【感想・考察】THE FIRST SLAMDUNKを2回視聴しました

自己紹介:原作履修済み、アニメ途中まで、バスケ未経験

ずっと気になっていたTHE FIRST SLAMDUNKを見に行き、ドはまりして3日後に2回目を見てきました。
熱いうちに感想・考察をまとめてみました。
良ければ読んでいってください。


設定について

リョータ主人公について
公開からかなり経っているのでさすがにこの情報は知ってました。
井上先生の思い入れ、日本人的に小柄なバスケ選手への感情移入のしやすさもあると思うし、あとは昔よりも家族背景の複雑さみたいなところにみんな共感しやすくなってる(気がする)のも関係してそうだなぁと。

タイトル

THE FIRST SLAMDUNKというタイトル。
FIRSTは最初の、という意味なので、スラムダンクの最初、つまり物語が始まる前の土台の部分、という意味かなと思いました。スラムダンクという物語の最初、根源にはこんなストーリーがあったのだ、という。

映画のシーンごとの感想

2回しか見てないので順番とかうろ覚えです。

オープニング 沖縄

文字で場所の設定を示していたのはここだけ?沖縄であると場所を明記するのが大切だったと思われます。
井上先生のインタビューでは元々リョータが沖縄出身という構想はあったとのこと。そこを深堀りしたんですね。私はてっきりリョータも湘南のヤンキーだとばかり…笑

宮城兄弟登場

リョータがうまくなっていく話なのかな、と思わせる。
ソータの動きが、ぬめっとしてて、普通のアニメを想定してたからやや違和感がありました。CGっぽいというか。まぁでもそこはすぐに慣れました。

山王戦スタート

ラフ画に線が入っていくような形で一人ずつ書きあがり、書きあがると同時に動き出す、という演出。
一度アニメ化されているにも関わらず、初めてキャラが動き出したかのような感動を与えてくれました。
そしてLOVE ROCKETSとマッチしてめちゃくちゃかっこいい!
ここを見るためだけに2回目行ったと言っても過言じゃない。ここをPVにしてほしい。毎日見る。
全員揃ったところで、神奈川県代表、湘北高校の文字
めちゃかっこいい!強そう、そして柄悪そう。
ワクワクが最高潮ですね。

試合前半

前半はあっという間。2時間にまとめるのだから確かにここは省くところなのでしょう。
テンポがすごく良くて、テレビアニメ化のときは井上先生と意見の相違もあったというけれど、確かにこれをやりたかったならテレビアニメのはちょっとレベルが低いと思われても仕方ないのかも。
リョータと花道の連係プレー、三井さんのスリーポイントが次々と決まるところ、アニメでここまでバスケのプレーらしさが出るのか!と圧倒されました。

ソータがいなくなる

1on1の約束をしたのに友達と海釣りにいくソータ。ここでリョータが泣いて引き止め、もう帰ってくるな、というのだけど、正直、そこまで泣くか?という展開なので、余計にこれは盛大なフラグであることが分かってしまう。
その後帰ってこなかった、というのは明確に示されていないものの、帰ってくるな、なんて言わなければ良かった、というのがリョータの中で一生後悔として残るんだな、というのが良く分かる展開です。
この物憂げなソータがなんとも良いシーン。

ミニバスのシーン

ソータが亡くなったことがバスケを見ているおじさんたちの会話から分かります。
リョータはミニバスの試合で奮闘するも、兄には及ばない。兄の代わりにはなれない、とおじさんたちの会話ですが、それが母の中にも、リョータの中にも重荷のようにここから多分映画のラストまでずーっとあるんだと思います。
最後に手紙で、ミニバスの試合来てくれて嬉しかった、とリョータが言っていましたが、リョータ母、ソータを失ってリョータのバスケもほとんど見に来なかったんでしょう。どんなに頑張っても母に認めてもらえない、見に来てもそこに兄を重ねられてしまう。少年リョータが屈折してしまうのも無理がない、そう思わせられます。リョータのキャラにはこんな過去が、と納得させられました。

ソータの部屋での母との喧嘩

仮面はどんな意味がある?仮面=ソータとすればソータの代わりを生きるリョータのイメージでしょうか。
2人とも傷ついて、あんな風に喧嘩なんて多分したくはないのにお互い止められない、すごくしんどいなと思いました。

