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失速する光~「光る君へ」第20回までの総評(1)


はじめに&おことわり

NHK大河ドラマ「光る君へ」は、2024年5月19日に第20回が放送された。次回の終盤からしばらく、舞台を越前に移す。物語は大きな区切りを迎えた。

そこで、本稿では第20回までを「第一次平安京編」と位置づけて、総評的な意見を書いてみたい。

…と意気込みつつ、大枠を設定した下書きを作っていたが、「こんなはずではなかった」と、正直ぐったり疲れている。ドラマ放送を機に『枕草子』を軸として平安時代に興味関心を持ってしまったのは自分の目利き違いで、不覚を取ったのでは…とまで思っている。

ドラマは藤原兼家が世を去り、長子道隆が後継として政権を担った第15回あたりから、急激に失速した感がある。道隆一家、いわゆる中関白家のほうに好感を持つ側としては、忸怩たる思いだけでは済まされない。ドラマのみならず、今の世の中に巣食う根深い闇まで感じてしまった。

従って本稿は、ドラマに対して批判的なスタンスを取っている。「ドラマなのだし、ファンタジーとして楽しみたい」とは思うものの、ファンタジーに酔い過ぎるなかれと、自らを戒めている。特に歴史上実在した人物(福来スズ子や羽鳥善一など、実在した人物をモデルとしたキャラクターを含む)を描く物語の場合は、喜んで酔うところと、それはおかしいと冷静な目を持って一歩引くところのめりはりをつけつつ、自分なりの考察を試みるまでが「楽しむ」うちに含まれるものと考えている。

また、以前の記事でも書いた通りあくまで「にわか」の立場であるゆえ、誤解や勉強不足の露呈も少なからず現れるであろうことをあらかじめご承知おきいただきたい。

初期設定の賞味期限

以前の記事でも書いた通り、序盤は上々の滑り出しだった。主人公まひろが少年時代の藤原道長(三郎)と偶然出会ってひかれあい、手に余る乱暴者だった道長の兄・道兼が激情を抑えられず、まひろの母を殺めるという大がかりなファンタジーを原動力としたストーリーテリングが次々とはまっていた。散楽の直秀をはじめオリジナルキャラクターの配置も絶妙だった。(毎熊さんは当分の間「帰るのかよ」の人と言われ続ける運命だろう。)どっしりとした風格を持ちながら、早口で神経質に正論を言う藤原実資など、キャラクターの見せ方にも工夫が凝らされていた。

序盤は脚本家大石静先生が一番得意とするパターンに持ち込めていたのだろう。サッカーならばボールを支配して、味方へのパスが気持ちよく決まる展開だろうか。私はテレビドラマをほとんど見ないが、大石先生はラブストーリーに定評があり、たくさんのヒット作を出してきたという。そこで培った手法が発揮できていたのだろう。

しかし、その賞味期限は直秀が非業の死を遂げた第9回、まひろと道長が肉体的に結ばれつつも、生きる世界が違うと自覚して、それぞれの道を歩んでいく決意を表した第10回あたりまでだったのではないか。二人が大人になり、歴史好きの人によく知られている史実事項へ本格的に関わっていくパートに移ってからは、大石先生の得意技が通じづらくなる。サッカーならばボールを相手方に奪われた場面にあたるだろう。大石先生も、制作統括はじめスタッフの誰しも「賞味期限切れ」に気づかなかった、気づこうとさえしなかったことが失速を招いた。

いくつかの予兆

失速の予兆は3月半ばから見られた。3月18日にNHKホールで「ファンミーティング」が開催され、吉高さんや町田さんなど主要登場人物役の俳優が出演した。

最後に「今後の見どころ」を話してもらうコーナーが設けられ、ファーストサマーウイカさんは

「皆さん、ここ数回しんどい展開が続いて苦しくなっていませんか?でも大丈夫ですよ、もうすぐ定子さまが出ますよ!定子さま、本当に素敵なのだから!」

と、繰り返し「定子さまアピール」をしていたらしい。翌日の新聞社系・エンタメ系ネットニュースにはその模様が詳しく報道されていた。定子さまも帝も、それはそれは素敵なお姿が発表されているし、『枕草子』ファンとしては否応なく期待が盛り上がるではないか。

