般若心経ってなんや?【現代語】
般若心経、何かっていうと、肩肘張らんで楽に生きる方法なんよ。苦しいこととか、悲しいこと、これって一番ネックやんな? そっから抜け出す考え方やね。俺のじゃないで。仏教のもんや。ガチ解説は別記事でやるよ。
その昔な、釈迦(めっちゃ善人らしいで)とか、弟子、あとなんか菩薩とかいうすげぇやつらが修行しててんよ。で、釈迦はずっと瞑想してた。弟子は話聞きたいって言ってんのにね🥺
觀自在菩薩っていうやつ(いやすげぇやつなんだが)は、般若波羅蜜多……“智譿の完成”やな、その修業をしてはった。
そして見極めた!
「ひとってのは、そのリアルの体(色蘊)、感覚(受蘊)、イメージ(想蘊)、なんかしたいって感情(行蘊)、そんで認識・思考(色蘊)の集合体(五蘊)だけど、そのどれも空虚。変わっていくもんだ。実体のねぇ幻だ」
そこで釈迦の弟子・舎利子は、觀音に訊いたんよ。
「そマ? つまりどゆこと?」
「舎利子くん、実はぜーんぶさっきも言ったように空なんだ。因縁、まぁ平たく言うと原因によって生まれたもんだからな。すべては因果の連なりよ。
だから実体って呼べるもんがねぇ。すべては空だ。空しいもんよ。
でもよ、俺らはリアルにここにいんじゃん。つまりよ、形あるもの(色)は即ち、是は空だ。色即是空だな。
逆もそうだぜ、空は即ち、是は色だ。空即是色だ。
ってことは、本当は生まれることも滅することもねぇ。汚れてることもなきゃ清らかってこともねぇ。福徳とか或いは迷いが、増えることも減ることもねぇ。……空だからな!
同じく、何かを感じる器官もねぇ。その結果になる感覚そのものも空。眼、耳、鼻、舌、身、意……六根って呼ばれてるやつがねぇから、勿論その対象である色、声、香、味、触、法……これは六境だな、これもない。六根が六境を認識するっちゅう六識、ぜぇんぶない! 目に映る世界から、心の世界まですべて空だ。そんでさっきも言ったけど、こいつらは空であり形あるものだ。
智譿がねぇってこともなければ、智譿がねぇってのが尽きることもねぇな。老いて死ぬこともなければ、老いて死ぬってのが尽きることもねぇんだ。無苦集滅道(四諦がねぇ)……つまりこの世は一切が苦っていうの(苦諦)も、欲望が苦しみを生むっての(集諦)も、しがみつくんをやめて苦しみを滅するっての(滅諦)も、忢るための実践っていう眞理(道諦)もねぇってこったな
こんな竟埊に至っちまえば、心に妨げはねぇ。恐れもねぇな。完全に解放されてんのさ。
“智譿の完成”はマジで最高の眞言よ。これだけでも覺えとけ。苦しみを取り除いてくれんのさ。これから言う言葉が、眞言。
|羯帝羯帝《ぎゃーていぎゃーてい》 |波羅羯帝《はーらーぎゃーてい》 |波羅僧羯帝《はらそうぎゃーてい》 |菩提僧莎訶《ぼーじーそわか》
(智譿よ、智譿よ、完㒰なる智譿よ、完成された完㒰なる智譿よ、忢りよ、幸あれ)
大丈夫だ、心配すんな」
こんときに釈迦が瞑想を終えて、「そのとーり」つって觀音を褒めた。その場にいたやつらは、みんなその言葉に喜んだんだわ。
終わり。
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