追憶─依田瑞樹

放課後、少し傾いた陽が図書室に長い影を作る。皆が思い思いに過ごしゆったりとした空気が流れるこの時間は心地が良くて好きだった。

本棚を渡り歩き次に借りる本を選んでいると、脇から小さな手が伸びてくる。目をやると懸命に一番上の段にある本を取ろうとする生徒の姿。まだ小さい、1年生かな。
「これ?」と目当てであろう本を代わりに取り差し出すと、彼女は顔を真っ赤にして小さくお礼を口にし足早に去っていった。

……たまには役に立つな、この背も。

長い間コンプレックスだった、嫌でも目立つこの身長。長い髪も鬱陶しくて好きではないから伸ばさなかったし、中性的な見た目も相まってよくからかいの対象になっていた。

ずっと好きになれなかった。こんな自分を。


──素敵じゃない。

響く記憶。

遠い遠い夏の日。

遠方の親戚の家に遊びに行った時、近所を探検していたら地元の男の子達に見た目をからかわれた。堪えきれず泣きべそをかいていた私に、彼女はそっと寄り添ってくれて。

──ねえ、どうか泣かないで。わたくしは貴女に憧れますよ。わたくしでは見られない高い世界も、そこにある物語も見えるのでしょう?

気高く優しい声と空の青が溶けあって小さな自分たちを飲み込んで、海の底で二人きりになったみたいだった。

ああ……あの日のおかげで私は。

──きっと色々なものを見てきたのですね。しあわせも、そうではないことも、たくさん……。だからこそね、わたくし、あなたがとても美しく見えて、男の子たちが意地悪を言っているのが許せなくって……飛びだしてきてしまいました。もうお稽古の時間なのに。

ころころと笑う少女。自分より小さな彼女がとても大きく見えて。背中を押してもらえたようで。少しだけ、前を向けたんだ。

「……瑞樹。瑞樹ったら。考え事ですか?」

はっと声の方に顔を向けると見慣れた彼女の姿。

「静さんがね、部員全員集合ですって。きっとまた真緒さんが何か始めたのね」

目の前で微笑んだ顔があの日の少女と重なる。あの時の広場が佐伯家の庭だったことを知ったのは、高校入学のためこっちに越してきてからだったかな。

本当に……なんの巡り合わせだろうか。


早くいらっしゃい、と手を引かれ慌てて貸出手続きをして音楽室へ急ぐ。
あの夏の日から、幾度も季節が巡って再び会えた奇跡をそっと噛みしめながら。


*台詞お題メーカー様より、「海の底で二人きりになったみたいだね。」をお借りしました。

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