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第七十回「六旗の下に」を見て

「六旗の下に」とは

東京六大学応援団連盟に所属する6つの大学の応援部・応援団・応援指導部が一堂に会し、各校の意地とプライドをかけたステージが繰り広げられる年に一度の特別な日。「六旗の下に」は、4年間の道のりを乗り越えてきた幹部が主役を務める、連盟構成員にとってまさに憧れのステージである。

東京六大学応援団連盟は、東京六大学野球でしのぎを削る6つの大学(早稲田、慶應、法政、明治、立教、東大)の応援部・応援団・応援指導部によって形成されている。「六旗の下に」では、六大学野球における応援という繋がりを超え、共に応援を作り上げる仲間としての応援団連盟の強い絆と友情を感じるとることが出来る。

応援団について全く知らない人でも、どこか荘厳さを感じずにはいられない「六旗の下に」という響き。オープニングステージでは、まさにその字の通り、六校がステージ上に揃い、自校の旗を高らかに上げて堂々たる幕開けを告げる。続く各校ステージでは、30分という限られた持ち時間の中で六大学それぞれの魅力を存分に詰め込んだ濃厚な舞台が披露される。終盤のフィナーレでは、六大学合同で各校の第一応援歌を演奏し、連盟常任委員のチアリーダー6人による華やかなダンスをバックに各校幹部がステージ上に代わる代わる登場して会場のボルテージを上げていく。最後は六大学のスペシャルチャンスパターメドレーによって会場の一体感が最高潮に達したところで、当番校である慶應の名チャンスパターン「ダッシュ慶応」に合わせてリーダー幹部が全員でテクを振りステージを盛大に締め括る。応援という文化を芸術の域まで高めてきた六大学による濃密な時間は、毎年多くのファンの心を魅了するのである。

さて、前置きが随分と長くなってしまったが、今日は自分用の備忘録という意味も兼ねて第七十回「六旗の下に」の感想を綴っていきたい。チアリーダーズ下級生時代の「六旗の下に」といえば、一部の例外を除き裏方としてステージのサポートに徹するのが我々の責務であり、じっくりとステージを噛み締める余裕はない。だが、幹部として迎えた今年の「六旗の下に」は、自らが表方として東大のステージに出演するだけでなく、他校のステージを落ち着いて鑑賞することが出来た点でも大変心に残る一日となった。素人意見な側面も大いにあるが、何せ自分の目で見たもの感じたことを言語化することが大好きなので、臆せずに感想を書いてみようと思う。補足するまでもないが、私の感想は客観的な分析でも何でもなく、本当にただ私が自分の感覚に沿って主観的に書いているものなので、これを読んで下さっている方々の意見と必ずしも一致しない可能性が大いにあることを言添えさせて頂く。

それでは、ステージの順番に沿って感想をお届けしたいと思う。
どうぞご一読あれ!


オープニング

残念ながら本番のオープニングは見れなかったのだが、幸いにもリハーサルでは鑑賞の機会があった。ちなみにリハーサルは関係者のみ鑑賞可能だが、終盤で行われるオープニングとフィナーレのリハは例年大盛り上がりである。やはりどこでも内輪で盛り上がるのは楽しい。

「六旗の下に」の幕開けたるオープニングステージは、手の込んだプロモーションビデオが流れた後に、各校が演奏に合わせて順に校旗・団旗・塾旗を掲揚する演出だった。このPVは誰が作ったんだろう。「伝統」の感じと「今」の感じを掛け合わせるセンスが凄い。話を戻すと、「六旗の下に」のオープニングの旗の掲揚は、各校の旗手長や旗手責任者の大きな見せ場である。さぞかし重いであろう旗を悠々と上げる姿に憧れる下級生は少なくない。そしてやはりどの大学も旗はカッコ良い。応援部員の心の拠り所となる様な寛大さを感じずにはいられない。明治の紫紺、東大の淡青、早稲田のえんじ、立教の紫・白・金、法政のオレンジ、そして慶應の三色旗。各校の個性の詰まった旗が、府中の森芸術劇場どりーむホールに厳かに聳え立つ光景は圧巻だった。