ところが、4月初旬にNHK総合でファンミーティングが放送された際、ウイカさんの「定子さまアピール」は全てカットされていた。何か嫌な予感がした。

さらに「ステラnet」に掲載された定子さまのインタビューがもやもやを増幅させた。

「一条天皇に対しては、単純に生き物として惹かれあっていた。」

電力機器や衛生用品を数多持ち、それらを生存の前提とする現代人よりも、当時の人のほうが鋭敏な動物的感覚を持ち合わせていたことは確かだろうが、一条帝と定子は動物的な相性の良さや恋愛感情のみに留まらず、知性や人間性においてもお互いを尊敬しあう、日本史上屈指の理想的カップルだったのではないか。「比翼連理」というらしい。そこを描かない平安絵巻実写化なんて…。

最も気になったのは以下の発言。

演じるにあたって事前に調べたことはありますか?

スタッフの方が貸してくださった書籍を読みました。 でも、清少納言が描く定子って、良くも悪くも“盛った”状態なので、実際どういう人だったかは、つかみづらい部分もあって……。なので、大石さんの書かれる定子を追いかけて、やらせてもらっています。

「ステラnet」2024年4月21日

最初これを読んだ時から腑に落ちかねるところがあったが、今にして思えば、現代の定子さまに『枕草子』を詳しく読み込まれてしまうと、大石先生の脚本が馬脚を現してしまうので、あえて定子さまに”目隠し”をさせて撮影に臨ませたようにも思える。

”究極の恋愛勝者”への嫉妬?

自由恋愛制度が定着している現代の価値観で見ると、中宮定子は”究極の恋愛勝者”である、という解釈も可能だろう。親の都合でごく幼いころに結婚相手を決められ、その人と一緒に生涯過ごすことを課された人生ではあるが、その相手が常に自分を一番に思い、心から大切に愛してくれる。イケメンで、知識も教養も抜群で、なおも研鑽を怠ることなく、ユーモアにもあふれている。周囲の人が自ずと慕ってくるオーラを兼ね備えていて、優しい心遣いを欠かさない。子供の頃からずっと一緒なので、”弟”からスタートして、自分好みの”彼氏”から”ダーリン”まで育てていく妙味まである。

前にも書いたが、定子さまは数多の現代人の肩に重くのしかかる、恋愛関連・夫婦関係の苦労をあらかじめ免除されている生まれつきである。「本当にそんな人がいたの?いくらお后さまとはいえ、ちょっとずる過ぎない?」という嫉妬心が無意識のうちに生まれてきても不思議ではないだろう。比翼連理をそのまま描いても面白くも何ともないと浅はかに考えた末、定子さまを”アンシャンレジームのアイドル”的に描こうとスタッフが思い立ち、脚本家がそれに乗ったと考えるのは、うがち過ぎだろうか。

”敵役”描写の副作用

4月に入ると、本編のサブタイトルやナレーションにもどこか棘のある表現が増えてきた。

第14回の最後ナレーション「道隆の独裁が始まった。」
第15回のサブタイトル「おごれる者たち」
第16回の冒頭ナレーション「中関白家は、帝との親密さをことさらに見せつけた。」

道隆一家を貶め、勧善懲悪ものの敵役として描こうとする気満々であることが伝わってくる。坊主憎けりゃ何とやらで、ナレーションを担当するアナウンサーの声まで疎ましく思えてきた。

本作では藤原伊周を「最低なクズ人間」として描いている。近年の社会で問題になっている、政治家や似非知識人の失言や暴言を風刺する形も取りつつ、視聴者のヘイトを集める図式が形成されている。

伊周がそれほどの愚か者ならば、一条帝に夜通し漢籍の講義を行い、夜明け前に帝が疲れて眠られてしまったところ鶏が朝の鳴き声をあげて、帝が目を覚まされて、それを見かけた中宮がお笑いあそばされた…などのほのぼの話を記録に残そうとするだろうか。前の記事にも書いたが、帝と定子に紙を献上して、知識と教養を磨いていただこうとした伊周の忠心はどうだろうか。それらは全て「盛った状態」に含まれると言うのか。

