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私の個人的な意見で話す、女性性と社会的立場について


noteって便利、楽しい、時間を忘れる。

Twitter(X)や掲示板と似てるようで全然違う。
自分の選んだものだけを選んで得られるし、見たくないものは見なくても良い。

Twitterのアカウントを開くと、
日々目にしたくない単語や、
絶対にわかり得ない自分とは違う属性同士で対立して言い争う様子など。
(簡潔的に言うならば老人VS若者、男性VS女性、子持ちVS子無し、既婚VS独身、不倫など)

私が最近特に目について落ち込む気分になる話題が、
性差による対立と、子供の有無について。

※以下あくまで私の超超個人的な意見です。



脳の構造が違うんだからどうしたってわかりえない性別同士での争いを見てると本当にしんどくなる。
いかんせん、自分が女性性な分、どうしても意見は女性寄りになる。
かと言って、0から100まで女性寄りの意見とはまた違くて、男性側の言い分もよくわかる。

「女は優遇されて楽で良いよな!」
「男は下駄はかされて楽だよね」

どっちの意見もよくわかる。

女として生きてきた女目線でいうなら、
幼い頃から「女の性としての振る舞い」を社会全体で静かに強要され教育され、
あぐらをかけば「女なんだから足を開くな」
うるせえよ!と言えば「女のくせに」
電車に乗れば痴漢に遭い、
夜道歩いて襲われたら「自衛が足りない」
普通に働けばハチミツの中に精液を入れられ、
普通に買い物をすればトイレを盗撮され、
女は感情的だと蔑まれ、
カッとなって殺したり、残虐事件を起こす大半の犯罪者の性別割合のデータは無かったことにされ、女は感情的だからと蔑まれ、(もちろん女性凶悪犯罪者も居る)

「女なんだから、女のくせに、これだから女は…
女は黙ってろ、女は性犯罪に遭う側だから仕方ない」


女として生きていれば誰でも、程度の重さ軽さは問わず一度は性被害に遭ってると思う。
(これ男性に言っても絶対信じてくれないのはなんで?!)


ここで書くことじゃないかもしれないけど、
自分は学生時代にPTSDになる程エグい痴漢に4度遭った。
思い出したくもないけど…望まない性行為被害も一度ある。相手はバイト先の先輩だから、まだ未成年の自分は訴える事が出来なかった。(訴えると言うことが頭に無いほど判断能力のない子供だった)
一人暮らしを始めたその月に下着を盗まれた。
訪問営業?の男に押し入られて警察沙汰になった。


基本的にこの国では、「身体を狙われる側」じゃないから気づいてないだけで、
例えば、発展途上国の夜道のスラム街を歩く感覚を想像して欲しい。
「道ゆく人全てが犯罪者じゃないけど、確実に犯罪行為をしようと企んでる人はいる」から怖い訳で。


この全てが全て、
全ての人間(男性)に当てはまる訳では無い。

逆に最低最悪の女は当たり前に存在するし、
優しくて聖人のように温かい男性も当たり前にいる。
私の身内も、男性の友人も、お付き合いしてきた男性も
みんな心底尊敬できる良い人たちばかり。

普通に生きていれば、むしろ身体的・立場的弱者を守ってくれる優しい男性ばかりだと思う。


でも そうじゃない人が女性より多い割合で一定数存在してて、
被害に遭う女性が後を絶たないから、今SNSでは男VS女が白熱してるんだと思う。



多分、これは男性が男性として生きてきた以上
どうやっても実感し得ない、女ならではの生きづらさだと思う。
何をするにもどこに行くにも無意識のうちに、潜在的に危機感持って生活せざるを得ない生きづらさ。
そしてなんの落ち度もないのに、被害に遭った時に負う身体的・精神的・金銭的負担や病気や不妊のリスク。
そればかりか、「自衛不足」と煽られるやるせなさ。

