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しゃぼん玉とばそう

お金に執着するのやめなーって自分に言い聞かせてるし、周知もしている。
なぜならば資本主義社会はもう限界なので、この先お金に幸せを見出していても苦しいだけです。富とはお金だけを指しません。他にも無数にある豊かさに目を向けよう。
という方向に、人生をシフトチェンジしております。

でないと争いが起こるでしょう。みんながお金を富だと認識すると、それを火種として悲しいことが起きるでしょう。みんなが同じだけのお金を得られるわけじゃないんだから。
てかもう既に起こってるし。まーじで呆れてる。岸田はアホ。利権ども。バイデンもアホだし、それをスケープゴートにして裏でコソコソしてる奴らも全員アホ。政府も資本家もバカ、思考が貧乏の哀れな人間風情です。

富の種類は多いほうがいいんです。お金だけを富と思っているなら、悲しいですよほんと。
好きなものを食べること、好きな洋服を着ること、好きな本を読むこと、旅行をするとか。それもいいですが、消費ではなく、創作や発見もおすすめなんです。
絵を描くこと、物語を作ること。好みのメロディラインを探すとか、今まで気にしなかったものを気にするとか。

誰かが良いっていうから、良いものになるわけじゃなくて、あなたが良いって思うから、あなたにとって良いものになる。
人に『あなたは素敵』って求められるから、あなたが素敵になるわけじゃなくて、あなたがあなたを求めて素敵であるから求められるんじゃないですか?
まあ別に誰かに求められなくてもいいしな。

みんなと一緒の意見って安心するけどね。ああ、自分は間違ってないって自信にも繋がるのでしょうか。
ですが、あえて私のような捻くれ者は、抑止力でいたいんです。でないと、誰かが言った『良い』が、全体にとっては良くないものだった場合、支配者にとっては都合が『良い』のでしょうが、全体にとっては間違った事態になってしまうからです。
それって悲劇です。そんなことで多く命が無駄になるってムカつくじゃないですか。
私だって常日頃から動物の命を犠牲にして生きているけれど、無駄にはしません。今の社会は、犠牲ではなく無駄にしていることが多すぎる。

それでも頭ごなしはダサいから、人の意見を聞いて、受け止めて、自分の中に落とし込む。本を読んで、映画を観て、音楽を聴いて、人の創作を取り込んで、出来上がった両眼で世界を見ていたい。
で、次は私が返したいな。その『返す』という行為の一貫として『指摘』だとか『批判』が含まれているのでございます。だから批判することって悪い意図じゃないんだよ。むしろ逆で、事を良いふうに進めるための行為です。

それが私にとっての豊かさです。
資本ってお金ではなく、そういうものだと思ってます。お金持ちではなく、資本持ち。私の最終到達目標です。

具体的に、資本持ちになるための習慣もあるんです。
ついつい便利を求めてしまうのが人間ですが、ワタクシはあえて不便な環境に身を置き、生きていることを実感するという、変なことをしています。
例えば、住む場所は駅近でなくていいし、都心でなくていいんです。近所にコロッケ屋さんがあったら嬉しいけど、少し遠くても歩いて行ける距離なら、お散歩になって良いかも。
部屋は広すぎると持て余してしまうけど、狭いなら工夫して居心地の良い空間にできる。そういうのを考えるのも楽しいかも。
身の丈以上を求めないし、持てたとしても、他に譲ってしまえ。だって私の『どっちでもいい』が、その人の『必須』なのかもしれないし。

便利すぎたり、思い通りに行くことが増えると視野が狭まるのが人間なんだと思っていて、私はいつまでも思考を広く持っていたいので、見える世界が狭まるというのは死活問題なのでございます。
だから、便利を選べたとしても、必須でないならあえて不便な環境に身を置き、生きていることを実感するという、変なことをします。これが意外と楽しいです。

たぶん余裕って後からついて来るんです。
こういうバカみたいなことをしていると、『何やってんだろ自分、よくやるよ』って可笑しくなってくるし、それがいいんです。
どう生きたって、産まれた瞬間から天井は決まってます。人それぞれ違うのに、自分の天井以上を求めたって苦しいだけなのに、何故か社会には共通の基準が存在していて、自分の立ち位置をそれを軸として見てしまう。
そんなの無視して、苦しかったらさっさと人々の基準からイチ抜けしたらいいと思いますよ。
多くのことはしないでいいです。『無駄にしない』を積み重ねることができるなら、それって素晴らしいと思います。

自立した人間になるといいよ、ひとつに依存するのではなく依存先を増やすといいよ。とか世間で言われてますけど、私の目指すのは自立というか、もはや独立。

社会では多く人が上にも下にも横にも並んでいるわけですが、私は別に誰に寄り掛かるでもなく立っていたいわけじゃないんですよ。
そもそも周りに誰がいても、誰がいなくても、自分がカッコイイと思う立ち方をしていたいです。

時には座るし、誰もいない地点で楽しくやれるんで、放って置いて欲しい。
無人島とかで通用する屈強さが欲しい。
シャボン玉をふいて、幸せを感じることができる人間でいたい。
幸せを感じるアンテナをそこに当てたいですね。

ただ、勘違いして欲しくないのが、私が自己主張するのは『そういう考えもあるよね』って、世界の提供なんですね。
変に弁が立つもので、人によっては私の意見を納得し、受け入れてしまう恐れがあります。
それって私の意図するところではないんですよ。
私が希望するところは、相手の世界の拡張ですから複製されてしまうとそれは違うんです。
プログラミングチックに言うならば、『=』ではなくて、『&&』条件ですね。

多分母親は複製してしまって、それが私の中でひとつ反省になってます。

だから、私の意見を尊重してくれて、だけど自分の世界は保ったままの人。そういう人に巡り会えることこそ、私にとっての幸せなんだろうな。

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