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神経質な私の悩み

今年の初めから一人暮らしが始まり、途方もない時間をひとりで過ごすことで、自分も知らなかった自分に気づきつつある。
中でも、神経質だったということは、最も意外で、かつ最も不便な私の特徴に違いなかった。

例えば、家に友人を呼んだ際、手を洗わずに何処もかしこも触るのを見ると、「え、ちょっと、手は洗って欲しいな……」と喉元まで出かかる。変に潔癖なところがあって、普段から不必要な除菌・洗浄を好んでする──その場所が汚されることに強い抵抗を覚える。神経質……。

注意しようとするのに喉元につかえてしまうのは、私が神経質(=一般的でない価値基準)だからってそれを友人に強要することはないじゃないか!とも思うからだ。そもそも誰かに何事かの注意をできるほど、私は立派な人間ではないと自認しているからだ。
(こういう部分も神経質)


さらに、私の家は散らかっていて、物を置くスペースがなく、雑然としている。まるで新たな定理を発見する数学者のそれだ。
要は来客が気を遣うような見た目をしてない。
しかし極めて個人的な裁量で清潔に保っている部分──テーブル、リビング内のドアノブ全て、テレビのリモコン、Nintendo Swich 、固定電話の傍らのメモ紙とボールペン、換気扇のonoffボタンなど──があって、埃の積もる部分と清潔な部分とを共存させる偏った秩序を他人に理解させることの難儀さたるや……。


結局、私の居住空間は、友人らが過ごした時間に比例して汚染されていく。
彼らを介してやってきた菌が、家中に擦り付けられるのだ。
想像するのは得意だ。
だから彼らが何をどのように運んできたのか、手にとるようにわかる。

電車で来る彼らは、(私が触れるのを避けている)電車の吊り革につかまり車内の揺れをいなすだろう。
座れる場合はまた違う。12月の外気に曝されながら電車を待った彼らは、座席に掛け、温かく柔らかい感触の中に、かじかんだ手を忍ばせるだろう。
毎日毎日何人もの下敷きになりダニや菌を常在させている座席と、太ももとの間で、束の間の快感を覚えるだろう。
目的の駅に到着すると、気怠い身体に鞭を打ってドアから出る。ホームを通り抜ける風に震えながら改札へ続くエスカレーターに乗る。あくびを噛み殺しながら(便器の数十倍汚い)手すりに体重を預け、それから……。


という背景をもつ彼らが、手を洗う前にぺたぺたと何かに触るのだ。
へえ〜、こんな勉強してるんだ〜。と参考書を捲るのだ。私のシャーペンを物珍しそうに握ってみるのだ。

た、た、、頼むから手を、手を洗ってくれ……。できれば固形石鹸で……。
いや、一度だけ言ったことはある……。ところがその人は、私がこだわり抜いて選んだ固形石鹸を前に、「オレ、よそんちのせっけん、使う気になれないんだよね〜」とか言って水だけで洗ってたっけ。ろくに汚れも落ちてない手の水分を横のタオルで拭い、勝手に換気扇の下でタバコを吸い出したっけ。
「〇〇(私)さあ〜、家散らかってんのに、変なトコ潔癖だよね、変なの」


煙は上に吐いてくれ……家主に小言を言われるのは、いつだって私なのだから。
ニコニコしながら換気扇を強にし、彼に見えないように除菌シートで弱ボタンを拭った。


私の神経質さは果たして治るのだろうか?
いや、そもそも治す必要があるのか?
治さないとするなら、どうやって傍若無人な友人と関係を築くのか?
私のこういった部分を理解し、配慮してくれる人を探すべきなのか?
その人たちとしか友情を保てないのか?

みんなどうしているんだろう。。。

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