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タバコとパチンコ

結婚した友達の旦那はタバコもパチンコもするらしい。わたしはどっちもだめだ。
暗い偏見の話です。


まず、タバコ。父も母もヘビースモーカーでどちらもそれが要因の1つとして大きな病気になったのだと思う。父は心筋梗塞、それからすっぱりタバコはやめてきちんと生き延びてる。
母は糖尿病もちで医者からは止めるよう言われながらも、がんになって弱ってしまうまで止めなかった。

パチンコは父が(たぶん今も)行ってる。わたしが中学生の時、定年退職して、父はずっと家にいるかパチンコにいた。こうして社会人になった今なら、時代柄今よりキツい仕事を何十年耐え忍んで迎えた定年、そうしたくなる気持ちはわからなくない。
でも、中学生にはわからなかった。まだまだ養ってもらわないと生きていけない身分のくせして、この先どうするんだと。いつも大黒柱だと威張ってるくせに無責任だと。怖すぎて何も聞けなかったし、それとなくはぐらかされた覚えがある。

とはいえ、何事もなくわたしは高校生になった。思えば、あの時から自分はやりたいことがない。やりたいとかよりもベストを尽くすことしか考えてなかったと思う。それなりの進学校に進み、学校の雰囲気に流され大学を目指す。
すると、母は専業主婦をやめ、パートを始めていた。母は家事をこなし、パートに行き、父を大黒柱としてたてる。父はずっと家にはいるものの趣味一択、家事なんてしているところは見たことがない、かと思えばパチンコに向かう。わたしは父と反りが合わず、母を通してでしか話さないし、家の手伝いだって学校や部活を言い訳に全然してこなかった。歪だった。
気づけば、母は徐々に体調を崩し、貧血の薬を飲む。一向に良くならず、やせ細っていく。病院に行くよういうが、なかなかいかない。
半年ほどすると母は入院していた。手術もして、髪の毛がなくなって、痛々しかった。見舞いで「抗がん剤」という言葉が聞こえた気がし、がんなのか、と考え込んだ。退院の話が出るも、体調を崩し、再手術。薄々もう日常は戻ってこない気がしていた。
入院してから数ヶ月後、やっとがんであったことを祖母と父から知らされる。絶望だった。祖母が母の代わりに家事をしに来てくれる。何となく記憶に残ってるのは、学校に行く途中、朝ごはんにサンドイッチを作ってくれたもののカビてたべれなかったこと。
母は入院から半年後亡くなった。よく覚えてる。雪が降った日。当時の彼氏と1年記念デートをするはずだった日。4時間目あたりの生物の授業の途中、事務員さんか誰かが入ってきて、呼ばれる。わたしだけ帰り支度をして教室から出た。生徒玄関で、父の車を待つ。寒くて震えが止まらなかった。
わたしは葬式で余命半年だったこと、原発不明ガンというものにかかっていたことを知る。

思い込みだろうけど、タバコもパチンコも、父もわたしも全部母の死に繋がってる。
直接手をくだしてなくとも。


もちろんタバコもパチンコも日常のストレスから守ってくれる作用もあるだろう。
もちろん、友達はわたしではないから旦那がどちらも好んでいたって問題ないのかもしれない。

およそ7年前の話。過去は過去。
あの時も今のひとりぼっちも怖いものは怖い。
それを思い出したそんな日。
友達がご馳走してくれたミスドを食べて、忘れよう。

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