お前たちは、大人になって手を挙げて、発言したことはあるか?

お前は大人になって手を挙げて、発言したことはあるか?

いつもいるコミュニティじゃないぞ、誰も知らない未開の地で。だ
多くの答えは「No」だ。これが差だ。自分の周りには同世代で優秀な経営者が山のようにいる。個人事業主でとてつもない実績を持っている人も山のようにいる。彼らはこぞって「手を挙げて、発言をしている」

俺はここにいるぞ、見てくれよ。こんなことできるんだぜ?なんで俺をスルーするんだよ。節穴か?こんだけ魅力的なんだぜ?

と言えるか?

周りの奴は迷わず「Yes」だ

良いか?よく聞け。

某大手映像制作会社に勤めるAくんがいる。彼は映画の制作やCMの制作に携わっている。夢だった大好きな映像で仕事をしている。

フリーランスのBくんがいる。彼は誰も知らない動画を作っている。日常では知り合いの目に留まることは少ない。そんな動画を作っている。

これを見た時、お前はどっちが良さそうに見える?

ほとんどはAだよな?でも実際はどうだ?

・好き好んで入った会社で満足しているか?
・毎日幸せに生きているか?
・何か不足していないか?

これは会社が悪いわけじゃない。会社は素晴らしいさ。なぜか?実力が伴わないお前を雇い、お金を払いながら教育をし、何十年とかけたノウハウと実績と信頼で得た仕事を任せてくれている。

じゃあ何が不満なのか?

それはつまり

お前が何者でも無いということだ。

この話は、会社を辞めろという話ではないし、Bの方が良い。という浅い話では無い。

お前が生きると決めたその世界で、何者かになれ。人生にある不足感の正体は、何者でもない自分への虚無感だ。今のお前は、その世界で替えの効く存在。世の中は残酷なもので。

今のお前はきっと、その世界の歯車の一部だ。軸があり、噛み合わさせていただき回っている歯車。大元が強ければ、早く回るだろう。母体が大きければ、大きな力で回るだろう。

けど、その歯車はお前に回せるか?

その世界から出た時に、大きければ大きいほど、その歯車を回すのは難しい。自転車の乗り始めに6ギアだとしんどいのと同じだ。上り坂なら尚更だ。だからギアが1に近いその時から、「手を挙げて、発言して、何者かになるんだよ」、歯車の初動を作れるような存在になるんだよ。

それが人生というキャリアで考えることの全てだ。
良い就職先?良い独立の仕方?そんな考え捨てちまえ。何者かになるんだよ。どんな状況であったとしても「手を挙げ続けて、大きな声で発言」をしろ「俺 / 私はここのいるんだ。こんだけの価値と魅力に溢れてるんだ!世界よ見つけてくれよ!」って

世の中はそんなに厳しくないぞ。勇気を出した人間には優しい。大人は若者のチャレンジを受け止めてくれるし、人間はチャレンジャーを応援してくれる。失敗、挫折、不幸、ダサい、無理、無謀、不可能。そんなノイズは聞かなくて良い。

お前は世界一天才だと思って行動しろ。
お前は世界一馬鹿だと思って勉強しろ。

もらったアドバイスは一度素直に実行しろ。

どんな時もまずは量でカバーしろ。質は後付けだ。

人生は夢にチャレンジしろ、面白くないことに一秒も使うな。

実際に、

世の中でうまくいっている人は
・天才的なアートデザイナーだけか?
・天才的なビジュアルの持ち主だけか?
・天才的な頭脳を持つ人間だけか?
・天才的なアイデアを持つクリエイターだけか?

答えは「No」だ

もちろん、うまくいっているケースもあるのは事実。
しかし、うまくいっている人に唯一共通する要素がある。

それは

手を挙げて、発言している

ただそれだけだ。

今このNoteを読んでいる時点で、お前はきっと世の中で言う天才じゃない。
誰もが認める秀才でもない。凡才だ。一般人で、平凡で、普通だ。

だからこそ勇気を持ってアクションしよう。
例えどうなったとしても、それはかけがえのない経験になる
派手に間違えて、笑われた経験は自分を力強く支えてくれる。

若い頃の失敗は勝手でもしろ
よく聞く言葉だけど本当にそう
年齢を重ねれば、失敗は怖いし、地位があればあるほど恥ずかしい。

僕らみたいな凡才は、気にしなくて良い
こんなにイキった文章のことも3日経てば忘れてるはず。
失敗なんて誰も覚えてない、盛大に失敗しよう

今日も自分は、世の中に手を挙げ続けるし、何者かになれるように発言をする。道に迷っている世界の誰かに届く言葉になるように。


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