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この間久しぶりに吐いた。

なんだか病んでる系だと思われないように弁解しておくと、普通に飲みすぎた。デロンデロンだった。言うてビール500缶2本と日本酒をおちょこでちょこちょこ、だったけど、酔った。

いつもは飲む量を制限している。日本酒なんて滅多に飲まない。何なら今も日本酒と焼酎の違いは分かっていない。

でもその日は吐くほど酔った。


家族とまとめ動画を見たのだ。

普段僕はLilyという綺麗すぎる名前で醜い人間モドキをやらせてもらってるんですが、2週間くらい前?もっと前かな?
2年以上やってきた東海オンエアのまとめ動画の存在を打ち明けた。

打ち明けたとは言ってもコンプレックスがあったわけではない。
「これを言ったら縁を切られる…」
だとか
「勘当される…」
だとか、そんなものはない。何なら言うタイミングは毎日あった。

でも言えなかった。



「どうしても耐えられない時は、感情に任せなさい。吐けば容量が空く。」

これは偉人の名言ではない。多分偉人は容量とか言わない。
僕が通っていた病院の先生の言葉だ。

畑だったら大豊作レベルの白髪に痩けた頬のおじいちゃん先生。今もバリバリに生きてる。僕はこの方の言葉に何度か救われた。


躁鬱病だと診断されたのは高校生の時だった。

当時はまだポピュラーではなかった病名だったので僕としては「言いにくいなぁ」という感想しかなかった。そううつびょうって。うの負担がすごい。
でもネットを利用し始めて段々と「これ躁鬱病とか言ったら病んでるアピールしてると思われかねん。」と思い、また溜め込むようになった。


彼女がいた。

多分結婚するんだろう、大学を出たらお互い一人暮らしを始めて、なんだかんだ泊まるようになって、成り行きで同棲ごっことか始めちゃうんだろう。そんな相手だった。

でも躁鬱病の事は言えなかった。 

彼氏だけに話してくれる悩み事、これはとても嬉しかった。泣きじゃくる彼女の隣でいつまでも話を聞いていた。

そうやっていつしか自分が溜め込んでいた事を話せなくなり、別れを迎えた。


まとめ動画は本当に気まぐれだった。

自分から何かを選ぶという行動をほとんどしてこなかった。
習い事も、望んでない中学受験も、高校も大学も、全部親が決めた。もちろん習い事で得られるものはあったけど、何かを選択する勇気がなかった。

そんな中でまとめ動画は自分で決めた唯一の事だった。

「たかが切り抜きなのに」って意見は正直俺も思ってる。だけど俺からすればあまりにも大きな一歩だった。

言わば「ネットでの活動」を2年近く続けて、この間母親に呼び出された。


多分僕は母に似ている。肌の白さも、逆流性食道炎な所も、自分から何かを決めない所も、そっくりだ。
大概説教がある時は母発父経由俺行の各駅停車だったので、駅前のカフェに呼び出された時は「おろ?離婚?」とか思った。

Lilyの存在がバレた。

隠してたわけではなく、ただ言ってないだけだった。それでも心のどこかでホッとした。

「すごいじゃん!」

たったその一言が、心の底にある泥みたいな物を掬ってくれた。普通に税金関係の話で呼び出されただけだったけど、嬉しかった。


父に話した。

酒がねぇとやってらんねぇと思ったのと、今まで親孝行なんてまるでしてこなかったので料理を振舞った。そこで話した。



父は理解しなかった。

いや、理解が出来なかった。
それもそのはずだった。いきなり息子が「俺実はYouTubeで切り抜きやってるんよね。」って言われても何も分からないだろう。反応は普通だった。


そしてこの間、父から「お前の作った動画を見よう」と言われた。

父、母、祖母、俺、猫の5人家族なのだが、迷いに迷った。

もちろん彼らは東海オンエアがどんな動画を上げているかも知らない。突然うんこを乾かすシーンだったりゲロまみれの床に唾吐いたりAV女優見抜いたりっていう映像が家庭に流れる危険性があった。だから何度も何度も迷って猫集とか見せた。

猫集でも「アナル」とか言ってた。

だけど家族は笑ってた。

「この人たちってアナルは笑える言葉として認識してるんだ」という再発見と共に、嬉しかった。

その後は第1回寝たら即帰宅の旅を見せた。

楽しかった。


すうっと気持ちが楽になった。

Lilyという存在を作り出してから自分自身の本音だったり20年近く溜め込んでいた思いを隠しすぎていたせいか、ゲラゲラ笑ってたらいつの間にか楽になれた。


躁鬱病と診断されてから7年が経っていた。ようやくあの時、白髪のおじいちゃん先生が言っていたことを理解出来た気がする。

つまりこの話は
「ちょっとテンション高くなって酒飲んだら思ったより酔いが回って吐いちゃった。」
という話でした。なんやこれ。

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