存在~」について、人間の二人には到底理解することができない宇宙語のように感じられました。総士は人とフェストゥムの世界にある境界線をまたいでしまった英雄、人とは違う世界観を体験してきた一つの上位の存在となり、人の感覚に沿った話し方ができない(というより異次元の体験を言葉に置き換えられない)存在になりました。当然、上位の存在を頭で理解して追体験するなんてことはできません。そして、その後一騎も総士と同様の存在(エレメント)へと変貌していきました。
レガートは一騎の最強の力を無理やり模倣しました。一騎のこの世ならざる絶大な力を取り込むというのは、レガートの側の器(ファフナー)が耐えられるはずがありませんでした。結果としてこの世の存在として認められるような形が保てない異形の化け物が生まれ、一騎も「なんだあれは」みたいな反応になってしまいました。

〇マレスぺロは美羽にわかられて悔しくないのか
 マレスぺロが長年解消されることなく抱き続けてきた孤独や失望は、べノンを動かす絶大な原動力となっていました。多くの命を奪わざるをえないほどのエネルギーをもったマレスペロの思いは、美羽によって理解され、美しい形で解消されたかのように描かれました。この大団円的なフィナーレは、私にはあまりに綺麗で美しすぎるように思えました。私の個人的な思いは、これほどの命を奪った戦争を起こさざるをえなかったほどのマレスペロの思いは他の誰かによって理解されたとしても、「誰かにわかられてたまるものか」というマレスペロの攻撃性を感じさせてほしかった。

〇積み残したこと
 THE BEYONDは終わり、長きにわたる17年の歴史に幕を閉じました。率直な感想として感慨深く寂しいです。が喉元を過ぎたときに語られていないこと、あるいは読み取りづらい箇所が残っていることに気がつきます。

①竜宮島が浮上し、芹が救援に来てくれる少し手前のシーン、総士は「もうすぐだ、もうすぐ来てくれる」と島が来てくれることを感じとっていました。これはどうしてわかったのでしょうか。
②ラストシーンに出てくる黒いマークザインは誰が何のために造ったのでしょうか。
③同じくラストシーン、アレスのモニター越しに総士が何か話しますが、何と言ったのしょうか。最後の最後に流れる総士のモノローグにしては尺が合わないので、一騎にしかわからない何かを話しているのだと思いますが、気になります。
④総士と共に島を離れた2人のエスペラントについては詳細に語られませんでした。
⑤島に戻った史彦には紅音のことに思いを馳せてほしかった(願望)。ような気がするけど、遠見先生と再婚したし無理に捻じ込むこともないか。でも居なくなった人を悼むシーンが少なかったのは物足りませんでした。

以上挙げた箇所が私には非常にわかりづらく、あと2,3話作れた話ではないかと感じます。
映画館で2回観ただけのまさに覚書のような雑文で解釈不足なファンで申し訳ないです。ブルーレイが発売されたらまた丁寧に書きたいと思います。今度は初めから書こうかな、島に生きたみんなの足跡をたどるように。

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