次はいよいよメインの各校ステージの感想を綴る。

各校ステージ

明治大学応援団

トップバッターを務めたのは、100年の歴史を迎えたばかりの明治大学応援団である。「やっぱり明治がNo.1」の掛け声でお馴染みの明治だが、口先だけでなく本気で自分たちのことをナンバーワンだと思っていることがヒシヒシと伝わってくるのが明治の良さだ。個人的な話となってしまい恐縮だが、現在リーダー幹部を務める5名とは下級生時代から交流があり、勝手に仲が良いと思っているので、より一層皆の思い入れが伝わってくる内容だった。(ちなみに、私は明治のリーダー幹部5名を箱推ししている。)

明治大学応援団の団長はチアリーディング部の同期が務めている。彼女は神宮球場でも下級生の頃から人一倍声が通る逸材で、面白くて優しい最強の同期である。彼女が校歌とエールを振る姿は凛々しく、本当にカッコ良い。東大応援部のチアリーダーズは六大学の応援歌と校歌の試験を課されるのだが、その際に課されたのが「白雲なびく」だったことも重なり、思い入れが強い。

第一応援歌「紫紺の歌」や学生歌「都に匂う花の雲」も本当に大好きな曲目である。「紫紺の歌」は、歌詞「起てり土(ち)を蹴りて」の「り」と「ち」の間の一拍は(私の知る限りでは)応援団バージョン固有のもので、何とも言えない愛しさがある。学生歌に至っては音律が好きな余り、神宮応援で明治が対戦相手の際もメロディが聞こてくると危うく聞き入ってしまいそうになるのである。これに関しては本当に同期からも怒られそうだ。又、私は各校が所有する伝統的な「拍手」について何か秀逸なコメントをする程の造詣を持っているわけではないが、明治の「嵐の拍手」は観客側に凄まじいエネルギーを送り込んでくれる感じがカッコ良い。私もその気概を確と受け取って自校ステージに向けて気持ちを高めることが出来たのは言うまでもない。

ここまで書いていて、初っ端が明治だとその後のハードルが凄まじく上がってしまうなと心配している。だが明治大学応援団を語る際にそのチャンスパターンを外すことは出来ないので暫しお付き合い願いたい。明治大学は東京六大学野球において3期連続で優勝しているが、このチャンスパターンを聴くと少しばかりかその理由が分かる気がしてしまうのはなぜだろう。「六旗の下に」では自分の出番に備えて舞台袖から明治のチャンスパターンを見ていたのだが、不思議と神宮球場で圧倒的なチャンスをモノにしていく光景がありありと浮かんできた。正に至極の「チャンス」を引き寄せる曲目の「パターン」を分かっているのだなと言わんばかりの盛り上がりである。「おーの声!おー!もう一回!おー!」と言われて声が出ない六大学の応援部員はいないだろう。山本リンダの「狙い撃ち」を応援に導入するそのセンスに、数々の高校野球の応援風景を思い浮かべつつ密かに感謝させて頂きたい。そして何といっても大好きなのは、やっぱり「神風」である。「神風」は私としては応援歌とチャンスパターンのハーフの様な印象である。和テイストなメロディに掛け声をびっしりと詰め込んだこの一曲は、神宮球場を一気に包み込む威力のある一曲である。タオルをぶんぶん振り回した後に、「わっしょい」を連呼し、「吹け神風〜」と願うなんて、最高過ぎないか。

折角なのでもう少し内部トークをすると、明治大学のチア同期は他の学年と比べて少し人数が少なめである。しかし一人ひとりの個性は強烈で、熱いハートを持った皆は正に明治らしさを体現している。ステージ終了後に舞台袖にいる私に抱き付いてくれた時は嬉しかったよ…♡
そして、明治の幹部同期には一人とてつもない応援オタクがいる。その方は有難いことに東大応援部が大好きで、いつも一緒に応援トークで盛り上がってくれる。この場をお借りして、いつも仲良くしてくれる明治のみんなに感謝したい。