神奈川への引っ越し

クラスでの自己紹介、前髪をいじいじするリョータ、とても緊張しているんだろうな、と思うけれど、かっこつけて、宮城リョータっす。と自己紹介。ここも心臓バクバクだったんでしょうか。
私はこのビジュがどストライクです。(聞いてない)
そういえばヤスとは幼馴染という設定だったはずなので、今回の新エピソード追加で、中学校から一緒、ということになったのでしょうか。とするとこの自己紹介シーンのどこかにヤスが?DVDが出たら要チェックです。
そして調子に乗ってると思われて上級生からの暴力にあいます。リョータにとって神奈川の印象はおそらく最悪ですね。多分離れたくなかった沖縄から離れ、何もかもうまくいかない、という思いだったのでしょう。

まさかの三井寿との出会い

団地でバスケをすることで紛らわそうとするも、音がうるさいと近所のおばちゃんに怒られ、ストバスを見つけます。
そこでなんと、中2三井寿登場。まさかの。どちらかというと高3三井と風貌の似た、三井さん登場。そこでリョータはその三井とソータを重ねます。
小学生?と聞かれるリョータかわいい。
2人はそこで会ったきり次に会うのは高校のようですが、ソータのように、儚くもう会えない存在だったストバスの中2三井と、不良ではあったけれど高校で再開したのは、リョータにとっては少し嬉しかったのかな、という気がします。ソータのようにいなくなったのではなく、まだここに生きて、いるのだ、というのが。
このシーン、わざわざ追加ということは、三井=ソータの構図がだいぶ意識されているということかと思います。(が、それ以上に腐女子ホイホイな設定…と思わないでもない。)

三井寿との再会

ゴリの指導に、合わねえ、というリョータ。それに対し、期待してるからだよ、と励ますヤス。
そこに偶然通りかかった三井たち。不良になっていた三井は多分この時もバスケをやめたことを引きづっているので、期待されている1年、という宮城に嫉妬したのでしょう、つぶす、と決めます。
一方リョータはあの時のストバスの人と同じ人であることをすぐに見抜きます。それを気付いてほしくてか、いつでも1on1してやるよ、と挑発。三井は…その挑発には気付かなかったのかな?という気がします。まぁ三井さんらしいか。

屋上での集団リンチ

正直、令和のコンプラで色々削ったのにこれはOKなのか?と思わなくはないですが…リョータが屋上に呼び出され、2人が病院送りになる有名な?リンチシーン。
リョータが強気な発言をする裏で手が震えている、それをポケットに入れて隠す、というシーンがなんともリョータの内面をうまく描いていて良いですね。心臓バクバクでもめいっぱい平気なフリというわけです。
三井さんは三井さんでバッシュを見て色々感じているんですね、というのが見え見えです。
気を失っていたリョータが目を覚ますと、雪が降っています。
これもまた上手いなーと思いました。沖縄はほとんど雪が降りません。なのでここでの雪は、沖縄ではない場所、神奈川にいるのだ、ということの表象になっているなと思いました。それを「ゴミ」みてぇ、と言う。リョータ。沖縄ではないここ神奈川が、そして今の自分の境遇が、ごみのようだ、と。
場面は変わって三井が歩いているシーン。ここでもカラスがゴミを漁ってるところが出てきます。三井もまた、自分をゴミのようだと思っている、ということでしょう。三井についてはカラスに食べられるゴミ=自分と、引退してもちゃんとランニングをしている尊敬する安西先生、というのが対比になっていると思います。

原付事故

リョータは原付なんて乗っていたっけ?という疑問はさておき、原作ファンびっくりの、リョータの入院の理由はリンチではなく原付事故、のシーン。
前の場面で、雪を用いて沖縄と神奈川の対比がなされました。リョータの中にも雪の降らない、こんなやさぐれた自分ではなかった、沖縄、というのが頭にあったと思われます。そこで自暴自棄に運転し、事故にあったときに沖縄の景色が見えたのでしょう。
にしても沖縄の景色が綺麗でじーんと来たシーンでした。

病院

病院のベッドで目を覚ますと、妹のアンナと母がベッドの横にいます。そこで沖縄が見えたぜ~とふざけてみせるリョータ、母は怒ります。
本当は謝りたかった、そうすべきだった、と思うリョータ、生きててよかった、と声をかけたかった母のすれ違いが上手に描かれています。

