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ほんとうの自分を思い出す10の方法〜3
phase3/好きなことをしてくださいと言われたら?
「とりあえず一週間、自由に過ごしてください」
と言われたら、
さて、どう過ごしますか?
「好きなこと以外、なーんにもしないでください」
と言われたら、さて、何をしますか?
ルールはたった一つ。
くつろぐこと。
ただリラックスして、好きなこと、楽しむことだけに専念する。
さぁ、すぐに何をするかプランが思いつきますか?
具体的に、ああしたい、こうしたい、と案が出てくるでしょうか?
例えば、旅行に行きたい!と思ったとして
「でも、休みがないし」
とか
「お金もないし」
「家族をほっとけないし」と
すぐにもっともらしい言い訳で打ち消してしまう。
職場のこと、家族のこと、将来のこと・・・
不安や心配事を考え出したらキリがない。
これって思考のお仕事なのだそう。
過去のわたしは、常に「~であるべき」
「常識的に考えて~とか絶対に無理!」といった思考が優位にたつ、
強烈な「~べき子」でした。
社会を無難に生きぬく為の目に見えないルールのようなものに
いつの間にか支配されていて、
全力で他人の顔色を察して「空気を読める人」を演じていました。
実際に、空気が読めていたかどうかは不明です(苦笑)
でも本人は、この「察する」力を発揮することが一人前の大人の振る舞いだと思い込み
疑うことすらしていませんでした。
仕事しなきゃ、遊んでばかりなんて世間が許さない、とか、
家のことをほったらかしにして留守に出来ない、とか。
わたしがオーラソーマの世界に飛び込んで、学びはじめて
一番最初に向き合わされたのは
なんて自分に嘘つきだったのか!ということ。
今までの自分が、どれだけ上っ面だけの嘘つき野郎だったのか!と愕然とさせられた。
ほんとうの自分を知りたい、出会いたい!
ただその思いに突き動かされ、
「私」と、とことん!向き合うつもりで10日間のお休みを敢行。
行き先も決めずに、
まとわりつく「〜べき子」を拭い捨て、
本州最東端の町から、秋田、山形、新潟から長野、群馬と、
最終的に、走行距離約2000キロ‼️の旅になりました。
10日間もお休みするとか、
今までだったら罪悪感で決断できなかったと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1676356375427-crq5ccg9dH.jpg?width=800)
旅のお題は「ただくつろぐこと」。
行き先も、何を食べるか、何を飲むか、どこで休むのか、
些細なこともすべて、スター(自分の中心)にお伺いをたてる。
これ、意外とやれてないの。
お腹がすいた。 でも、連れの人がおなか一杯だったら我慢する、とか。
本当は蕎麦が食べたい。 けれど、ラーメン!と言われたら折れてしまうとか。
仮にこの時、自分の希望を押し通して「蕎麦が食べたい」と言ったところで、
世界が激変するくらいのことは起きないのだけれど、
何かと不安材料を見つけては「察して」しまうわけです。
集団の中で、こういう「物わかりのイイ人風」を演じ続けていると、
本当に欲しいものが何なのかさえわからなくなってしまいます。
私たちはどうしてか無意識に、外側に向かう意識が優位にたってしまいます。
これは思考の「癖」。
一人一人違った「癖」があって、
どうやら「癖」が出来るのにも理由があるようです。
これ、第三チャクラのお題です。
では、その成り立ちを詳しくみていきます。
集団の中から、一歩踏み出す勇気
![](https://assets.st-note.com/img/1676356375459-uzAIX5ai9o.jpg?width=800)
オギャーと生まれて最初に両親や家族から影響を受け(第一チャクラ)
成長にしたがって学校や友達関係とコミュニティが広がっていき(第二チャクラ)、集団の中で、はじめて自分の「個性」というものを意識し始めます。個人の人格形成、個性化のプロセスが第三チャクラのテーマです。
集団の中で浮いてしまうことへの怖れ、コントロール(権力)への怖れなど、特に思春期の多感な時期の経験が根深く影響するようです。
わたしの場合、思い返すと、担任からパワハラ紛いの扱いを受けたことや、思春期特有のいじめ、仲良しグループから突然はぶかれた経験があります。当時は本当にキツかった。
こういう苦味走った経験を、いかに糧に出来るか?が、個性化のプロセスに重要な要素につながっていきます。
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