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ほんとうのわたしを思い出す方法〜2

phase2

いつだって人間関係でのお悩みはつきもので
なんとかうまくまわしたい!と躍起になればなるほど空回りしがちです。

例に漏れず、私のお悩みも上手くいかない人間関係のことが大半でまるで大失恋をした時ほどの痛みと衝撃を繰り返していました。


深く傷つくような経験をすると、

もう要らぬ人間関係のしがらみを断つべく、山の洞窟に一人篭ってしまおうか、、、とさえ考えてしまいます。


とはいえ、山に一人籠ったとしてもきっと満たされるはずもなく。


もちろん、味わえるのは苦しみだけではなくって、
悦びだって分かち合うからこそ何倍にも膨らむはずです。


だからこそ、一人で生きていくのは、つまらない!

私たちは、人間関係の中で様々な感情を味わったり、経験を重ねながら成長していくもの。この世界に生きている以上、誰かと関わって生きていかなければいけません。



とあるトラブル発生で、大きな喪失感を味わい
傷心のわたしは

「どうせ、人は一人で生きてかなくてはいけないんだ!」と半ば自暴自棄になり、拗ねてふて寝してる状態が続いていました。


そんなある日、突然に、大きな気づきがやってきました。


何年も抱えていたもの、
もしかしたら?物心ついてからずっと抱えていた!もの、、、


それは、

「与えなければ受け取れない」という思い込み。


それまでのわたしは、
パートナーとは同じ方向を向いていなければいけないし、相手に同調することが優しさだよね、という思い込みに支配されていました。


わたしの中のものすごく堅固な思い込み。

求められてもいないのに先回りして、必要以上のことをやってはそれ相応の対価のもの、感謝されるとか、認められるとか、、、


勝手に期待しているものがやってこないことに不満を抱き、愛されていないと不安になる、、、の繰り返しでした。


愛情をかけているつもりが、実は 愛されたいだけですごく依存していたという驚愕の事実に気づいてしまったのです。


仕事であれパートナーシップの問題でも、問題がなんであれ、意のままにしようと躍起になるほど、空回りしてしまうもの。

相手のために「良かれと思って」と、やりすぎ、手を出しすぎ、期待した反応がなければ落胆し、という自作自演の無限ループを繰り返していたのでした。


そんな時、
たまたまつけていたテレビからメッセージが降ってきました。


『シアワセって1人では感じられないもの。

誰かとわかちあって、はじめて感じるものなんや』

というセリフ。


わかちあってこそ得られる


だからこそ、私たちは他人とのつながりを求めるし、ただただ相手から与えられるものを待つ、見返りを求める状態では悦びやしあわせを感じるセンサーが閉じているのも同然です。


「自分は無力だ」という思いは錯覚です。

自分の人生を創造するのは、親でも先生でも上司や有名な誰かでもありません。自分以外の誰かが成しえることではないのです。

わたしたちは、一人一人が自分の世界を自由に思うがままにクリエイト出来る存在だということを思い出すために、ずっと見ないふりをしてきた「過去の闇鍋」と対峙する時がついに来たか!と悟りました。


今までのやり方は捨てて、とにかく流れにゆだねてみよう。
腹を括るかーーー。



どうやら、この人間関係における問題は幼少期の経験が影響しているようです。わたしの最初の難関「報われない愛」の闇鍋と対峙したのでした。



詳しく知りたい方は、この先を読み進めていってください。


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