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ファッションと記憶と永遠

…来てくれたんだ? やっと2人きりになれたね。


……どうですか? 怖かったですか? こちら、人を選んで給湯室とかで言えば7割笑いが取れて残り3割は「え? 何?……何!?」など面白い反応が見られるギャグです。よければ、お使いください😚💋✨

ごあいさつ

どうもこんばんは🌟邪念(36)です。
2022年6月ごろから、ファッション迷子を脱するためnoteをはじめて、自分の頭の中を整理している普通の会社員です。

着ている服は、誰かにとっての『私の記憶という絵画』。

仕事で着る服は、買い方とか価格帯とかブランドとか、わりとつかめてきたかなと思ってて、それでいいかなと思ったんですよ。私服は、着る機会ないし、どうせ図書館とかスーパーしか普段いかないからなって。

でもどうでしょうね。
今世で、自分のそれぞれの年代のベストビジュアルとか、思い出に残るセレモニーや旅行の一場面って、このままでいい感じですか?

…と、自分に問う。
私は、ほんとうに大事なときだけ、大事な人だけ、写真のように全てを覚えている。それが私の記憶の、きれいなものだ。服も、ちゃんと覚えてる。愛した人間の記憶は、死ぬ時に怖がらずに死ねる唯一の宝物だと思えるので、それは、あつめている。
あのー、元彼等は全員殺しているとかそういう話ではない(誰もそんなこと思ってない件)。

以前も同じトピックで散文を書いている。

記憶の濃さを、必死にたかめている

たとえば旅行に行って、たとえばデートに行って、たとえば食事に行って、たとえば顔を見に行って、ほんの少し話して、たとえば一緒の会場になって、一瞬だけあの人を見つけて……

そういったときに、記憶の精度が高ければ高いほど、思い出せる糸口が増えていく。面で思い出せるようになる。

あの冬の旅行で、あの宿に泊まった。あの市場に行った。昼は観光して、夕方お土産を見て、あの店でディナーをして、ちょっとしたクルーズに乗った。土産物屋でどこに泊まってるのって聞かれて答えたら、いいとこに泊まってるねって言われた。ディナーの店では、横の男女は初めてのデートみたいな会話をしてた。あの人は、はじめてのアウトレットデートで買ったコートを着ていた。あのときは、まだ先代の眼鏡を使っていたから、丸眼鏡だったんだよな。黒髪パーマ期で、あのころも私好きだった。結局、見た目なんかどうでもいいけど、なにしてても似合うけど、あのレストランで、ごはんを食べ終わって、写真を撮ったんだった。グレーに少し編み込み柄の入ったセーターを着てた。文豪みたいな写真。あの時間が、ずっと続けば良いと思ったんだった。そんなのありえないけど、あの場所で、あの瞬間はいまも確かにある。永遠に。

絵筆が、すすむままに。

忘れられない瞬間は、必然のもので、だれかが計算したものではなかった。だから私なんかが、夫や、もしや大事に感じるほかのだれかの、忘れられない瞬間になるかどうかはわからないんだけど、それがいつかもわからないんだけど、あえて服を買うなら、選んで買うなら、その瞬間に背景と色彩と季節を邪魔しないものであってほしい。

後悔だらけだ。

もう若くないけど、これからも、これまでのように、『こうしとけばよかった』『まだ間に合ったのに』と思う機会はまだまだあると思う。

そんなときに、やっぱり、自分自身も、大事な人に『あなたらしい』と思ってもらえる、季節と馴染む、風景を彩る、お洋服を着てても良いなと、、、まあ思う。

ここまでちょっと良い話みたいな流れにしておきながら、最後モニョモニョしているのは、ふたつ理由がある。

  • 服にかけられるお金が少ない

  • みんなそこまで私の服を見てるか?

私の感覚が、特殊なような気もするからだ。私は人の服や小物まで記憶しているときがあるけど、私にとって重要な人が私の服をそもそも眼に焼き付けるのか、それがいつなのか、わからない。

絵画の中の自分だけが、歳をとらない。

それでもいい。これから、あの人の瞳に映る私を整えていく。どんな格好をしていても、器でなく中身を見てくれていたと知っている。知っているけど、あの人の記憶に残りたい。呪いのように願っている。

オスカーワイルドの『ドリアングレイの肖像』じゃないけども。実像は、やはりどんどん歳をとっていくものだ。ほんとうは。自分が鏡を見ても、そのことにきづけないのは、ただの脳のバグ。

どんどん指の隙間から砂が落ちていくなかで、若さや命を失うなかで、誰かの記憶のなかの自分だけが、歳をとらない。

いつかの自分も、誰かにとって、手を伸ばしたくなるような、胸を締め付けられるような、そんな記憶だったことがあるのかな。

これからの私は、もうそんな機会はふつうにないんだろうけど、まちに、景色に、私はずっと居る。
それに、これからもずっと変わらない眼に見つめられる、という、そういう希望もある。世の中、永遠なんてないけれど。おのおのの地点での記憶は、永遠だ。

靴やバッグの手入れをしながら思う。いままでもこれからも、すべてのものに終わりはくるけど、記憶に残るもの、まいにちに寄り添うもの、どちらも大事にしたいなぁ、と。


(邪念 2112文字)


p.s.ここまで買いて保存してたんだけど、映画『ジョー•ブラックをよろしく』をたまたま見て、私の死生観はわりと一般的だとわかって安心した。と、同時に、誰か感想書いてるかな〜ってnoteを検索していたら、ほかならぬあきやさんが落語の記事で言及していたよ。造詣が深い…な……🤔良い映画なので、お時間ある方見てみてね✌️

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