震災の話(2)

震災の翌日、土曜日だけど出社する。インフラ系なので会社的には正念場だ。臨時のバス手配して作業員を被災地に送ろうとしてたり臨戦態勢だった。しかし俺がいた部署は別に忙しい訳でもなく、仕事も手に付かないので、みんなスマホやガラケーでニュース見てた。夕方ぐらいだったかな、原発の水素爆発の映像が流れて、誰ともなく「帰ろっか・・・」と言い出して解散した。

この日も色々心配だったので実家に帰って、西荻窪の部屋に戻ったのは震災翌々日の13日だった。グシャグシャになってたらどうしよう?とドキドキしながら部屋を見たけど、ほとんど無事だったので拍子抜けする。本棚に入りきらずに積んでた本のタワーが倒れてたぐらいだった。

そしてその翌日14日に、甥っ子が産まれた。何日かはそのまま病院にいたので、実家に来たのは18日だったけど、もう放射能とか気がかりでならなかった。この時期って色んな情報が乱れ飛んでて何が正しいか分からなかったし、それでも大人は大丈夫だと思ってたけど、赤ちゃんが大丈夫なのかは全く分からんかった。

初めて会いに行く時も、まず実家に着いたら服全部脱いでシャワー浴びて実家に置いてあった服に着替えて、それでも少し離れて見てましたからね。それでもめちゃくちゃ可愛くて感動したのを覚えている。実に30年ぶりに増えた家族だ。祖父母が亡くなり減る一方だった事を考えると感慨深いものがある。

とか思ってたら東京都が「乳児に水道水飲ませないでね」とか言い出した。マジかよ。まあネットではその前から「水やばいらしい」とは言われてたので、売ってるの見かけ次第買ってたけど、この頃から本格的に水が無くなり、関西とか地方の友人に送ってもらったりしていた。売ってるの見かけたら買えるだけ買う。ネット見ると「買い占め良くない」言われてたけど知らんがな。君ら何年生きてるか知らんけど、甥っ子まだ一週間ぐらいしか生きてないんだよ。どう考えても優先すべきだろ。まさかこんな状況になるとは。せっかく産まれてきてくれたのに世界がこんなで申し訳なかった。

いっそ旦那の実家がある関西に避難させるか・・・というのも考えたけど、生まれたばかりの赤ちゃん連れて飛行機も新幹線も無理だった。ここにいるしかないかー。がんばって水集めて来るからな。とか思いながら西荻窪に戻る。外出してる人間が出入りするのも良くないかもしれないからな・・・。

で、部屋で一人でいると心細いので、なんかほぼ毎日誰かと飲みに行ってたような気がする。みんな同じような心境だったので簡単に人集まったし。コンビニに食料が無いー、とか輪番停電がー、とかでバタバタしているうちに徐々に日常に戻って行った。みんなの人生に色々と影響を残して。

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