スピリチュアルに生きるとは?
「スピリチュアルに生きる」って、どういうこと?
あなたは、どう思いますか?
世の中に「スピリチュアル」という言葉があふれてから、それなりの時が流れました。
ひと昔前に「宗教だ、心霊だ」と騒がれていたことでも
「精神世界」や「心理学」になったり、「スピリチュアル」と呼ばれることも増えました。
「スピリチュアルに生きる」という言葉、受け取る方によって、意味合いは様々だと思います。
だからこれは、私個人の考え方です。
私は、普通に暮らしている、ごく一般的な人間です。
ちょっとドジすぎるところはありますが(転んだり包丁で指を切ったりとか)、特殊能力的なことは特別ありません。たぶん。
会社勤めも経験しております。ほとんどブラック企業でした(笑)
さて、そんな一見普通の人生ですが、変わったものを多少見聞きしてきました。
これは、のちにハイヤーセルフやガイドから「これこそがお前の勉強だ」と言われるのですが。
何を勉強させられたのかというと、スピリチュアルを、変な風に生きている人たちです。
「自分には特別な力がある!」と自慢している人。
「自分の魂は、悟っている。目覚めている」と達観した風を装っている人。
「自分は人を導く力がある。あなたも私の意見に従いなさい」と生き方を押し付けてくる人。
「アイツは(悟った人間である)俺を理解できない。ダメなやつだ」と人を見下す人。
「私には本当の魂が見えます。あなたは間違っています。憑りつかれています」と恐怖心をあおる人。
「スピリチュアルの講座にたくさん行って成長しました」と言いつつ、自宅はゴミ屋敷な人。
「この考え方でしか、人々が本当の意味で悟る道はない」と決めつける人。
さまざまな方々を見てきました。
そして、そういう方ほど、普段の生活に愛を感じられませんでした。
周りの人々へ思いやりを示すこともありませんでした。
あいさつさえ返さない方もいました。
自分を持ち上げる人だけを周りに起きたがっているようでした。
たった一人で悟って、いったい何になるのでしょう?
本当の意味で、スピリチュアルに生きるとは?
私はそういう方々を見かけるたびに考えてきました。
その後、療法の中で、ガイドと話をしたとき、
「大切なのは、在り方だ」
という言葉を受け取りました。
そうなのです。
その人の魂は、「在り方」なのです。そこに出るのです。
在り方とは、なんでしょう?
「本来あるべき状態」と、検索したら出てきました。
全ての魂はもともと、繋がっている
と聞いたことはありませんか?
スピリチュアルに少しでもかかわった方なら、誰もが言うことです。
違和感の正体はこれだったのです。
「一人だけ悟ってどうするの?」という疑問は、
「魂はもともと繋がっているのだから、あなたの悟りは皆の悟りでしょ?」
ということだったのです。
それこそが「在り方」、本来あるべき状態なのです。
私が上に挙げた、今まで見てきた方々は、
「ご自分の悟りやすごさ」にフォーカスしていました。
これは、「本来あるべき状態」では、やはりないのです。
本来あるべき姿とは、
関わる人々と友情をはぐくみ、
思いやりを持って周囲に接し、
日々のことにも、ほんのり心をこめること。
自分が満たされたら、まわりにおすそ分けすること。
自分が気づいたことがあるなら、愛をもって伝えること。
地に足をつけて生きること。
何より、楽しく暮らすこと。
そこに、「自分だけ」の心は、一切ないのです。
全てとは、「自分を含めた、みんな」なのです。
これこそが「在り方」であり、スピリチュアルに生きる、ということなのだと、私は思います。
自分を超えた視点にも立てるヒプノは本当に奥深いです。
※ヒプノセラピーに興味を持たれた方は、ぜひお近くの素敵なサロンを見つけて、足を運んでみてくださいませ♡(当サロンでも行っております♪)
スピリチュアルって、偉くも何ともないんですね。
ごくごく「当たり前」なんです。
講演台で高らかに流暢に自分を表現する人の言葉と
いつも畑を耕し真っ黒な手をした無口なおじいちゃんが自分の経験で教えてくれる含蓄をもったひとこと。
どちらが好きか、最終的にはそうなのだなあと思います。
ご覧いただき、ありがとうございます!
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