灰色の筆洗



逃亡

ぬかるみに足を突っ込んでいるかのような足取りで大学へ向かう。やっぱり行かないことにしてUターンすると、急にぬかるみから抜けた感覚があった。

大学の授業は月曜日と火曜日しかない。
本当は木曜日も授業がある。音楽の実技だ。
僕はギターが弾けるしラップもするので音楽なら余裕だと思って取ったのだが、いざ授業にいけばオペラの独唱だった。1回目の授業で、大江裕みたいな大男は話した。「別にオペラじゃなくても良いです。J-POPでも構いません。歌いましょう。」
無理に決まっている。小さな部屋に破裂しそうなほどのオペラや合唱曲の空気が充満している。
続けて大男は話した。

「皆さんに歌ってもらうので部屋を移動しましょう」

周りはノリノリで大男に付いていく。その光景がおぞましく僕は教室移動のタイミングで荷物を全部持って逃げた。エレベーターの中、母親にLINEで「ごめんなさい」とだけ送った。
それ以降木曜日の授業は受けていない。

小学校の頃、僕ははしゃいだ子供だった。
3年生ではサッカーを習い4年生にモテ期が来た。
5年生になる頃には人間関係でサッカーをやめていて、そこから歪んできた。
6年生時点ではまだ明るい少年だったと思う。

中学校では小学校時代の顔見知りのほとんどがスライドで進学した。そのため友達は変わらずいた。
陸上部に入り、青春らしい青春をしたと思う。
今考えるととても楽しかったと思う。

しかし中学3年生で人間関係が悪化した。
僕の陰口を叩く連中が現れた。
というより、少し小馬鹿にするくらいだ。
しかし当時の僕はそれが許せなかった。
僕はインターネットで得た語彙力で彼らに直接悪口を放った。
するとみるみる嫌われた。
そいつらは学年で威張っていた連中だったからだ。
その頃から「周りに合わせて意見を変える奴はダサい」という考えが確立された。
僕はひとクラスまるまるから嫌われたが、同時に奴らをよく思わない人間も多くいた。
そのため、僕のスタンスを面白がる人もいて、「嫌われキャラ」として残りの中学時代を謳歌した。
信用していた友達は1人もいなくならなかった。

高校に進学し、嫌われないように努めた。
しかし嫌われないようにすると人と話せなくなった。
勢いで所属したサッカー部は全く馴染めず3ヶ月で辞めた。
それからは生徒会執行部に所属した。
そこでの活動はとても楽しかった。
しかし、僕をいじる連中もいた。
彼らからしたら冗談のひとつだったのだろう。
だが僕からしたら、1軍のやつらがイキがっているように見えた。
僕は誰も彼らに攻撃しないことに腹が立っていた。
だから僕は彼らの悪口をたくさん言った。
今思えば、人に言ってはいけないことばかり言っていた。
いじめられる覚悟をしていた。
しかし、それ以降僕をいじる人間はいなくなった。

社会の生き物



バイトを探さないと。今お金がない。 現在、単発バイトをして飢えを凌いでいる。 高校時代のほうがお金があった。 僕はマクドナルドで3年間アルバイトをしていた。 僕はちゃんと社会人として生きられるんだと思っていた。 そして進学のタイミングで他のバイトもしてみたいと思いマクドナルドを辞めた。 次に働いたのは焼肉屋だった。毎回朝礼のようなものがありその店のスローガンを叫ぶ。営業終了後も同じく叫ぶ。アルバイトの連中はアルバイトのくせに売り上げを気にするので心底気持ち悪かった。僕はとうとう嫌になり飛んだ。スタッフへの嫌悪感が強くあったため罪悪感はほとんどなかった。 その間約2ヶ月間。

次の働いたのは某ラーメンチェーン店。最寄りからひとつ先の駅の近くにある。人は良く、店長と副店長?がとても優しかった。僕は静かで友達こそいなかったが話しかけてくれる人もいた。

しかし気に食わない奴がいた。
ウルフくらいの髪型で女みたいな喋り方をする男子高校生。僕を明らかに舐めた態度をとる。
そいつも静かな奴だ。
シフトが同じになるたび、舐めた態度にイライラしたので、僕は彼に何か頼まれたとき「何言ってるかわかんねぇよ」と放った。
彼は何も言い返さなかった。そしてしばらく経ち僕が彼にラーメンを持っていくよう頼んだら「え?なに?なんて言ってる??」と女みたいな弱い声で言われた。
腹が煮えくりかえそうになった僕は「なんだお前」とだけ言いその場を去った。
思い出すたびに腹が立つためそれ以降彼とは話さなくなったし、心なしかシフトも被らなくなった。

