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世界のみかた

Sonny Boyの4話。「また世界の見え方が変わってしまう!」
ラジダニの言葉です。
仕組み化してしまえば、この社会は生きやすくなるんだろうなぁ。ありふれた言葉だけど、世界は変えることはできないが、見方を変えればいいじゃんってやつ。
薄っぺらい言葉に思えていたけど、どういう見方をしたらいいのか、なんとなく私にとっての最適解を掴めました。人それぞれ、合った見方があるんです。
何でもかんでもポジティブシンキングにしたらいいってものじゃない。

とは言え、私は瑞穂に共感してました。自分の考えがあって悪く言えば頑固で捻くれてる。
恵まれていないわけではないし、周囲に融通を利かせられる幸いな能力があって、猫ちゃんもいるし、生活に困るわけではないけれど、世界に居心地の悪さを覚えてる。

何の迷いもなくルールに従える羊なら良かった。でも、そうじゃないから息苦しい時がある。
だけど素直だし可愛いですよね。
ヤマビコに「一緒に寝ていい?」と言える、そのままのあなたで育って欲しいです。

猫ちゃんとワンちゃんがいて物欲にも困らない瑞穂が、コピーであることをやめて元の世界線に戻るのは、彼女に前述した信念(=考え)があるからなんでしょうね。
その信念は無視できるものではなくて、コンフォートゾーンを抜け出してでも優先されるものなんだと思いました。
「はぁ?誰?」って言ったのは、全部なくなっちゃった現実で、長良が呑気な声で話かけてきてムカついたからなんだろうな。めちゃめちゃ分かるよ。選択できるけど、痛みがないわけじゃないもんね。

憧れたのは、もちろんラジダニです。
「失敗すればするほど、成功の可能性が高まるんだ」
とかいうのを、さらっと言いのけるところが、彼の見えてる世界は私と違うんだなぁと感じ、羨ましく思いました。ポジティブな技術屋ってカッコイイですね。

だから、どうせこの世界ならば、社会の在り方に「不条理だ」と腹を立て、解決が見込めず悲観するのではなくて、「どういう仕組みで成り立っているのか」を疑問視し、解明に挑んでいくほうが、私は納得できるのかもしれないです。

7話なんて、もろに日本社会ですよね。労働階級、上から流れてくるものをひたすら下に運んでいく。上の上の上で、どういう事が行われているのか、てんで知らない。知ろうともしない。
彼らは解決を望んでいるのはなくて、今という時間をやり過ごせればいいのです。
「何のためにこんなことをしているんだ?」と長良に問いかけにも、「ただのありんこだから。偽物の希望も、目指しているだけで幸せ」と、ヘラヘラ笑って、最後は食い潰されてしまう。

正義と悪は対ではありません。正しいから正義なんじゃないし、間違っているから悪というわけでもない。人より良い思いができるから正しい選択なのか。苦しい思いをして、痛い思いをするから間違った選択なのか。
結果は決まっているとして、それを「じゃあ何をしても変わらない」と可能性を放棄するのか、それでも抗い、長良のように行動を起こすか。

で、思うんですけど、たぶん、今の世界に理由なんてないんです。たまたま、偶然、そのポジションに私がいるだけ。日本を選んで日本人になったわけじゃないし、人間になりたくて生まれたわけでもない。
結果として、私が日本人として生きてるってだけなんです。

みんなそのはずなんです。
なのに自分は特別だって思いたい人がいて、人と同じは嫌だと思う人がいて、自分との違うものを持つ相手に対して、牙を向く人、石を投げる人。逆に、分かり合おうと歩み寄る人、分け隔てなく接する人。
いろいろいる。

何に希望を見出すか?という話もありますよね。
自分以外の誰かに希望を見出すか。ならば、それは誰にするか。

自分に優しい言葉をかけてくれるから特別な人なのか、美味しい思いをさせてくれるから特別な人なのか、自分が欲しい能力を持っているから特別な人なのか、他者を導くセンスがあるから特別な人なのか。

みんなが特別としている人だから自分も特別とするのか。富と名声がある人に近付くことで、自分も同じであると思い違ったり。

いろいろありますねぇ。

人が生きるのに、必要なものはたくさんある。でも、そういう世界にしたのもまた、人なんですよね。
そうやって決めつけて、思い込んでいるだけなのかもしれないです。
求めずとも、美しいものは近くにいっぱいあるのにね。目を向ければ、案外近くに喜びも悲しみもあるんです。

というか、最近気付いたことなんですけど、「世界の終わり」を語る人に限って、世界の終わりを利用してるんだよね。

それってどこまでも自分達のためなのよ。実際のところ、世界平和のことなんて考えてないし、良い世界にしたいんじゃなくて、自分にとって都合の良い世界にしたいだけ。

それを壊されるのは困るんです。だから「神」やら「戦争」やら「未来」やら、壮大で分かりやすい話を持ち出して、それらを「試練」として向き合わせ、行動を制限し、誘導し、洗脳する。
実際に蓋を開けてみたら、そんな脅威はない仮想敵だったりするんです。

そのポジションであることは偶然の産物なのに、世界のすべてを知った気になって、思うままに利用していいと思ってる。
そういった存在に不信感を抱いても、いかんせん組織力があるがゆえに、個人のレベルでどうこうできないのが社会の不条理なところですね。

起きて半畳、寝て一畳、天下とっても二合半。
最後に、ラジダニの言葉を刻みます。

なんの意味もないこの世界だけど
でも時折、ステキなことが起きる
だから僕らはやっていける。

面白かった〜!

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