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あきやあさみ「“なりたい自分”を知って“心満たす服”を手に入れる」講座を見たよ☀


ごあいさつ

日曜の午後、いつも外で軽食を食べつつダラダラすごしている疲れたサラリーマン(37)です。エル・ジャポンを読みながらこんにちは。きょうはサイゼリヤです。

noteではずっとファッションに関して感じたことを書いていて、さいきんは『自問自答ファッション』についても書いています。

むかしは服なんてなんでもよかったんだ。身体が守れれば。でもファッションというか、装いは、着る人のカルチャーと素養のあらわれなのだと、つくづく思う昨今です。

講座について

こちらです。5/18にリアルサイト開催されたもので、チケットを購入すると6/10までアーカイブで見ることができます。

あきやさんの2冊目の本、『「一セットの服」で自分を好きになる』を題材とした、
“なりたい自分”ってどんな自分? 服を選ぶ前に表現できる言葉を探そう!
というテーマの講座です。

個人的講座のハイライト

  • なりたい、そういうことか

  • 似合う、そういうとらえかたなのね

  • 『巨木』泣いちゃう

  • 比率が聞けるの参考になるな

  • 植物を背景に背負ったあきやさん、孔雀さんみたいで可愛い☺(画角的に位置が被ってるだけなのですが……)

やっぱりノンバーバルランゲージ強いよなというかふだん御本やnote記事であきやさんのメソッドは摂取しているのですけど、『あっこういうニュアンスだったんですね……?!』というのが結構あった。

とくに「なりたい・似合う・好き」の整理と、キーワードをそれらのどこに分類してくかワークは、もう一回じっくりやりたいなぁと思いました。

みんな、なりたいと好きがしっちゃかめっちゃかになりがちなんだね……良かった私だけじゃなくて……

『本のワーク』は、服のビジュアルを見ると好きが大暴れしてしまったり、イメコンスペック的な意味で似合う服を合わせたときの『イケてる』感によるその場の万能感から、本当に魂に似合う服が選べなくてソワソワしてしまう勢への荒療治とみた。まずは個々の服への・自分への哲学を確立させるというか。

なので、6分類で『ブランディング』をとくに上位に挙げる方はぜひやったほうが良いワークというか、『TPO』とか『機能』上位勢は、取り入れる温度感を自分のさじ加減で調整したほうがアレな気もする。いや、違うの、個人の感想です、みんなは気にしないでください。

『なりたい』が深い

わたしの『なりたい』のイメージは、キャメロンディアスさんと新垣結衣さんだった。とにかく服なんて何着てても可愛いが、爽やかで飾らない格好で笑顔でいてくれるのが一番素敵で、周囲の風さえ味方するような。白いシャツと、すっきりしたデニムを合わせて、自然体で美しい。これは、憧れに近かった。
なれるものなら『なりたい』が、来世以降だろう。
こうなると、どっちかっていうと『好き』に近かったかな、と今は思う。

ところが、講演で語られた『なりたい』は、なる気の『なりたい』だったのだ。私は忘れていた。あきやさんがファッションに誰より真剣なことを。ファッションを通じて本当の意味でなりたい自分になる。もしくは、本当の意味でなりたい私にもっともふさわしい服を着る。人生を動かすきっかけにする。その決意が私には足りていなかった。

私の『骨に刻むこと』

講演の内容は、あまり話すとネタバレになってしまうかと思うのですが、このワードはみなさんの日記で頻出なので使わせていただこう。

私の骨に刻む私のキャラクターは『ガール・ネクスト・ドア』ではない。こんな可愛くて気さくな女の子が隣に住んでたら良いのになとか思われたかったことはこれまで1度も無かった。

ただただ、『邪念・ザ・ストレンジ(破滅型)』だった。
どれだけ制服のスカートを短くしようと、コスメにお金をかけようと、私は女子たちの中で一番になりたかったことはなく、ただ一瞬だけ、夢見た男の瞳の中で永遠になりたかっただけだった。アンタがその目で俺を見るからだ、と言われたかっただけだった(残念ながら言われたことはない)。

美しくなりたい、は、人として魅力的でありたいの遂行にあたりオプション的にあるものでしかなかった。美貌を持たなかったので持てるものを使おうとした。『何かを失うことを恐れないこと』、『情感』、『国語的表現力』。これらは、思春期の頃は弱いカードだったが、年をとるにつれて強くなり何ものにもかえがたい宝物になった。他ならぬ自分が、自分自身にはこれがあると思えることに価値を感じ始めた。昔から、筋トレや散歩は続かないけれど、資格試験の勉強とかは時間ができたら数年おきにチャレンジしたりしている。中学校の文化祭では一人で『チェス屋』をやっていた。圧倒的に、フィジカルよりブレインにステータスが寄っているのは間違いないだろうな。

おおきく捉えると『知性』ということになるかもしれないが、そんな大層なものではない。

自分だけでなく周りの感情に配慮ができること。社会や世界の持続可能性に貢献できること。そんな大人に『なりたい』というのが、ふつうにというか、表向き目指す姿なのだと思う。しかして、魂の美しいにんげんを探してしつこく干渉したいみたいな気持ちも、ずっとあるし、大酒を飲みながら夫を眺める以外に人生の楽しみなんかあるかよ……みたいな気持ちもあり、人ってね、なんなんだろうね……という……。

久しぶりに、真面目に話してたくせにオチが近づくにつれて雑になっていく記事を書いてしまった。結局何になりたいんですか? まだ、わからないんだ。すまない。ただ、街で、旅先で、仕事場で、ある一瞬で深刻な調和を見せて誰かの記憶の中で永遠になりたい。服の世界観を私の世界観にあわせたい。決して、逆ではなく。

さて、4時半か。また、2時間半もダラダラしてしまった。ここさいきん、本当に暑くなってきましたね。みなさまも、ご自愛下さい。

(邪念 2370文字)


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