会社員時代(3)一社目の頃(3)

次に担当する事になったシステムは、これも確かVBとCOBOLだったかな、某問屋のシステムだった。で、相手先の会社に行ったら・・・会社っていうか商店?小さい会社というか大きな商店というか。そのくらいの規模だった。この後も色んな会社担当するんだけど、最初に担当することになった金融系の会社以外は、小さいとこが多かった。しかもえらい安い単価で受けてた。そりゃ忙しいわりに儲からないはずだよ。

この問屋さん、キャラクター商品とか扱ってたので、会社の電話で障害対応の話してた時に「えっ!?とっ〇こハ〇太郎が!?」とか言ったら前に座ってた女の子が吹き出しちゃって、俺もつられて笑ってしまい怒られた。あと会社兼自宅みたいなとこだったので、夜に作業してると社長の奥さん(美人)が部屋着でウロウロしてて気になってしょうがなかったな・・・。

たまに出張もあった。うちらのチームのリーダーは普段横浜にいて会わないんだけど、「出張行くから付いて来なさい」って言われて福島に連れてかれて、今日はこの会社のシステムのプログラム入れ替える、という話だったので、じゃあその新しいプログラムは?って聞いたら「無いよ。今から仕様言うから作って」って言われて、そういうのアリなんだ!?オラなんだかワクワクしてきたぞ。と思った。

このリーダーには後に福岡にも連れてってもらって、その時に豚骨ラーメンと芋焼酎の味を覚えたな。当時は東京に今ほど豚骨ラーメンの店は多くなかったし、焼酎ブームの前だったので匂いのキツイ芋焼酎というのも初めて飲んだ。ちなみに仕事はやっぱりギリギリまでかかって福岡の空港が近くなかったら帰れなくなる所だった。そんな滅茶苦茶なリーダーの事は嫌いじゃなかった。

後は別のまた小さい会社から「今度パソコン買い換えようと思うんだけど、選んで」みたいな依頼とかあって、いくらなんでも細かい仕事受けすぎじゃないか!?とは思った。社外情シスみたいなもんだな。そういえば俺も社内にいたので情シスっぽい立ち位置にはいた。パソコンをLANに繋いだりとか。当時のWindowsはLAN繋ぐのもめんどかったな。具体的に何してたかは覚えてないけど。後は社内のプロキシサーバの管理もやってたので「あの人、仕事中に2ちゃん見てるな・・・」とかは確認していた(確認するだけ)。

当時は今よりかなり適当な時代だったので、ユーザーに内緒で隠しコマンド仕込んだりしてたな。あと変わったシステムだと自爆ボタンがあった。色んな事情で実装したんだけどそのボタンを押すと全てのプログラムとデータが消えるという。見る度に押したくなってドキドキしていた。

そんな感じで一社目には2年半くらいいたんだけど、色んな経験させてもらえたのは良かったと思う。当時の先輩で「言葉は蒸発する」というのが口癖の人がいて、口頭の話なんて消えてなくなるからメールなりなんなり何かしらに残しておけという意味なんだけど、それは印象に残っていて俺は今でも肝に銘じている。

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