ドラマで道隆・伊周父子は、民の疫病対策に全く関心を寄せない冷酷な無能政治家として描かれていたが、『本朝世紀』では伊周こそが疫病対策に(当時のレベルで)力を尽くしたと記録されている。

午後、権大納言藤原伊周卿、左の議場仗座に参着す。臨時の振給の使ひを定め行はる。是京中に病に臥し食に乏しき輩に行はるるなり。道路の病人、連々としてとして絶えず。

『本朝世紀』994年4月8日

この史料の妥当性はどう評価されているかわからないが、もし事実を反映していた場合、脚本ストーリーが根底からひっくり返る。制作陣はそのリスクを正しく見積もっていただろうか。

「光と影」の二項対立に話を単純化して、昔風の勧善懲悪物語に矮小化すると、視聴者の間に深い分断が生じる。悪役が全くのオリジナルキャラクターであるところの娯楽時代劇ならばまだしも、現代まで語り継がれ、ファンもそれなりにいる、歴史上実在した人たちに烙印を押すような描き方をしてしまうと、悪く描かれたほうを応援する側は当然面白くなくなり、負のエネルギーが蓄積されていく。SNSが普及している時代、良く描かれている側のファンとの対立があっという間に先鋭化して、やがて取り返しのつかない事態を招きかねないとまで、思いが及ばなかったのだろうか。

この物語は、道隆一家を悪く描かなくても立派に成立する題材のはずである。むしろ好意的に描きつつ、切磋琢磨する展開に持っていくほうが、放送局にとっても後々のためになるのではないか。

4月に入るとSNSの「#光る君絵」タグに投稿されるイラスト作品が減ってきた。直秀はじめ序盤を牽引した人気キャラクターが出番を終えたこと、まひろと道長の恋愛関係に一応のピリオドが打たれたことに加わり、4月に始まった連続テレビ小説が結構評判を呼んでいるようで(私は見ていない)、そちらに取られてしまった面もあるようだが、シナリオの迷走ぶりがここにも反映されているように見受けられた。

道長は”名臣”か

本作において藤原道長は「普段ボーッとしていて、政にもそう関心を持っていないが、大局観があり、本質を見抜く力を備えた大器」として描かれている。さらに、まひろに対して激しい思慕の情を隠し持っている。このnoteでは「まひろスイッチ」と称している。まひろのことになると途端に周囲が目に入らなくなり、暴走を始める。制作スタッフ側にしてみたら「一番描きたい”純愛”」という位置づけなのだろうが、帝と定子さまのエレガントな愛情を前にすると、どこか騒々しく油ぎって見え、品性に欠ける印象になってしまう。

第15回では「競べ弓」が描かれた。『大鏡』の有名エピソードである。

南の院(道隆邸)で伊周が競射をしていると、突然道長が来る。道隆父子は「お誘いしていないのに」と不審に思ったものの、それでも道長をもてなした上で矢を射させたところ、道長が2本多く当てた。

道隆や見物していた人たちは延長戦を促す。道長は不機嫌になり

「我が家から帝立つならば、この矢当たれ」

と言いながら射ると的中。後から射た伊周の矢は大きく的を外してしまう。

道長はさらに

「摂政関白になるはずの者ならば、この矢当たれ」

と言い、また的中させる。場は一気にしらけてしまい、道隆は伊周に射的を止めさせた。

…が、もともとのお話。
しかしドラマでは、まず道隆が「弓競べを見て行け」と道長を誘う。

道長は「今日は、そのような気ではございませぬ」と、気の抜けた返事をして、あえて矢を大きく外す。そのまま立ち去ろうとした道長に、伊周が「まだ矢は残っておりますぞ」と挑発する。

伊周は「我が家から、帝が出る。」と言って矢を射るが、中心から外れる。続いて道長が同じように言って矢を射たら的中。次に伊周が「我、関白となる。」と言い矢を放つと大きく外れる。道長が同じように言いかけたところで道隆が慌ててストップをかける、という流れにしていた。

