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発達障害児の障害物走?


初めまして、りりぃと申します。
小3息子と6歳娘を育てる母です。
普段は読む専門で登録しているnoteではありますが、今回思い立って書いてみることに。
不慣れなので、誤字脱字や読みづらさなどありましたらすみません。

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我が家の子供たちは二人とも発達特性がある、いわゆる発達障害児です。
息子はASDとADHD、娘はASDのグレーゾーンです。

この「障害」という言葉、私はあまりしっくり来なくて…
「発達凸凹」「特性っ子」などと普段は呼んでます。


「障害者」


こう聞くと、本人に何らかの欠陥があるかのように感じられませんか?
でも、この「障害」。
本人の中ではなく、周りに存在するんですよね。
発達障害児は生まれながらにして、進む道に障害がたくさんある、障害物競走…
いえ、競ってないので「障害物走」が始まります。
でも他の人は他の道を走ってますし、その道は見えません。
自分の道が他の人より険しいなんて知る由もありません。
最初の苦悩はそこだと思います。
みんな通ってる(と思ってる)道だから、自分も一生懸命乗り越えようともがきます。
でもとても一人では乗り越えられない。
かといって別の道もない(ように見える)。
自分だけが進めない。
障害物の前で途方に暮れて立ち止まったり、癇癪を起こしたり、落ち込んでしまったり。
でも本当はこの障害、補助を使って乗り越えてもよいし、避けて別の道を行っても良いし、障害物自体を小さくすることも可能です。

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補助になるのは支援や服薬、SSTなどの療育ですね。
別の道は通う園や学校を変えてみたり、引っ越したり、環境を変えること。
小さくするには合理的配慮も効果的です。
そしてこの障害物走、伴走者もいることがあります。
それはもちろん周りの支援者ですが、何より身近なのが保護者です。
伴走車が障害物を乗り越え方を伝えたり、踏切版や踏み台などの補助を差し出したり、いっそ避ける道を示したりすれば、本人が生きやすくなります。
そのためにはまず、伴走者の理解や知識が必要です。
保護者も最初は我が子の道がそんなに険しいことを知りません。
でも、傍で見ていてあまりにも躓きや困りごとが多いと「あれ?」となります。
第三者から指摘されることもあります。
そして発達検査や受診を経て、ようやく我が子の道の険しさを知るのです。
ここで絶望したり、自分を責めたり、保護者も受け入れるのに時間がかかりますが、一度受け入れてさえしまえば、子供にとっては頼りになる伴走者がつくのです。

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ただ、理解はしても我が子の道は見えない道であることに変わりはないので、本人に聞いたり、経験から想像したり、手探りで進みます。
伴走者も自分の道を走りながらですし、自分の経験にないことはたまに対応を間違うこともあります。
自分の道の走り方とは全く違う走り方を一から勉強するのですから、当然です。
でも間違えたらやり直せば良いんです。
同じような障害物走を経験してるお子さんと既に伴走者として走ってる保護者に情報をもらうことも出来るし、障害物走の専門家もいればガイドブックもあります。
補助を使っても難しい障害を避けたいのに、他の道が見つからないこともあります。
道が2つあって、どちらにも別の障害があり、どちらも乗り越えられそうになくて悩んでしまう時。
でもよく見ると道と道の間に「前例がない」という森があったりします。
そういう時は道を作り出すことも必要になってくるかもしれません。
ただそのためには様々な道具が必要になり、それをどうにか調達して、一生懸命道を作り出している間に子供が成長して、乗り越えられなかった障害を乗り越えることもあります。
でも途中まで作ったその道は決して無駄にはなりません。
誰かの道でその森が現れた時に「前例はあるけど難しい」ぐらいに難易度が下がっているかもしれません。
そうやって少しずつ道が出来ていくのです。

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私も先人たちがそうやって作った道を選んだり、あえて避けずに乗り越えるためにどういう補助が使えるか、もしくはどうやって障害物を小さくするか、を常に子供と一緒に考えたり調べたりして、試行錯誤しています。
私も子供も特性が分かってから理解し、学習し、少しずつコツみたいなものをつかみ始めていますが、一筋縄ではいかないこともあって、未だに大きな壁にぶち当たって右往左往したりします。
まだまだ道を切り拓くまでには至ってませんが、前例はあるけど探さないと見えない道を模索しながら進んでいます。

「障害は子供の中ではなく、外側にある」を忘れずに、これからも子供達の良き伴走者でありたいな、と思います。

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