東京大学運動会応援部

明治への長いラブコールをやっとこさ書き終えたと思ったら、自校について書かなければならないとは酷なものだ。私は鉄声会総務という、東大応援部のOBOG会である鉄声会との連携を担う役職を務めさせて頂いているので、応援部の素晴らしい先輩方と交流させて頂く機会が多く、応援歌やチャンスパターンの歴史への関心も人一倍強い。ちなみに鉄声会の方々はお世辞ではなく本当に叡智の塊の様な方ばかりであり、先輩方の深い思索の積み重ねによって応援部が76年間もしなやかに続いてきたのだなと肌身で感じている。

そんな話はさておき、私が東大応援部を簡潔に表すとすれば「気品」と「矜恃」という言葉が頭に浮かぶ。東大のスクールカラーである淡青色を基調とした旗、シンプルだが力強さを感じるリーダーのテク、格調高い「伝統の勝利の拍手」、特有の様式で展開されていくチャンスパターン、心に滲み入る「ただ一つ」。東大応援部の演目の根底には、東大という歴史ある学府において学を修める者の持つ繊細なエレガントさと、そこで学び得た経験を元に応援文化を繋いで行こうとする大胆なプライドを同時に感じ取ることが出来ると私は思っている。

自校の感想をうだうだと書くのも少し気恥ずかしいので、ここではダイジェストで特に印象に残っている点を書き連ねたい。
先ずは淡青旗の掲揚。淡青旗は本当に綺麗だなと、幹部になった今になって改めて強く感じる。明らかに重量感のある旗を左右に靡かせる旗手長の動きは、どんなトレーニングを積めば出来る様になるのだろう。旗を下ろした後は、自らも出演した応援歌「闘魂は」の披露。ここだけの話、「闘魂は」のダンスは簡単そうに見えて中々上手に踊るのが難しい一曲である。続いてリーダー長による「伝統の勝利の拍手」。下級生として畏怖の対象であったリーダー長が振る伝拍は言葉に出来ない凄まじさがあったが、4年間共に活動してきた同期のリーダー長による伝拍は、それを超える様な、何とも形容し難い感動をもたらしてくれた。

続くビクトリーマーチには一段落を捧げたい。私が自校、いや世界で一番好きな応援曲である「不死鳥の如く」についての思いの丈を存分に語りたいからである。この一曲は、先に挙げた鉄声会で大変お世話になっている先輩が作曲したものである。縁とは不思議なもので、私は高校時代の野球応援でもこの応援曲を使用して応援しており、かれこれ10年間このメロディに馴染んでいるということになる。その「不死鳥の如く」が誕生した東大応援部に入り、作曲者の方と幹部役職を通じて共に仕事をしているなんて運命以外の何者でもないと、星座占いなど露程も信じない私でさえ思ってしまうのである。「不死鳥の如く」は本当に魔的な迫力のある一曲で、この曲を聞いたら自然と力が漲ってくる。広報企画の一環で「『不死鳥の如く』といえばこの人」というランキングで一位を取ったときは、その日の疲れが一気に吹き飛んで正に不死鳥の如く蘇ったのは良き思い出である。

こうした演目を締め括るのは東京大学の歌「ただ一つ」。こちらは他校とは異なりオフィシャルな校歌ではないのだが、むしろそうした立ち位置にあるからこその馴染みやすさを持ち、それを口遊む者の心を豊かにしてくれるのかもしれない。

最後に、近年稀に見る多くのリーダー新人が「六旗の下に」迄応援部を続けてくれた。本当にありがとう。皆の活躍が我々幹部の生き甲斐です。これからもよろしくね。
長すぎるダイジェスト版の感想(自校語り)はこれくらいにして、次の早稲田に移ろうと思う。

早稲田大学応援部

続いては皆大好き早稲田大学応援部である。早稲田大学応援部のステージは出番の直後だった為、一部は見ることが出来ず明治と東大に比べて感想が短くなってしまうが、ご理解願いたい。