沖縄帰省

これは1人で帰ったのか?退院して沖縄にいるらしいリョータ。
自分の住んでいた家をみたり、おばあと話したり、懐かしそうに歩くリョータ。
雨に降られ、かつての兄との秘密基地に逃げ込みます。
ここは父が死んだあと気丈に振舞っていた兄がこっそり泣いていた場所。そこでリョータも自分の弱さをさらけ出し、泣く、というのがとても良いですね。兄もまた、弱さを持っていたのだ、と気付くことが出来たのだと思います。
些細なシーンですが、秘密基地に入ろうとして頭をぶつけるリョータ。大きくなったことが伝わります。
そしてバッグから出てきた月刊?週刊?バスケットボール。ここで兄が最強・山王に勝つ、という夢を描いていたことが分かります。山王戦はリョータにとってこういう意味もあったのか、と気付かされます。
余談ですが、原作にあるゴリが最初に読んだ月刊バスケットボールも同じ表紙でした。こんなところで出会う前から繋がっているというのはなんともエモいですね。
そんな兄との思い出を思い出し、今までのこと、今の現状、いろんなことが思い起こされて泣くリョータ。リョータが泣くところなんて見られると思いませんでした。誰も見てない秘密基地だからこそこんなに思い切り泣ける。そしてこれだけ思い切り泣いたからこそ、前に進める、そんなシーンでした。

三井さん復帰シーン

あんな喧嘩をしたにも関わらず意外と普通に話しかけるリョータ。
なんすか、その頭 え、まさか戻るんすか
ここ見ると、りょーちんいいやつだよね。
地面と平行に頭を下げる三井さん。決意が伝わる、三井さんらしい良いシーン。

IH前日

リョータの誕生日。ここでソータとリョータが同じ誕生日だということが明かされます。
ソータが兄弟で同じ誕生日なんて珍しい、俺たちは特別、と言っていた記憶。リョータにとって、それはおそらくものすごく嬉しく心をくすぐる響きだったんじゃないかと。
そしてソータと同じように現実でもプレートを二つに割るリョータ。自分の分はぐしゃっと割ってしまいます。ここがどういう意味なのかな、と自分の中でしっくり来ていないのですが、この次のシーンで手紙に、「生きているのが俺ですみません」と言っていることから、プレートのソータを残し、代わりに自分のリョータのプレートを粉々にし、自分が代わりに死ねば良かった、と思っている、という意味合いかな?と考えています。

手紙

母に手紙を書くリョータ。上述の生きているのが俺ですみません、というのが心をえぐります。それをぐしゃっと丸めて捨てるリョータ。
自分がしたのは母さんを悲しませることじゃない、と思ったのではないでしょうか。
バスケを続けさせてくれてありがとう、と母につづるリョータ。
素直になりきれない母はIHに送り出すこともせず(これはどうかと思ったが)リョータが出た後海辺で手紙を読みます。
リョータが頑張っている、それを感じて、自分も前に進もうと思えたのでしょうか。手紙を読んだ後、広島に向かったのはそういうことかなと思いました。

君の舞台です

原作からの台詞変更、ということはこの言葉に大きな意味があるということでしょう。
「湘北の切り込み隊長」ではなく、「君の舞台」
リョータにとってそれは、ソータではなく自分の舞台である、ということ。
観客からの声援にあたりを見回すシーンがありますが、これも、自分はソータの代わりに立っているのではなく、宮城リョータとしてここに立っているんだ、自分がやるんだ、と感じていると思いました。

リョータがゾーンプレスを破るシーン

今回の映画で最も盛り上がるシーン。ここで第ゼロ感のサビがこれでもかというくらいはまる!
リョータ母の声援と彩子さんの声援が重なり、かの有名な
ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!
とともにゾーンプレス突破。めちゃっかっこいい。

流川と花道のパーン

原作での最高潮のシーン。やっぱりこれは外せない。
のだけどやはりリョータの映画だからな…もう1回リョータのバスケ的かっこいいシーンが必要になっちゃうから、最後のアメリカでのシーンなのかな?

IHから帰ってきた海辺のシーン

防風林の感じが、茅ヶ崎の海っぽい。人もいっぱいいるし、サザンビーチかな?
朝手紙を読んでいた時はリョータ母一人っきりだった海。帰ってきた今は人がいっぱい。IHが終わって緊張感が解け、日常の中の一コマ、ということの表現なのかな。
ここでソータの死以来多分初めてこの親子が向き合うシーン。
沖縄の海もきれいだけど、この泥っぽいあんまりきれいじゃない湘南の海も、それはそれで現実として悪くない。そういう対比があったような気がします。
リョータ母が、「おかえり」を言う。リョータが照れくささを隠しながら「ただいま」と言う。IH前日に玄関にソータが帰ってきた幻影が見えていたことからも猶更、この「おかえり」「ただいま」がリョータ母にとってどれほど大切なものか、というのがじんときます。

