会社員時代(5)二社目の頃(1)

一社目では仕事ポンポン任されて社長賞もらったり評価はされてたんだけど、給料の安さとか、辞めていく先輩達とか、一人で背負いこむ責任とか、色々不安になってる時に、同じ案件で仕事してた別会社の人に「じゃあウチ来なさい」と口説かれてさくっと乗り換えました。元々その会社も一社目から独立した会社で知ってる人多かったので、話はスムーズだった。のは良かったんだけど「担当してた案件持ってきて」言われて、元の会社からも「君しか分からないから持ってって」言われて、結局面倒見るの変わらないんかいと思った。

一社目はいわゆるシステム開発の会社でプログラマをメインにしてたんだけど、二社目は海外からソフトを輸入して売る会社でした。けっこうニッチなジャンルで詳しく書くと特定されそうなのであんまり書けることが無い。社員も少なくて5人くらいだったかな。それと3人くらいの会社とか個人事業主とかも一緒に仕事してて、10人くらいいたと思う。一社目も小さい会社だったけど更に小さくなった。社長が引っ越し好きで毎年のように職場変わってたな。

出張でシカゴに行ったりとか、色々ここでも珍しい体験はさせてもらったけど、プログラムの機会はめっきり減って、そんな時に友達の手伝いでプログラムしたら面白かったので、またプログラマに戻りたいなと思って、結局ここも2005年に辞めるのだった。この時期、プライベートは激動だったんだけど仕事だとあんまり書くことが無い。社長が社員の説明聞いて「それは計画じゃなくて、夢、だね」と言ってたのはよく覚えている。

尚、この時は次の会社を決めないで辞めたので無職になりました。氷河期だったせいもあり、周りに無職が多かったのでちょっと憧れもあった。2~3ヶ月遊ぶかー、とか思ってたけど、2週間ぐらいでメンタルに限界が来たので、また紹介で次の仕事決める事になる。個人事業主で開発の現場に入った。あと何故か「芸能マネージャーやらない?」みたいな話もあった。絶対向いてないので出来る訳ないんだけど、もしチャレンジしてたら全然違った人生になっただろうな・・・。

ちなみに俺が持ってきた案件は別会社に渡して、その後、結局最初の会社に戻ったらしい。10年以上後、一社目の人と話す機会があったんだけど、まだ使ってると聞いてひっくり返った事がある。日本人、物持ち良いけどシステムは変えて下さいほんとに。


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