早稲田大学応援部の特長は何といっても、スポーツの応援という枠に留まらず、大学全体の代表として学生を動員し盛り上げていける懐の大きさである。早稲田大学応援部のステージを見ると、それはただ応援部の御家芸をお披露目しているのではなく、早稲田全体を背負って大学の魅力や自校愛を前面に押し出しているのが非常に良く伝わってくる。「紺碧の空」はもはや応援部という域を超えて、早稲田に関わる全ての者の心のアンセムであり、一度聞いたら耳から絶対に離れることはないだろう。これは、古関裕而による素晴らしい作曲は勿論だが、それ以上に、「紺碧の空」を使って多くの学生を盛り上げてきた早稲田大学応援部の功績であるというのは間違いないのではないか。

そんな「紺碧の空」だが、チアリーダーズの振り付けが毎年変わるのはご存知だろうか。六大学チアの中では、毎年どんな振り付けになるのが考えてニヤニヤするのが密かな楽しみである。今年の振り付けを作成したのは同期の友人であり、それだけで胸が躍るのだが、「六旗の下に」で実際にチアリーダーズ幹部が踊っている様子を見るのは本当に最高だった。「紺碧の空」にぴったりな振り付けで思わず自分も覚えたくなってしまった。

全てオリジナル曲で構成されている早稲田の応援曲は、スカッと気持ち良く空に響いていく様な音律の曲が多い気がする。又、早稲田はリーダー部員の人数が多いので、メインリーダーの配置の仕方がクリエイティブで目が離せない。真ん中のメインリーダーを挟んで両端のメインリーダーが左右対称のテクを振っていたのは実に面白かった。だが、最もテンションが上がるのはやはりコンバットマーチでリーダーとチアリーダーズが全員で突きをする場面である。突きをしている部員も、それを見ている観客も、とても愉快で幸せな気持ちになる。早稲田のリーダーは他大学と比べても人数が安定して多目なのだが、一度神宮球場でコンバットマーチの様子を見ればリーダーに入りたくなるのはもはや自然なことかもしれない。

早稲田応援部の、早稲田全体を盛り上げていけるエネルギーは、紛れもなく部員一人ひとりのコミットと努力によって生み出されていると、同期と交流を重ねた今なら分かる。改めて、そうした覚悟で早稲田大学応援部を続けて来た同期の皆に大きな拍手を送りたい。

立教大学体育会応援団

立教大学体育会応援団は他大学によってイジられる際に、私が認知する限りでは主に2つの軸がある。先ず一つはキリスト教に関するイジリ。もう一つは、イジるところがないというイジリである。
確かに、語弊を恐れずに申し上げると、他の五大学と比べると瞬時に脳裏に浮かぶ様なオリジナル曲があるかと言われればそうではないかもしれない。そして私は、六大学が好きだと言いながら、立教の曲を余り知らないことを少し引目に感じている。だから今回の「六旗の下に」では、敢えて先入観の少ない状態で立教大学のチャンスパターンを味わってみようと考えた。

その前に先ず、立教大学の二つの応援歌に触れておきたい。「行け立教健児」は本当に楽しい応援歌である。イントロから一切の古臭さを感じさせず、どんよりした応援席でも一瞬で明るい雰囲気に変えられる様なメロディが大好きな一曲だ。この曲は肩を組んで歌う場面を想像して作られたのだろうか、と言うくらい肩を組みたくなる曲なのだ。この曲のチアリーディング部の振り付けも本当に素敵である。ロールと言って、左から右、右から左へと順に流れていく様な振り付けが多く含まれたこの曲は聴覚だけでなく視覚に訴え掛ける楽しさを持っている。こうした愉快な爆発力を持った「行け立教健児」は、同期にもファンの多い一曲である。
第二応援歌「セントポール」は、こちらも楽しい音律で素敵な曲だが、歌詞を見てみると殆どずっと"St.Paul's will  shine tonight"と歌っているのでびっくりである。応援団の歌声を聞いていると「本当にそれ言ってる?」と言いたくなることの方が多いが、そんなことを彼らは気にしない。英語を応援歌にぶち込んでこんなにサマになるのは立教大学体育会応援団しかいない。

