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思いやりの距離感

August.2020

ひとそれぞれの「思いやり」。

その「思いやり」の距離感が時にはうれしく、時には苦しくもあります。おそらく、誰一人、私を苦しめようと思ったわけではないと思います。

家族からかけられた言葉で、嫌だったことが何度かありました。性格的に「それ嫌っ!」って言える性格だったので、その場で解決したのか、怒りで忘れたのか、詳細なセリフまで憶えていません。

おそらく、悲しむ私にどう接していいのかわからず、その人なりの慰め方だったと思います。家族もまた悲しみの当事者であり、後悔があったのだと思います。でも、その後悔の念が、結局は「私のせい」としか受け取れず、重く苦しかったです。

それでも、家族には、それ以上に助けてもらったことが多かったので、燻ったままの怒りは、どこかで無意識のうちに手放したようです。

退院してからは、実家で過ごしていたので、私は引きこもっていました。でも、息子の保育園送迎が毎日あり、いつまでも夫と両親に頼ることができないので、お盆休みに自宅に戻ることにし、私は送迎に復帰しました。

送迎でほぼ毎日顔を合わせる息子の保育園繋がりのママ友たち。どういう顔で会えばいいのか、どう接してくるのか、とても怖かったです。

私が死産であったことをLINEで報告した時に、「また会った時は普通に接してくれるとありがたいです」って言っておいたのもあり、ほとんどの人は、何事もなかったかのように「久しぶり〜」「おはよう〜」「今日暑いね〜」と、ありきたりな挨拶だけで済ませてくれました。とても有り難かったです。

保育園の先生たちも、何事もなかったかのように接してくれて、思いやりのある距離感にとても救われました。

しかし、思いやりの距離感が近い人…やはりいました。私が恐れていたこと。

ママ友:体調はどう?
 私 :うん、ぼちぼちね。
ママ友:今度、落ち着いたら赤ちゃんのお話きかせてね。お茶でもしよう。

悪気はないのはわかっているし、体調を気にしてくれるのはありがたいし、彼女なりの思いやりなのだと思うのですが、私には辛かったです。気持ちは落ち着くことはないし、いつも挨拶程度で、今までお茶したこともないのに、急に一番大切にしてる話をすることはできません。

その後も何回か、「体調どう?」「仕事はどうしてるの?」など聞かれました。いつ、また深堀りされるのかと構えてしまって、いまも毎朝そそくさと退散する私がいます。

共通する部分が「私たち」であり、そこに信頼があれば話せたかもしれません。でも、その信頼関係があっても、なかなか話すことができない事だなとつくづく思います。

ママ友と共通する部分は「子供たち」。もちろん、子供きっかけで、生涯通じあえる友人となる人も沢山いると思います。でも、まだその関係にはなっていないので、ごめんなさいでした。

もし、なにかチカラになりたいという気持ちであれば、その部分には触れずにいてくれる、ありきたりな挨拶に、私はエールを感じるのに。

誰もが少なからず悲しみや苦しみは抱えてるもの。そこに無断で近づかず、相手の気持ちを想像して、適切な距離を保てる人でありたいと改めて思います。

最後に。
実は、公開しようかとても悩みました。毎日のことで、なかなかこの事から解放されないので、せめてnoteにはきだしたいのと、自分への戒めとしても書きました。不快に思う方がいましたら、ごめんなさい。

お読みいただき、ありがとうございます。

lily

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