会社員時代(9)三社目の頃(3)

2007年に30歳になって開発の現場に入れなくなり、2008年には某通信会社の運用に入る事になったんですが、割と絶望していたのを記憶しています。あ、やばい、バフ切れたわ、みたいな感覚?当時バフとかって言葉は使ってなかったと思うけど。運用とかだるいわー。開発したいわー。でももう今後は入れないのか・・・どうしよう・・・と思っていた。

配属されたのは少人数のチームで、社員が4人と、協力会社が自分入れて2人とかだったかな。全員20代っぽい。俺が最年長かよ。そして同じ協力会社のもう一人が直接仕事を色々教えてくれる先輩ポジションだったんだけど、専門出てすぐここに入ったとかで20歳くらいだったんだよね。俺も10歳年下に仕事教わる日が来るとはなあと地味に衝撃を受けていた。やらかして怒られた翌日とかショックで休みましたからね。

とまあ、初めの頃こそゴタゴタしてましたが。半年ぐらいで慣れたかな。運用の仕事も慣れてくれば悪くない。しかし運用って開発と違って終わりが無い。担当範囲やシステムや体制や周りの人達が変わったりしつつも、ダラダラ続いて行った。気が付けば現場でも一番長い人になってたりして、協力会社だけどそこら辺の社員より詳しい現場の主みたくなってたりして。

このままじゃいかん、楽だけど協力会社の無責任な立場でいる限り成長も出世もしないし。いつも出先の会社にいると忘れがちだけど、自分の本来の所属会社は社長の個人経営みたいなとこで零細未満だし。なんとかしなければ、とようやく一念発起して転職活動を始めたのが2014年。もう6年経っていた。

この時は転職エージェント使ったり古巣の一社目の知り合いに久しぶりに連絡取って相談したりと色々やった甲斐があって、良い感じの会社に面接まで行ったんだよね。でも面接、すごい苦手で。終わった後も、あー、これは駄目だったかな、終わったかな、と思って一人で飲んでたら「面接通ったんで、次は筆記受けて下さい」って連絡があって。この時は嬉しかったなあ。1人でめちゃくちゃ盛り上がった。ストーンオーシャンのリキエルみたく「オレはアポロ11号なんだァーーー!!」って心の中で叫んでいた。

まさか筆記で落ちるとはね。二次はSPIで、まあ、そんな難しくないですから、と言われてたけど、落ちたね。そういえばリキエルもあのセリフの後で敗北してたわ。これには流石に凹んだ。もう今の会社は辞める事にしてたし、どうしようかなあと思ってたら、同じ現場の別の会社の人が「じゃあウチ来る?」って声かけてくれて、まあ普通の中小企業だったし、今の個人経営みたいな零細よりは良いか・・・とお言葉に甘え、四社目が決まるのだった。

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