詩集
言うまでもなく生とは崩壊である。 言われたことは崩壊している。 そんなことがあり得るのか。 言われたことを崩壊させる生とは 何もしない生ではなく 生ではない生 もしくは言われなかったもの 言われなかったものは言われなかったということで崩壊を免れる。 生ではない生が生である生を支えている。 つまり、言われなかったものが、言われたものを支えている。言葉があやであるのは確かでなぜ言葉でしか言葉ではないのか。いやむしろ言葉でないものが言葉であるとだからこれは全体主義だ。全体主義だから
どと」の描けす隠喩_象形文字HIKARI 佃煮の未曾有を撫で 腹を満たす眼球 50音を重ねて 傘を作った 真っ黒なその傘 3Dプリントされた雨が降り出す 前に一度開き その反転可能な自立性を 雨は己を凌いで一足跳びに走ろうとしたの だろう シリコン製のその白さからリペアされた水分子を吐き出し うがつに見えるジグザグに偏光する眼球に目を焼けつける ついに我々は書くことを忘れ、句読点だけが残る。 セミコロン 我々の言葉がジグザグである訳は 俺には書く腕がない。幾らかの死
社会を変えようなんて微塵も思わない。変わってもそれは絶対にある社会だからだ。社会って時点で終わってるんだ。地球も終わってる。人間が住んでる時点で終わり。無くなった方がマシ。人間も生きていない方がマシ。マシでもない。ってか全部無い方がマシ。無いことがない方がマシ。俺も死んだ方がいい。あるとか無いとかどうでもいい。生きてるとか生きてないとかどうでもいい。どうでもいい。どうでもいい。お願いだからなくなってくれ。お願いもなくなってくれ。なくなってくれなんて言わないでくれ。言わないでな
そこだけだ だけだけだ たけだけだ たけがたけになりたてかけたかったからたてかけかたてた ひらがなとかたかなとかんじ ヒラガナトカタカナトカンジ 平仮名ト片仮名ト漢字 トはとでしかなく はははでしかない がはがでしかなく をはをでしかない 助詞が急にことばの手前に降りてくる てがてを全うするてがてとして機能している助詞が助詞として機能する こうとしか書けないのに こう書こうということもないのに こう書かれることが が、 は、 に、と、って、 思考と助詞の関係 指差しは言葉
消尽すること。絶対零度。
選好しない。フラット化。音楽、言葉。 選好しないことを選好するのではなく、選好させられていること(自然選択)からも逃れ、選好の手前に?奥に?奴は生まれる前から降りていた(ベケット)。奴は俺で、俺ではない。別の選択肢を追加。生まれる前から降りていた。存在論的中絶。別の選択肢を追加。私ではない。生まれる前に這いずり回り、その残滓として。(また別の声が。長い沈黙。繰り返して。)包括的に全体を... 芝居。 音をくれ! 情念だ... はいかいいえで 亡霊として漂うジジェクの亡霊 亡
運動が千切れるほどの運動。絶対零度。ゼロ度の運動。いいだろう、誰にも読まれ ない こ の にはしかし千切れる文字どもの炸裂を目に耳に突き刺さるよう爆破しよう。 いや、寧ろ凍土として未到の凍土としてマントルとして、 aからcの間のあいうえをがにがおえにのがを食べた 意味を越えること 突き破ること 表面の意味は破られ捲られるがホワイトスクリーンとしての言語空間は破れない。 イグジットなき我々に自由があるとすればその言語空間の内部で言語的粒子の反応停止温度である絶対零度までそれ
パンクは反動ではない。半袖だ。 反動はツッパリ-反作用である。つまり、逆方向の矢印がある。それらは作用のなかからというか作用とセットでしかあり得ない。 しかし、半袖は、暑いから切り落とす。ただそれだけ。しかし肩は見せない。肩を見せるのはワイルド(だろぅ。ワイルドは(いつの間にか人間から遠ざかった、もしくは遠ざかること自体が)自然だ。自然は元の鞘である。まるで収まるところに収まるように自然でカタがついてしまう。なのでパンクは自然-ワイルドではない。さらに半袖-パンクは、切り落と
常に逃れるものと