そして仮に自分が男性として生まれ育って来てたとしても、
今の女性性の自分と同じように生きづらさを感じると思う。

「男のくせに」「男なんだから」「男なのに泣くの?」
現在、こういう時代錯誤のセリフに苦しむ男性がいると思ってて。
(どうなんだろう。こんな話題を話せる男性が周りにいないので想像でしかないけど)

自分の中で、
男の人は基本的に「休むこと」が許されなくて、
男たるもの〇〇であるべき。の国民性的な固定観念や同調圧力は、
きっと女の私が想像し得ない程のものなんだろうなと推し量ることはある。

そういう意味で、脳の構造の違いだけじゃなく、
育ってきた環境、社会、思想、教育
そもそもの国民性によるジェンダー思想
その他色々な要素がある以上、
男女は絶対分かり合えない。だからある意味不毛なやり取りで揉めてる人たちを見るとしんどくなって、自分はどうすれば良いんだろうどう生きれば良いんだろうってしんどくなる。

今のSNSは、
こういうような目にしたくない辛い嫌なワードで溢れていて本気で気持ちがしんどくなる。
(見るなって話だわ。)



女性が望まない妊娠やレイプなどに遭ったりしても基本的に女性1人では堕ろせない。
(父親がわからない場合や逃げられた場合を除き、配偶者・パートナーの同意許可が基本的に必要)

いつまで経ってもまだ緊急避妊薬はほとんどの薬局では買えるようにならず、
保険適用外の費用を払い副作用に苦しみながら、望まない妊娠や病気の恐怖に耐えて、病院でアフターピルを買うしかない。
(アフピルは100%じゃないので服用しても妊娠の可能性がある)


望まぬセックスなんて、女性側は性病のリスク、中絶手術の体の負担や、将来の不妊リスク、金銭的問題など
全てにおいてリスクしかないのに、男性は気持ちよくなって終わり。

妊娠させて、責任取るのが嫌なら逃げればいいし、
堕させたくない産ませたいなら同意書にサインをしなきゃ良い。

女性の自分の体のことなのに、自分の体の主導権がない。
この件(妊娠中絶)に関しては、とことん男性主体に作られているこの国のシステム。

挙句、どうしようもなくなって産み捨ててしまった女性が逮捕され、孕ませて逃げた男は無罪。
(もちろん女性も悪い)

現在の日本の政治家の男女比率や、
男女の生涯年収差、いまだに残る家父長制度 等。

安定した実家の生まれだったり、
安定した企業に就けたり、
スポーツや文化など各分野で功績を残した女性
を除き、

未だ結構な割合の女性が
「苗字を変え、家に嫁に入り、墓に入り、夫(婚家)の所有物のようになる」
「男性社会の権力と金に縋る」
「体を売って生きる」
を選ばざるを得ない現状が多いよね。

でも、男性の立場で考えた時に
「男は誰の所有物にもならない=女より優遇されてる!」とは思わない。

なぜかと言うと この日本の同調圧力思想において、
男性は男性だからこそ「男性優位の社会」にうまく適応できない場合、生きづらさを感じるのが男性の置かれてるしんどい現状と思ってるから。
(女の自分から見た、あくまで憶測だけど😰)

記事上部の前述で、
「男性は下駄を履かされていいよね」と、SNSでよく聞くフレーズを書いたけど、
環境的、能力的、その他要因によって
いわゆる「下駄を履かせてもらえなかった人」は、
ただ社会から見下されて「チー牛」と揶揄される負の悪循環よ。
(便宜上使ったけど、「チー牛」って言葉も、それを使う人も苦手です…)



現状のそれ(社会的構造)に当てはまるしかほとんど他に選択肢のない性

現状それ(社会的構造)に当てはまらないと生きづらさを感じ揶揄される性


ああ。こうやって結論の出ない事を考え込んで、結論が出なくて疲れてしまう。
みんな同じ、お母さんから生まれたんだからいがみ合わずに仲良くしようよ…って切なくなる。




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