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「本当の自分」への戻り方~私のものと、あなたのもの~

「観念」の話を、最近そこかしこで耳にします。
簡単に言えば、かたちの捉えづらい、無意識での思い込みのこと。

観念の全くない人なんていなくて、そして観念があったからといって生活に困るわけでもないんです。
でも、気づかないところで、力んでいる…。そんな感じ。
そして時には、「本当の自分」へ戻るために、邪魔になることもあるのです。


楽に生きるには、力みは少ないほうがいい。
力みは、ある意味で「こうでなくちゃ」と思い込んでいるということで、「こうでなくちゃ」と感じることって、結局執着になるのです。

じゃあどうすればいいかというと、
「○じゃなきゃダメ」という観念を、
「○でも×でもどっちでもいいかも」に変化させる。
とはいえ、言うは易く行うは難し。

あなたも気づいていないかもしれない「思い込み」

思い込み、観念をかたち作るのに、一番色濃く影響を受けているのは、育ての親です。血の繋がりも性別も関係ありません。
あえて一番多い例だと、女性の場合は「お母さん」にあたる存在からの影響が大きいです。

「結婚って辛くて苦しいもの、女ばっかり損する」
「仕事やめるとお金なくなるよ」
「子どものいる・いないで周囲の対応が変わる」
こんな感じのことを、お母さまから言われたことはありますか?
わりとネガティブに聞こえる内容なら、自覚があるかもしれませんね。

でも、本当に違和感を感じないくらい、自分にぴったりと影のように寄り添っている観念もあるのです。そしてそれのほうがむしろ、やっかいで…。

たとえば…
・料理は母親が作るもの
・掃除洗濯、家事をやらないのは失格
・成績はいいに越したことはない
・運動神経はいいほうがいい
・体は健康が一番
・ご近所には必ずご挨拶
思いついたものを適当に挙げましたが、いかがでしょう?
「え、それ当たり前でしょ?」と感じますか?

でも、ところ変われば…というもので、これが一般的ではない土地もあるわけです。これらは、ある一定の思い込みなんです。


ぴったりと寄り添っている「思い込み」


たとえば、怒りっぽいお母さまに育てられたとします。
ある日、ご自分のお子さんを叱っている時、あなたは気づくかもしれません。
「あ、これ母の言っていたセリフと同じだ」

たとえば、心配性のお母さまに育てられたとします。
ある日、いつもよりLINEの返信が遅いお子さんにヤキモキしている時、あなたは気づくかもしれません。
「あ、母もこんな気持ちだったのかも」


気づくことは、とってもいいことです。
無意識に置いてある状態より、意識に引き上げた状態のほうが、自分で変化させやすいので。

でも、気づかないくらい「当たり前」になっている観念が、気づかないうちにあなたの行動を制限している可能性もあるわけです。

たとえば、私は運動神経が悪いのですが、この「悪い」という言い方にも何か感じますね。
運動神経が発達していないのは「悪い」
と言う風に聞こえます。本当はそんなことはないはずなのです。


私が無意識で握っていた思い込み


私のお話です。
小さい頃に、「お前は鈍くさいなあ」と父に笑われたことがあります。事あるごとに、のろまだとか、マイペースだとか、足が遅いとか、よく転ぶのは運動神経が悪いのだとか言われました。
父は決して、悪意があったわけではないのです。ある意味、私を慰めていたのかもしれません。「のろまでもいいよ」と。

でも、小さい私は「そうか、私は鈍くさいのか」と思い込みました。
同時に、「のろまだと、笑ってもらえるんだな」とも思い込んでしまったのです。

私の実家は喧嘩が絶えない家でしたので、親にクスリとでも笑ってもらえると、嬉しかったのを覚えています。ここまで思い出し、はたと気づきました。

「私は、家族を散り散りにさせないために、怪我をしていた」ということに。

これは、無意識です。
つまり、私の中でこっそり出来上がっていた観念だったのです。私が定期的に怪我をしていたのは、心配してもらいたかったから、そして家族にまとまってほしかったから。

気づいたので、手放すことにしました。(観念は、気づき、握りしめていた手を離すだけで「手放し」になります)
そして「私がどういう状態であっても、家族は平和」と感じることにしました。


あなたの感じていることは、本当に「あなたの」もの?

こんな感じのことは、本当によくよくあります。どんな方にもあります。
あなたも、気づいていないだけで、本当はあるかもしれません。
生きるために身に着けてきた知識ですので、あなたの大切な観念だったはずです。ただ、時には「もういらなくなった」と感じるものもあるかもしれないのです。

うまくいかないことが起こった時、
「ああ、私はダメだな」と思わないでください。
自分を責めなくてもいいのです。

自分を責める前に、「あれ?この感情って、本当に私のものだった?」と考えてみてください。
もしかすると、ご両親に言われた言葉が影響しているかもしれません。幼少期に隣のおじさんに言われたことが、引っかかっているかもしれません。
それに気づいたら、感謝して手放してください。
それは、あなたのものではなかったけれど、今まであなたを守ってくれていたものでした。でも、今はいらなくなりました。それだけです。

「誰かのせい」にして生きろ、
という意味ではなく、
「自分」と「誰か」の境目を意識する、ということです。


「あなたのもの」なのか、「他の誰かのもの」なのか。その境い目は本当に曖昧です。
例えば、とある芸能人の噂を聞き、腹が立ったとします。でも、その「腹が立つ」感情は、あなたのものだったのでしょうか?もしかしたら、教えてくれた同僚の方の、怒りや嫉妬だったかもしれません。

気づいたら、手放せばいいだけです。
こうやって「自分のもの」と「他人のもの」の境界を意識することは、心の健康に繋がります。


「本当のあなた」はシンプル


ここ最近の時代の流れで、
「本当の自分に戻りましょう」
なんて言葉を耳にしたことはないでしょうか?

「本当の自分ってなによ」と思われていた方も、いらっしゃるかもしれません。

本当のあなたは、そういう様々な観念を限界まで手放した状態のことです。

もちろん、生きている以上は全て手放すことはできないかもしれませんが、なるべく不要な考え方、過ぎた力み、思い込みをはずしていくと、「もともとの自分」の姿になっていくんですね。いわゆる「手放し」や「許し」もそれを表しているのだと思います。

つまり、これからはよりいっそう「シンプルな本当の自分」を意識していくことが、大切なのかなと思います。というより、それが一番生きやすくなるコツなのかもしれません。

ちょうど今(2021年4~5月現在)、自分自身に目を向け、振り返るのにピッタリな時期です。あなたも良かったら、自分のいらない思い込み、はずしてみてくださいね。


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