先程も申し上げた様に立教大学のチャンスパターンを余り知らない私にとって、今回の「六旗の下に」のステージに非常に期待していた。そして実際に見てみると、それはもう「衝撃的」以外に言い表す言葉が出てこない。立教のチャンスパターンは、期待を遥かに超える感動を私に与えてくれたのである。先ず素直に感じたのが、立教のチャンスパターンは、非常にステージ上のデモンストレーションに向いているなということである。一曲一曲が美しく、応援曲として完成されているので、ステージ上で披露するとその魅力が爆発するのである。そして何よりも素晴らしかったのが、チアリーディング部のダンスである。立教と東大は伝統的に仲良しなのだが、大好きな18人のチア同期のキレキレで息ぴったりのダンスに思わず涙が溢れそうになった。チャンスパターンが終わってしまうのが悲しい程美しかったみんなの踊る姿は、これからもずっと心のアルバムに残り続けるだろう。皆本当に輝いてたよ。

立教大学体育会応援団の現三年にはリーダーと吹奏楽団がいない。リーダー二年は史上初めて、メンバーが全員女性である。こうした異例ずくめの状況を受け、同期の幹部も次世代に伝統を繋ぐ為に長い時間を掛けてあれこれと奔走している。そんな同期の努力には頭が下がる思いだが、実は今年からそうした苦悩を跳ね返すかの様な見事な新曲が導入された。「竜胆(りんどう)」である。竜胆の花言葉は「勝利」ということで、この新曲は正に立教大学に勝利の風を吹かせる様な力強い響きのある一曲である。その重厚なメロディに、立教大学体育会応援団を未来へと繋ぐ皆の強い思いが詰まっていて、圧巻のお披露目であった。とても良い曲なので是非皆にも一度聞いてみて欲しい。

残念ながら別の作業があり立教大学の拍手と校歌は見ることが出来なかったが、立教大学体育会応援団とは「意地の東立戦」を繰り広げる仲として今後も付き合いを深めて参りたい。

法政大学応援団

「六旗の下に」における法政大学応援団について、Twitterで「圧倒的存在感賞」と評している方がいたが、正にその通りだと感じた。圧倒的存在感以上に法政大学応援団を上手に形容する言葉があるだろうか。他大学のステージが、応援の定義に対するそれぞれの「解釈」を見せてくれるものだとすれば、法政は応援の定義「そのもの」を突き付けてくる様な、他の追随を許さぬ力強さに満ち溢れている。そして、法政大学応援団は自分達が圧倒的であること、他大学を圧倒しに来ているということを、一切隠そうともせずに堂々と示してくるのである。そしてそれを享受する我々も、法政にその役割を期待して止まないのである。

法政大学応援団のステージを語る際、リーダーを主語にせずにはいられない。今年度の団長は、二年生の頃から付き合いのある人で、その当時から抜きん出たカリスマ性を持っていた。私はその当時から、彼には早く幹部になって欲しいと思っていたものだ。こんなに「幹部」が似合う人はいないだろうとずっと思っていたわけだが、私は間違っていなかった。彼が振る校歌や「若き日の誇り」は、法政大学応援団そのものを象徴するかの様な荘厳さと迫力があった。
リーダーといえば幹部だけではない。(どの大学もそうだが)法政はリーダー下級生も絶対に見逃してはならない。法政の新人は毎年驚異的なクオリティで登場する。入部して2ヶ月弱で、どんな試練を乗り越えてきたのだろうか。司会も伝統の六大学イジリが今年も面白く、流石の腕に舌を巻いたものだ。

ここ迄リーダーのことばかり話したが、チャンス法政のチアリーディング部についても触れさせて頂く。彼女たちが本当に大変ないばら道を歩んできたことをずっと側で見ていたので、このステージは特別な思い入れで見てしまった。8人のチア同期の、幹部としての自信と誇りを感じさせる一つひとつの動きは本当に感動するものだった。下級生時代に「応援部は辛いし大変だけど楽しい」と言った私に対して、「今は辛いという感情しかない」と漏らしていた彼女の言葉の重みを思い出す。そんなことは微塵も感じさせない彼女の輝きがグッと心に来て、爽やかな嬉しさに包まれた。それを含め、チャンス法政のステージの完成度たるや、素晴らしい以外の言葉が出ない。

