#034〔ドライフラワー〕



ドライフラワー
優里
2020


優里の代表曲である、名曲 ドライフラワー。

この楽曲が発表されてから、少しくらい経った頃、
街のあらゆる所で、この楽曲が流れていて驚いた記憶がある。

YouTube という媒体に関して言えば、
音楽との相性が、最高に良いと僕は考えている。

テレビに出演する事で、一般層への認知は上がる (と思う。)

しかしテレビの音楽番組では、あまり観られないものが、
この YouTube には存在する。

それは、コメント機能である。

このドライフラワーを始めとした、
多くの人々によって支持されている楽曲には、
いくつかの共通点もある。

例えば、ユーザーが

コメント欄に、歌詞を書き込んでいる事、
自らの実体験と、楽曲を重ね合わせている事。

MV には、歌詞を載せてくれているものもあれば、
表現の都合上、あえて載せていないものもある。

僕はついつい、歌詞が載っている MV であろうが、
誰かがコメント欄に書いてくれた歌詞を探してしまう。

歌詞をきちんと観ていたいからである。

ユーザーが歌詞を書き込んでいる楽曲は、
名曲として認定されている証であり、ハズレは観た事がない。

それから、このドライフラワーは、
2人の関係性の終焉と、別れを表現している楽曲である。

だから、ユーザーの一部の人々は、
自ら体験した出来事を、コメントに書いていたりする。

文字通り、悲しい体験である。

とても切ない話であったり、
また、とても鋭い話もあったりする。

名曲だからと、手放しで褒め称えているだけではないのだ。

僕は、これらを実際に観てみて、
音楽の作り手や表現者と、それを聴くユーザーとは、
少なくとも、この YouTube 上においては、
ある種の理想的な関係性であると考えている。

名曲とは、作り手が決める事ではなく、
最終的には、多くのユーザー達が判断していくのだ。

楽曲を発表した時点で、その楽曲は、
作り手の手を離れてしまう。

そして、多くのユーザー達が、その楽曲を受け取る。
どれくらいの反響があったかを知る目安として、数字を見る。

その数字は、作り手にとっての自信につながったり、
或いは活動費ともなって、また、新たな楽曲制作に移れる。

素晴らしい環境である。

ほとんどの場合、多くの著名な歌手がカバーしていても、
オリジナルの素晴らしさには敵わないもの。

その中でも、鷲尾 伶菜さんのカバー曲は、
実に素晴らしかったので、一緒に載せておく事にする。


タイトルのドライフラワーの意味は、
『まだ色褪せない想い』であると、僕は受け取りました。


THE END 












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