リストバンドを渡す

ここでリョータはソータのリストバンドを母に渡します。安西先生に「君の舞台」と言われ、手紙に「ソーちゃんが立つはずだった場所に自分が立つ」という意識から変わって、ソータの代わりではない自分、を手に入れたリョータにとって、もうリストバンドに頼る必要はなくなった、ということなのかもしれません。

最後のシーン

リョータが母に渡したリストバンド共に、食卓にソータの写真が飾られるように。宮城家が再スタートできたんだな、という良いラストでした。

考察

場所的対比 沖縄と湘南

沖縄は言うまでもなく、ソータとの思い出の土地、美しい過去の象徴。沖縄の海はもちろん綺麗。
湘南の海は比べてあまりきれいではない。黒っぽい砂。母親とうまくいかない、不良に目を付けられる、バスケもうまくいかない。
だが、そこで泥臭く努力し、強くなっていく。
過去と現実、ソータの生と死、それらが沖縄と湘南のそれぞれの海に対比されているように思う。

リストバンドとNo.1ガード

リストバンドは言わずもがな、ソータの形見であり、リョータの心の支えです。
リストバンドは左腕につけていますが、re:SOURCEによれば最初の沖縄でのシーンでリョータが左手首を痛がるシーンがあったとのこと。それ以降もリョータは不安になると左腕を握るクセがあるようです。彩子さんとのシーンでも、「尻込みばっかり…」と言いながら左腕を握っていました。そんなリョータの弱さの象徴を守り支えるのがソータの赤いリストバンドの役目のように見えます。
彩子とのシーンで(多分)初めて自分以外に弱いところを見せたリョータ。そこで彩子の提案する「手を見る」という新しい「お守り」ができます。
今まで1人で平気なフリして頑張ってきたリョータ。だけどこうやって人に弱いところを見せるのもまた大事なことだと思います。リョータはまた一つここで成長したのかなと思います。
ソータとのことを乗り越え、弱みを吐き出すこともできるようになり、リストバンドを母に渡したあとはもう左腕を握ることはなくなったように見えます。そしてその代わりに、手のひらを見る、これがリョータを支えるお守りになったんですね。アメリカのトイレでのシーン。えづいていることから心臓バクバクで緊張しているのがうかがえますが、そこで「手のひらを見る」シーン。No.1ガードと書いてはいないけれど、多分リョータの目にはその文字が見えているのではないでしょうか。

キャプテンというワード

宮城家の父が亡くなった後、ソータは自分がこの家のキャプテンになる、と宣言します。そしてリョータは副キャプテンと。
家族とバスケのチームを掛けた、ミニバスキャプテンのソータらしい発言です。
ソータが亡くなって、自分がキャプテンにならなくてはいけない、というのは明言されていませんが、リョータの中にあったのではないかと思います。キャプテンにならないといけないのに、自分はソータのようにはできない、尻込みばかり、迷惑かけてばかり、そんな引け目があったように思います。
湘北においては、赤木がキャプテンとしてチームを引っ張ります。(湘北では小暮さんが副キャプテンですが)そのキャプテンが最後の円陣での声出しを顎でリョータに譲っている。これはチームをまとめるキャプテンとしての力がついたと赤木が認めたということで、同時にリョータにとっては今やキャプテンをつとめられるだけになっているのだ、という自信につながるだろう。映画では描かれなかったが、実際赤木の引退後はリョータがチームのキャプテンになっている。
これは家族の中でもキャプテンになっていく、そんな未来も暗示していると思われる。

ソータと三井

映画の中で、三井は分かりやすくソータを重ねられている。上述したように、リョータが中1の時点では三井はバスケが圧倒的にうまく、そして友達との約束のため自分を置いていなくなってしまう、そんな存在であった。ソータへのあこがれが投影された相手である。
そんな三井と高校に入って再会、居なくなっていたと思った兄を重ねた相手がいたことへの安堵、そして今はバスケをやっていないことへの失望があったのではないかと思う。その失望からのいらだちを屋上リンチのシーンではぶつけたのではないだろうか。
しかし三井は更生し、更には頭を下げバスケをまた始める。このあたりからはもうソータとは重ねなくなっている気がする。世界の全てがソータとの関係の中にあったリョータが、現実世界とちゃんと繋がっていけるようになっていく、そういう描写に思えた。


愛が熱すぎて長くなってしまった…これから原作を再履修します。大好きSLAMDUNK!

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