何度か触れている様に、六大学の同期とはかなり仲良いと自負しているのだが、そのきっかけを作ってくれたのは、コロナ禍で対面交流が殆ど許されなかった時勢の中でもオンラインの場を沢山設けてくれた団長の彼である。深夜のZoomはここに書ける様な内容のものばかりではないが(笑)、虚無に陥りそうな暗い日々の中で心の拠り所となったあのZoomは本当に素敵な思い出である。彼はその当時から幹部代での「六旗の下に」のフィナーレの「ダッシュ慶應」が楽しみだとよく口にしていたことを思い出す。
この場を借りて、感謝を伝えたい。ありがとう。

慶應義塾大学應援指導部

各校ステージでラストを飾るのは、本年度連盟当番校を務める慶應義塾大学應援指導部。「慶應」はただでさえ画数が多くて大変なのに、応援の「応」の字は難しい奴だし、応援部や応援団ではなく應援指導部という独自路線を行っているのが流石慶應という感じである。少しイジってはしまったが、この「應援指導部」は言い得て妙だ。ピンと来ていない人は是非神宮球場で慶應の応援席に行ってみて欲しい。

それはさておき、隠さずに申し上げると私は慶應のチャンスパターンが大好きである。自校を除いて一番好きである。ちなみに話は逸れるが、自校をこのランキングから除くのは実は重要なポイントだと私は思っている。何故ならば、そもそも「六旗の下に」は自校が一番だと思っていない様な浅い覚悟で出ることが許されるステージではないと考えているからだ。いや、許されるかもしれないが、そういう場合は高確率でここまで応援部に身を捧げて来れていないだろう。だから必然的に「六旗の下に」は、自校が一番だと信じている東京六大学応援団連盟の各校が、一番のプライドに掛けて意地をぶつけにいく戦場なのであり、最後は全校が勝者として手を取り合い、盛り上がる饗宴なのである。
話を戻して、何故私が慶應のチャンスパターンに心を射抜かれたか綴ろうと思う。そもそも私は昔から慶應がいけ好かず、受験時も早稲田にしか出願しなかった。お高く止まってる人達だと思っていたので、好きになるはずがないと思っていたのだが、慶應義塾大学應援指導部の応援席見学に行くとその感情は一変。一言で言うと「曲が最高」。こんなに音楽として完成度の高い楽曲を応援に使うなんて贅沢過ぎるという気持ちになった。そして、生まれながらのパリピなのか、慶應の皆は本当にお客さんを盛り上げるのが上手い。気付いたら恥ずかしげもなく腕を回し、声を出し、応援に夢中しなってしまう。

ステージの話に戻そう。先ずは塾旗の入場。他大学と同様にステージ中央で旗を掲揚するのを待っていたところ、司会が舞台上手側を見ろと言うので目を向けるとステージ脇に塾旗があるではないか!サプライズはそこ迄と思いきや、一歩ずつ行進しながらステージ中央に進んでいくという、初めて見る旗の入場方式に感嘆した。
応援歌「若き血」と「三色旗の下に」はどちらも3パートの部員の息が完璧に揃っていて、もはや芸術の様だった。「見よ精鋭の集う処」と自慢げに歌われたら、こちらとしては「ハハァ…」と感服するしかない、そんなクオリティの高さを感じた。

そして、お待ちかねのチャンスパターンメドレー。今回の「六旗の下に」の選曲は私にとって余りにもどストライク。ファンファーレ「翠」から華々しくスタートした後に、大好きなシリウス、ソレイユ、コールKEIO、孔明、朱雀、アラビアンコネクション、ダッシュ慶應と詰め込みすぎで完璧な内容。孔明の為にわざわざあの「シャァァァーーーンッッッ!!!」となる楽器も持ってきてくれるなんて最高ったらありやしない。チアリーディング部のダンスもキレキレでしなやかで、レベルの差を見せ付けられたが、慶應はある意味別格なので気にせず興奮MAXの気持ちで鑑賞を続けた。それにしてもメジャレッツは有意にスタイルが良い人が多すぎる。憧れの存在だ。

