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私だけのキラキラしたおっきなやつ

憧れの人とか、好きな相手を、もっと、たくさん見つけたいな。
人からちやほやされたいわけでも、多くの人に認められたいわけでもありませんから、大きく名の知れた企業に入社をしたり、富と名声とかいらないです。

最近、強く思うのが、他の誰かの何かを奪って、自分の懐に溜め込もうとか、そういうのが、なんかすごくダサいなって。
競争して他を出し抜いて出世をして、役職を得て、部下を持って、お金を貰って、そういうの。欲まみれで汚いよ。バリバリ働く人っているけど、社会貢献を目的にしているなら清々しい。だけど、自分の欲を満たす為ならみっともないな。

貯蓄をするのが当たり前の世の中ですが、最近は貯金という行為が嫌だし、株なんて以ての外だって思ってる。
この資本主義という社会では、何をするにもお金が必要ですから、お金が無いことは死を意味します。だからお金は必要です。生きていけませんから。
でも、多くある必要はないですよ。今必要な分だけ、最低限。それでいいはずじゃないかって思うんです。
それなのに、なぜ『貯金』という行為をしてしまうかというと、こわいから。不安だから。今は必要なくても、将来は必要になるかもしれない。
この先、自分が困りたくないから、『今ある分を、未来の自分にあげる』というのが『貯金』なんです。

そんな弱さがあって、貯金して、株をして、資本を増やして、安心をして、余裕を持ちたい。分かります。色んな欲があるのが人間で、私も余裕を持って生きたい人間ですから、分かります。

だけど、自分が持っている分って、自分が持たないなら、他の誰かが手にできた分なのになって思うことが増えました。
その誰かというのは、今、困っている人で、未来の困った自分を想像するのではなくて、今困っている人に気付くことが大切なんだよなって。
自分だけではない、他者に意識を向ける。自分だけ助かればいいわけではなくて、不安を手離す勇気を持って、他者に回せる優しさを持ちたいなって思います。

私の考える、カッコいい人ってそういう人なんです。綺麗ごとだし、実際はそんなことをしたって、何の為にもならないでしょう。社会は変わらず競争を続けたまま、格差は広がり、戦争を仕掛ける欲にまみれた人間と、ターゲットになった先で人は人を殺して殺されて、富を独占する人間は裕福な暮らしを死ぬまで続けていくのです。

お金を使わない幸せを見つけるのが、私の目標です。
どこまで行っても、みんながみんな、自己満足の人生を歩みます。あれがしたい、これがしたい、そういう欲を叶えていくことに幸せがあるかもしれない。人より多くのモノを手にできたら満足なのかもしれない。みんなが欲しがるものを、できるだけ多く手にできたら満たされるのかもしれない。

だけど、ものは考えようです。心の在り方で、どうにだって変えられるのが人生のいいところです。他人の人生は気にせずに、自分の人生をどうするか?どうしたいのか?

そこがブレなければ、私は何があっても大丈夫。満足できる。そんなふうに思います。

まだまだ、ぼんやりしてるけど、今のところ思うのが、好きなものに囲まれた時間を、たっぷり楽しみたいです。
そのために、好きなものをたくさん見つけるんです。その好きっていうのは目に視えるモノに限らず、誰かと過ごす時間とか、眺める時間とか。
上手く言えないけど。五感に任せた感じのやつ。

私は人の優しいところが好きだし、人の経験を聞くのも好きです。考えを文字に起こすことも好きだし、ぼんやりと空を見るのも好き。愛犬を撫でている時間も好きです。

しっかりを目を開いて、ちゃんと見てみる。聞いてみる。感じてみる。

きっと、いっぱいあっていい。何かひとつに決めることない。100%を1つに求めるのは違うんです。
『なんか、これいいな』を少しずつ集めて、素敵だったり、カッコいいとか、かわいい、綺麗も全部。たくさんの、私だけのキラキラしたおっきなやつを大切にしていきたいな。

そこにはお金は必要ありません。お金があって叶うなら、すごく楽なんだろうけどね。

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