バンギャがLDHにハマるまで①〜中学生編〜
初めまして。あまつかです。
言わずと知れたLDHグループ。その真逆の位置とも言えるV系バンドを20年間ひたすらに追い掛けていた女が、いとも簡単にLDHにハマった経緯を綴っていきます。
かなり長くなる予感がするのでちまちま更新して参ります。
さて、思い返せば全ての始まりは中学1年生の夏。
私は吹奏楽部で担当パートはチューバだった。
(仮入部期間にやりたい楽器を3つ選びそのどれかになる筈が何故か一度も吹いたことのなかったチューバになった経緯は悲しいので端折ります)
ある日の練習中。パーカッションのA先輩が音楽室で一つのアルバムを流した。
同世代の方はピンとくるであろうか、L'Arc〜en〜Cielが当時2枚当時リリースしたアルバム『ark』と『ray』
(ラルクがV系云々の話は戦争になりかねないので、ここはまずサラッと流してください)
A先輩が流したのはarkのPerfect Blueだった。
そしてまたある日の練習中。A先輩が聞いたことのない曲のドラムを練習している。
(ドラム叩いてる先輩かっこいい〜てか叩いてる曲もめっちゃかっこいい〜〜)
くらいの軽い気持ちで「先輩、何叩いてるんですか?」と聞いた。
やはりそれもL'Arc〜en〜Ciel。
曲はHEAVEN'S DRIVEだった。
思い返すと私はA先輩に好意を寄せていた。
始まりは先輩に近付きたいという下心だったのかもしれない。
そこから私は猛烈にラルクのことが気になって仕方がなくなった。
当時発売されていたarkとrayはもちろん買い、お小遣いやお年玉で今までにリリースされたシングル、アルバム、VHSも全て買った。
なんならDIE IN CRIESの音源や映像も全て集めた。
出演するラジオやテレビは全て録画して爪を折って永久保存と書いたり、雑誌は切り抜いてファイリングしたり
歌詞の英語は全て辞書で調べて日本語に訳したり、VHSを何度も一時停止してノートに『hydeさんの見所シーン』と纏めたりもした。
それまで買ったことのあるCDといえば宇多田ヒカルのファーストアルバムとKinKi Kidsの硝子の少年だけであった私の生活は、こうしてラルク一色に染まっていくのであった。
私がラルクにドハマりしていたと同時に、同じチューバパートのBちゃんはPlastic Treeに傾倒していた。
それこそ私をV系の道に引きずり込んだのはBちゃんである。
更に言うと初めて一緒にバンドを組んだのも、インディーズバンドのライブを見に行ったのもBちゃん。
私の人生の音楽遍歴に影響を与えてくれたのは紛れもなくBちゃんである。ありがとう。
プラの他にMALICE MIZER、そして後に私の人生の一部となるPIERROTを教えてもらった。
そこから私はラルクと並行してPIERROTも聞き漁りはじめた。
まずハマった音源は「AGITATOR」だった。
そこから22年経った今もキリト氏に心酔しているのはまた別の話。
私がMALICE MIZERを聞いていた頃、驚くことに母上がGACKT氏の沼に落ちた。
(因みに母上はこの時既に及川ミッチーを好きであり、後々PIERROTに沼落ちするのである)
そこからの勢いたるや。
休日や初売りはCDショップ、中古レコード店を巡ってあれよあれよという間に集まる音源達。
この時点で音源を集めていたバンドを思いついた順に列挙しようかと思ったが、多すぎるので割愛。
まぁV系黄金期はほぼ聞いていたし、なんなら母上はジャケ買いする人なのでマイナー盤も聞いていた。
※盤→V系用語でバンドを指す
こうして私の中学生生活は部活とプライベートと音楽にまみれていくのであった。
テストや受験勉強時は常にラジアンリミテッドを聞きつつ
FLYING〜L'Arc〜ATTACKは全てカセットに録音し爪を折って保管し、ジェットストリームが流れると就寝準備に入るルーティンをこなし
私は無事に高校へ進学する。
次回、高校生編。
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