校歌を振る団長は吹奏楽団の方。応援席で見掛けた際から印象に残る圧倒的な声量で、偶然話し掛ける機会があった際に「本当に声が凄いですね!」と呑気に伝えたのだが、後に団長だったということが判明し、本当に自分の軽率な言動を恥じたものである。この文章に目を触れる機会はないと思うがこの場をお借りして謝罪申し上げたい。彼女が振る塾歌は美しく包容力のあるものだった。「文化の護り高らかに 貫き樹てし誇りあり」という歌詞は慶應義塾大学の揺るがぬ高貴な精神を言い表していると感じるのはきっと私だけではないだろう。各校ステージのトリにふさわしい、品格のあるステージだった。

フィナーレ

最後に、「六旗の下に」を締め括るフィナーレステージの感想を書きたい。冒頭にも書いた通り、フィナーレ前半では第一応援歌の演奏に合わせて各校のリーダー幹部が代わる代わる登場して会場のボルテージを上げていく。ここでの注目ポイントは、リーダーの後ろに並ぶ6名のチアリーダーである。各校のチアの連盟常任委員が、六大学の第一応援歌の振り付けを覚えて全員で踊るという、何とも華やかなコンセプトである。東大応援部の連盟常任委員の同期もかなり前から振り付けを練習していたので、まるで子を見守る母の様な気持ちで見守ってしまった。「六旗の下に」のフィナーレという憧れのステージで輝く同期の姿を見て、一方的に幸せな気持ちになった。皆、輝いてたよ!

フィナーレの後半では、各校の名チャンスパターンを繋げ、一夜限りのスペシャルメドレーとしてリーダー幹部がフラッシュモブの様にステージ上に増えていく演出だった。明治大学の狙い撃ちに始まるメドレー、5名のリーダー幹部は全員で下級生の様な拍手を披露。一挙に会場は大盛り上がりする。その後東大、早稲田、立教、法政と増えて行き、最後に登場するのは勿論当番校の慶應。ここ迄で各校の最強のチャンスパターンに合わせて、リーダー幹部がステージ上で下級生の様にはしゃぎ倒すという強気の演出(?ではないかもしれない)に、会場も大盛り上がり。あの熱気に包まれた会場は、応援部人生で見た数々の光景の中でも、忘れられないものの一つになるだろう。そして、最後の最後に慶應の十八番である「ダッシュ慶應」に合わせて、六大学のリーダー幹部全員揃ってテクを振ったのだ。自分が幹部代の時に、全員の「ダッシュ慶應」が見れて本当に良かった。その時は一観客の私だったが、この様な瞬間の為に応援部に入ったのだなと、改めて強く、強く心に刻んだのである。


というわけで、これが私の「六旗の下に」の感想である。1万字を超える大作となることは予想だにしていなかったが、自分が東京六大学応援団連盟に対してどんな感情を持っているのかを整理する大変良い機会になった。自分の所属の関係もあり、話が特定のパートに偏ってしまって申し訳ない。吹奏楽団の演奏は何にも変え難い、応援の根幹であるという思いがある。機会があれば演奏の六大学ウンチクも知りたいものだ。

そしてこのnoteを書いていて、常に頭に浮かんでいたのは六大学の同期の存在である。皆本当に良い人達で、それぞれの理想を持っている。そして何よりも皆応援バカで、話していて最高に楽しい。こうした関係性を作ってくれているのは間違いなく連盟関連の業務を管轄している同期や、今迄そうした関係を連綿と繋いで下さった先輩方に他ならない。この場を借りて感謝申し上げたい。そして特に、今年連盟当番校を務める慶應の連盟本部にはお世話になりっぱなしである。本当にありがとう。

又、例年「六旗の下に」を企画・運営しているのは六大学の下級生である。今回の「六旗の下に」も、少なくとも私が見える範囲では何のトラブルもなく完璧な運営が成されていて、どれだけの時間を準備に割いてくれたのだろうかと驚いている。皆さんのお陰で本当に心に残る、素敵な一日が過ごせました。本当にありがとう。

思い入れの強い一個下の後輩が作り上げる来年の「六旗の下に」が今から楽しみでたまらない。気が向いたらこうした文章もまた書くか。

それではまた来年!


最後に
「六旗の下に」を見に来て下さった皆さん、OBOGの先輩方、いつも応援して下さるファンの皆さん、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。

東京大学運動会応援部四年 吉田莉々


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