同時期に店長が入れ替わった。
その店長はスポンジボブのパトリックみたいな体型をしていた。
その店長は皆から嫌われていて、僕も嫌いだった。

この不満2つが生まれて以降小さなことが気になるようになった。
まず電車の時間が合わないため帰る時間や行く時間を逆算しなきゃいけないのが面倒だ。油臭くなる。夜が遅い。シフトが希望通りでない。

不満が溢れてくる中、バイト当日、彼女が具合悪くなったためバイト先に長文で辞める旨を伝え彼女に家に向かった。
バイトが彼女より優先される訳がない。俺は良い彼氏だと言い聞かせ罪悪感を感じないようにした。

これまで彼女と呼べる人は過去に2人いた。
しかし恋人らしいことはほとんどせずにいた。
わずか数回のデートだ。
そして別れは呆気なかった。

最後の彼女に至ってはどうだろう。
遠距離恋愛であったのだが、最後のデートの際帰るのが嫌で僕は泣いてしまった。
その子は僕の涙を拭って「またすぐ会えるから!」と言ってくれた。電車に乗ったその子も泣いていた。
「絶対幸せにするぞ」と思ったのだがそのデートから1週間も経たず別れた。
僕が我慢してきたことが爆発してしまいその子に全て話したのだ。言葉は選んだつもりだったがショックを受けたようで別れを告げられた。
しかし引きずったのも2週間程度で後はどうでも良くなった。
考えてみれば僕は大切にされていただろうか?と思いむしろ腹立った。
しかし学ぶことはたくさんあった。
遠距離恋愛が続くのは限りなく稀であるということ。

そしてその後、大切な人と出会った。それは現在の彼女とは別の人だ。
僕はその人に強く憧れた。
その人との出会いと同時期にお笑いに力を入れた。

お笑いで出した結果全てその人に話した。その人はいつも応援してくれた。ラジオまで聴いてくれていた。
その人の生き方は僕がまさしく理想とする生き方だった。

僕はその人のことが好きだった。そしてその好意以上に憧れを抱いた。しかし交際するにはたくさんの問題があり、そもそもその人は僕のことを恋愛対象として見ていなかった。
半ば諦めの気持ちを持ちながら接していた。

そしてしばらく経ち彼女ができた。
葛藤があり、たくさんの時間を使って考え僕なりにケジメをつけた。

憧れの人とは距離があったため通話以外のコミュケーションツールがなかった。
彼女がいるのに別の女性と通話をする訳にはいかないので最後にその人に伝えた。
彼女ができたことと今までありがとうと。

別れ話のようで気持ちが悪いがそれ以外思いつかなかった。しかし伝える意味は絶対あったと思う。

「実は彼女できたんだよね」
「急だね。おめでとう笑」
「だからもう話せないから、最後に言っとこうと思って」
「そうだね」

「今までありがとう」
「こちらこそ」
「幸せになって!じゃあね」
「うん!…いや、なんかウザいな」
「え?」
「なんかウザい笑」
「なんで?」
「ウザい笑 もう幸せだし」
「そっか、良かった。」
「じゃあね、お元気で」
「お元気で」

最後の会話はこうして終わった。
いつかテレビに出ているところを見てほしいと思う。
貴方のおかげで人間として成長できました。ありがとうございます。

そんな人間として成長した僕は人間として尊敬できる人と付き合った。
はじめてこんなにも信頼ができる人と付き合った。
はじめて恋人らしいことをしている。
これ以上書くと惚気のように映ってしまいそうだし、彼女にもしこれを読まれたなら溜まったものじゃない。
ただ僕の考える未来にもう1人増えたことは確かだ。
これからたくさんの問題にぶち当たると思うけれど、何よりも大切にしたい。

中学校の頃からひとりぼっちの感覚があった。
常に追われているようで落ち着かなかった。
友達もいたがほとんどは実は好きじゃなかった。
ひとりになるのが怖かっただけだった。

そしてお笑いにのめり込んだ今、昔とは確実に違う感覚がある。
不幸自慢が得意だった僕には抱えきれないほどの幸せが目の前を埋め尽くす。同じ夢を見る仲間と恋人。

このまま死んだほうがいいかな…

ときおり考えるが、まだ成し遂げていない。
僕をここに連れてきたのは間違いなくお笑いだから、恩返しをするまでは死ねない。

くだらなく、読み返したらきっと恥ずかしい
こんな自伝もどきを書き終えたらネタを書こうと思う。

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