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受け取る訓練

いままでこのブログの中にも何回か出てきた与える-与えられる関係の話。いままで男性性が強くて、与えることが全てだと思ってた。でも受け取ることも必要だって。

いままで後輩とこういう話をすることが多かったから、非認知的に与えなきゃ、なにか学びを持たせなきゃと思ってたんだと思う。でも今日先輩とご飯行って、受け取れるようになりなって言われて、初めて与えようとしなくていいんだって気づいたの。

与えられたかったら、与えるのが普通だと思ってたから辛かった。何も学びを得られないのに何で与え続けなきゃなんだろうって。でもそれは相手に期待してしまってるし、コントロールしてしまっている。自分がHappyで満ち溢れている時はきっとそんなことは思わないと思う。だから与える-与えられるの前に自分をHappyで満たしてあげないと。

そうして初めて、与えることができて、受け取ることもできるんだと思う。そもそも与えるとか与えられるとかじゃないのかも知んない。ずっと与える-与えられるが理想って考えてきたから何て言語化すればいいのかわかんないけど、自分を満たすことが1番なんだと思う。

いつかこの考えを広めて『生きとし生けるものがHappyな世界を作りたい』この軸だけはぶれないでいきたいね、今日一つ尊敬してた先輩から軸として生きていた与える-与えられるをいい意味で変えてもらったから、自分の中で変わらない軸は持ち続けたい。

その与える-与えられるを今の言葉で表すと【同等】になるのかなぁ。上下関係のない中で学び続けること、上の立ち位置に見られても同等の立ち位置で相手から学び続けたい。

そういえばこれって、ガリレオの誰からも学び続けることこそが天才だっていう軸にやっぱ戻るのね。そうすると与える-与えられるも間違ってはいないか。でもその与えることに一生懸命になって、相手をコントロールするのはやめた。それになにか与えなきゃって義務感持つのもやめる。別に与えられないことが悪いことではないし、相手が求めてないもの与えたところでそれはエゴ。エゴって言葉嫌いじゃないけど。



そんなこんなで充実した1日になったから、10kmの道なりも自転車で駆け抜けてお気に入りの木で本を読んだり、ウクレレ弾いたりしてきました🪐

引き寄せにありがとう。

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