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陣痛誘発剤

2020.07.16-17

そして、いよいよ陣痛誘発剤の日になりました。予定では、お腹の赤ちゃんに会える日です。

緊急事態宣言は解除されてましたがコロナ禍なので、面会や立ち会いは基本NGとなっていました。ただし、私達夫婦の状況に配慮いただきまして、夫の立ち会いを特別許可していただけました。

夫が来る前に、まずはラミナリアを抜く処置をします。入れるのより、抜く処置のほうが私は痛かったです。悶絶しました。そして、入れるときは10本ずつでしたが、抜くのは30本です。もう、ここは地獄かという痛みでした。痛くて泣いていました。

そして、メトロ(小さい水風船もようなもの)を入れ、モニターをつけて、陣痛誘発剤のスタートです。あわせて、助産師さんが、バースプランについて確認してくれました。

●赤ちゃんが生まれたときに「おめでとう」と言ってもよいですか?
→私は、ぜひ言ってほしいと答えました。

●抱っこはしますか?
→はい、お願いしますと答えました。

●残したいものはありますか?
→手形・足型・髪の毛・爪。赤ちゃんの状態次第になるとのことで、できる範囲でお願いしました。

●母子手帳にある「死産」の部分に○をつけたくなければ、つけません。どうしますか?
 →事実なので、私は○をしてくださいと答えました。

そして、陣痛誘発剤スタートから、しばらくすると、じわじわーっとお腹が張るのがわかりました。

「あぁ、きたきた。早くも効いてきたかも!」

そんなふうに最初は感じてました。

しばらくして、夫が部屋に通されました。1日ぶりに会った夫は、開口一番「よっ!」って軽い感じで入ってきたので、思わず少し笑ってしまいました。

夫は私とは正反対の性格で、何事も悟ってる感じで、とても俯瞰してものごとを見られる人です。だから、私達夫婦にとって悲しい出来事だけど、「悲しいだけじゃないよな〜」「今日赤ちゃんに会えるな〜」って感じで、穏やかなんですよね。

昨夜に読んだ「誕生死」の本と夫のおかげで、前向きな気持ちでお産に向き合うことができました。

時間がかかることだとわかっていたので、しばらくの間、夫と話してました。じわじわーっとお腹が張るものの、モニターの数値もさほどあがらず、痛みも弱く、会話ができるほど。まぁ、午前中はこんな感じだろうな〜と思い過ごしてました。

しかし、お昼をむかえても、状況は変わりません。

そして、14時ぐらいになっても、状況は変わりません。

様子をみにきた医院長(担当医)が、「今日はおそらく進まないな〜、旦那さんも大変だから、すぐこれる距離なら、一度帰ってもいいんじゃない?話すこともなくなってくるでしょ」っと。たしかに、会話はなくなってました。息子のことも心配だったので、先生の言う通り、夫には帰ってもらいました。

その後、夕方をむかえても変わらず。朝の時点では、「経産婦だから、おそらく予定どおりに進むのでは」と医師から言われていたので、仕切り直しに少し不安になりました。

私は、「陣痛誘発剤を使っても、生まれない場合、帝王切開になりますかか?」ということを確か質問したと思います。医師の回答は、「状況によっては、そういうことも考えなければいけない。」という答えだったと思います。

そして、有効陣痛はつかず、この日の誘発剤は中止となりました。

その日の夜、「死産 帝王切開」「死産 生まれてこない」などを必死にスマホ検索してたと思います。

私は、帝王切開は絶対に避けたかったのです。

なぜなら、私の年齢は39歳。帝王切開をしたら、1年は妊娠は避けたほうがよいということを知っていたからです。赤ちゃんの心臓が止まってから日が浅いこの時、悲しみに支配されつつも、冷静に「もう一度、赤ちゃんを授かりたい」とも思っていました。おそらく、賛否あるかと思います。

次の妊娠を考えている私は、ひどい母親なんじゃないだろうかとも落ち込みもしました。それに、再度妊娠できるかもわからないし、もし妊娠できたとしても、また同じ事が起きるんではないかと、考えただけでも不安しかありません。

ただし、誰がなんと言おうと、これは私の人生で、年齢の事実は変えることもできないし、妊娠・出産のタイムリミットを考えると、「答えがでない…」と言っている場合ではありませんでした。この状況でも、後悔しないために、私の人生の選択肢として、医師に自分の意志表示をきちんとしなくてはならない、そんなことを考えていた夜でした。

お腹をさすりながら、「ママ、○○ちゃんに会いたいよー。そろそろ出ておいでー。」とお腹の赤ちゃんに話しかけながら、少し眠りにつきました。

相変わらずあまり眠れず、朝を迎え、陣痛誘発剤2日目のスタートです。夫には、お産が進めば、連絡することにしました。

今日もじわじわーっとお腹が張るものの、モニターの数値もさほどあがらず、痛みも弱く、会話ができるほど。

2時間ぐらい立っても、なんら状況はかわりません。

医院長がやってきて、少し苛ついた感じで、「これは進まない、誘発剤を変えよう」と言いました。

しかし、誘発剤を変えて2時間ぐらい立っても、なんら状況はかわりません。

再び、苛ついた感じで、医院長がやってきて、「このままじゃ生まれないよ。大学病院にも電話して相談するから」と言いました。

そんな苛ついても仕方ないでしょーっと思いながら私は、「次の妊娠も考えています。年齢のこともあるし、できる限り帝王切開は避けてください。」と伝えました。

医院長は、「まぁ、気持ちはわかるけど、ないとは言えない」という答えだったと思います。

助産師さんにも「死産で、2日間誘発剤しても生まれないケースってあるんですか?」と聞いたら、「う〜ん・・・」という回答でした。あまりないケースなのか、クリニックの助産師さんが死産に立ち会うケースが少ないからわからないという回答なのかは不明です。スマホ検索でも、私はそのようなケースは見つけることができませんでした。

その後、しばらくすると、「今いる部屋から別の部屋へ移動してほしい」と助産師さんからお願いされ、陣痛誘発剤を一時中断しました。

案内された部屋で待っていると、医院長がやってきて、「これから大学病院へ搬送するから。」と言われました。

「えぇ?」

かなり動揺しました。

医師の説明によると
●これ以上は、このクリニックでは処置が難しい。大学病院のほうがいい。
●提携先の大学病院の医師へ相談して、受け入れを承諾してもらった。
●今日が金曜日だから、大学病院に搬送するなら今日しかない。(土日の受け入れはしてくれないだろう)
大まかですが、このような説明だったと思います。

私は、「わかりました」と言ったものの、急に「あなたの面倒みれません」と言われた様な気がして、かなり動揺していました。不安に押し潰されそうになり、涙が出ました。

泣きながら、助産師さんに不安な気持ちを伝えました。

「大学病院でも、バースプランの希望は叶えられますか?」

「大学病院では、大部屋の病室になりますか?」

すると、その助産師さんは、「大丈夫ですよ。私、以前はその大学病院で働いてました。バースプラン叶えられます!お部屋は、おそらく陣痛室などを個室として使わせてもらえると思います。」と優しく教えてくれました。

助産師さんの以前の職場だと聞けて、少し落ち着きを取り戻しました。

続きます。

お読みいただき、ありがとうございます。

lily

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