すれ違うこと。出会わずに。 あわいにいること。ぶつからないこと。漂うこと。 変容するのではない。別物になるのでもない。 新たなことではない。実験でもない。 すれ違え。出会うな。漂え。しない方がいいのですが。I wound prefer not to. これは従うことではない。むしろ従わないことである。また、別の何かに従うのでもない。 漂うことは受け入れることではない。受け入れないことである。 何者も動かさない。力を持つものはいない。原理の思考でも、力の思考でもなく、あわ
哲学もクソだ。と言ってみる。なぜクソなのか?哲学は哲学としてあるからだ。哲学が哲学としてあるというところがクソなのだ。哲学が哲学としてあるとは、哲学が哲学として認められているということだ。あることがクソにつながる。認められていることがクソにつながる。クソでいいではないか?そんな意見もある。だが、クソであるということはクソであるということであり、クソとしてクソであるということである。クソとしてあるとはクソとして認められているということだ。つまり、クソはクソでもクソとしてないもの
漫才・コントの台本です。 アドヴァイスがあればしてください
A コントに入るって難しいとおもうんだよね B 確かに日常でなかなか入ることないからね A でも、いざとなった時、入りそこねたくないんだよね B 確かに入れなくいつの間にか行列の先頭になるとか嫌だね 大縄に入れない子供じゃないんだから A そう だから練習したいんだけど 今からコント入りするから入れるように開けておいて B (渋々)わかった Aあー、早くコント入りたいなあ B こちら、コント入り口になりまーす A ここがコント入り口か ウィーン(両手を開く) B (
コント 座禅 座禅を組む二人。横並び。観客の方を向いている。 a:(無言で手を合わせ、お辞儀)バシン!(もう一度手を合わせ、お辞儀) b:(来たか、打たれるの嫌だな顔で手を合わせてお辞儀)バシン!(もう一度手を合わせ、お辞儀) a:(何度も打たれてはお辞儀をする。 計、15回ほど。) b:(aが打たれている間、何やこいつの顔) ナレーション(僧侶):お疲れ様でした。本日の座禅は終了です。 暗転。 明転。 b:(座禅からの帰り道)一緒に座禅受けてた人なんだったんだ
ボケ:いやー、友達に学校の先生やってるやつがいてね。ちょっと楽しそうやからやってみたいのよ。 ツッコミ:いいじゃない。学校の先生。 ボケ:だから、俺、学校の先生やるからお前ちょっとそこで見てて ツッコミ:いや、俺みてるだけ?俺にもなんかやらせてよ。 コント入り(ボケのみ) ボケ:ほら、カツ丼!食えよ。腹減ってるだろ。そう、これ食って元気出せよ。(警察の取り調べの感じ) ツッコミ:いや、学校の先生やりたいって言ってたけど、これじゃ取り調べじゃない。なにをやってんだか。
可能性の条件としての不可能性
何も書けないところで。積もる意味に斜線を引き、斜線と斜線を繋げずに。考えられない?しかし言葉が、いやもしかすると、僕らは僕らではなく、誰かの言葉だけなのかもしれない。しかし斜線と斜線の間で(位置的もしくは時間的)いや、もしかすると、そこに斜線を引き、また隣へ向かわなければならないのか?フロンティアへ?しかしフロンティアはあり得ない。フロンティアはフロンティアとして投げ出された時点でフロンティアではなくなる。完全なフロンティアは、あり得ない場としてしかあり得ない。あり得ない場と
書くことをやめさせることを書くこと。それは、尽くされているということ、消尽したものを書くことではないのか。だから、これは書かれてはならないし、書いていることにならない。増殖し続けるだけで消尽しないものに何の意味があるのか?書くことが存在の否定となるように書くこと。書くことではないように書くこと。書くことの否定性を書くこと。書くことに潜在的に付き纏う否定性を書くこと。だが、それもまた増殖していくしかない。消尽を増殖すること。消尽し続けようとすること。もう終わりにしようとメモ帳を