すなわち一般視聴者に、「伊周は生意気で空疎な自信に酔う小物だが、道長はくだらない遊びなどには目もくれない、それでいて腕前は確かな大人物」と印象づける仕掛けである。

『大鏡』は道長を讃えるべく書かれた後世の創作で、もともとの話からして事実ではないが、本作ではさらに道長を持ち上げる目的の印象操作が行われている。

そもそも道長は、民に気を配り、帝をよく補佐して善政を行った”名臣”だったのだろうか。江戸時代の将軍や大名ならば「名君」だが、この時代は天皇と貴族との関わりがより密接であったゆえ、優れた為政者は「名臣」と称するほうが妥当だろう。

ドラマ制作陣は「これまで道長は、権勢をふるい、何もかも自分の思うがままにして栄耀栄華を極めた人物とされてきたが、それにとどまらない一面を描いていきたい」と意気込んでいるが…。

『小右記』などの史料では、かなり若い頃から結構悪辣なことをしていたと記録されているという。ということは、道長にとって都合のよい『小右記』の記述を恣意的に選んで作劇しているとも思われる。その姿勢はいかがなものだろうか。

道長を「もともとは野心のない、検非違使役人のコントロールもできない、うぶな青年」として描くのならば、一条帝の寝所にまで乗り込んで「道長を関白にせよ」と強く推挙した姉・東三条院藤原詮子こそが最大の悪役になる。しかし本作では序盤に「父親の謀略に巻き込まれ、誤解により円融帝と不仲になった」として、視聴者にまず憐憫の情を誘わせる。ひとり息子の懐仁親王が幼いころ、定子と仲よく遊んでいる光景には目を細めていたものの、親王が即位して定子が入内してくると「自分にはないもの、欲しくても得られなかったものを全て持っている完璧な嫁」の出現に脅威を感じて「鬼の教育ママ」と化す。実際に帝を教育した講師は妻の母方祖父にあたる高階成忠で、後に伊周も加わったはずだが、そこは無視する。

嫌な姑と思わせかけたところで「母は、自分のことなどどうでもよいのです」と、世のため人のためを思う”慈母”を演出して、定子のほうに至らないところがあるかのように印象づける。このドラマにおける詮子は、前述した「究極の恋愛勝者に対する現代人の嫉妬」を投影させるキャラクターとして配置されている。その姿勢はいかがなものだろうか。

詮子から見れば、定子の母方(高階氏)の身分が低いことが気に入らなかったのだろう。高階氏は天武帝の子孫と言われているが、ドラマで描かれる時点で皇族を離れて200年以上経過している。

長兄・道隆が教養に優れた女房を嫡妻としたことから、身分の低い高階氏が権力の中枢に関わってくる。何とかこれを排除したい、が本心だったのではないか。要するに伴善男や菅原道真が犠牲になった”他氏排斥”の繰り返しである。

詮子は権力欲が強く、父譲りの権謀術数を巡らせることが得意な人で、他氏や藤原の遠戚筋を排斥した上で息子の一条帝を自らの支配下に置こうとしていたのではないか。それはむしろ醜悪な話である。

詮子や道長の考え方の背後には知性と教養に優れ、今で言うリテラシーを持ち、さらに一般民衆の暮らしまで視野に入れられる人物が貴族社会の上に立つことへの反発、言い換えれば「知性主義」への強い忌避感があったように思える。それは『小右記』にも記録されている。

万事推量するに、用賢の世、貴賤、研精す。而るに近臣、頻りに国柄を執り、母后、又、朝事を専らにす。無縁の身、処するに何と為んや。

『小右記』997年7月5日

長徳の変の翌年、藤原道綱大納言宣命の際に書かれた記述である。「近臣」は道長はじめ政権の中枢にいる者たち、「母后」は女院を指す。「無縁の身」は実資自身を示している。

「光る君へ」は「道長の再評価」を軸に据えているから、ストーリーにいろいろとひずみがたまってくるのではないだろうか。もともと平安時代にあまり詳しくはなかった大石先生というよりも、本作を企画した中心スタッフに原因が求められそうである。

長くなってきたので、続きは次回。読みたい人がいるのかどうかはわからないけれど。


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