孤独の時間

横浜の小さな劇場で、友人と劇を観た。彼女の方から観たい劇があると誘ってくれたのだ。彼女は私の高校時代の同級生であり、私が人生で唯一焦がれるような恋をした相手であり、そしてそんな私を真正面から振った人である。

劇を観終わったあとは二人で中華街を歩き、駅の近くにある喫茶店に入った。レトロでありながらも黄色いソファーが明るい雰囲気を出していて、秘密基地のようなワクワクするお店だった。
友人はこういう店をたくさん知っていて、そのセンスには二人で出かけるたびにお世話になっている。
劇で出てきたスパゲッティが美味しそうだったねという話をして、二人でナポリタンセットを注文した。ソーセージは入っておらず、そのかわりにナスやパプリカなどの野菜が目に楽しい一皿だった。
喫茶店を出たあと、すぐ近くにあるメロンパン専門店でメロンパンを2つ買った。袋は一つにまとめてもらった。
石川町の駅を越えて、前にここ来たことあったっけなどと話しながら、坂を登りイタリア山公園に向かった。
季節はちょうどクリスマス。公園の洋館ではクリスマスに飾り付けた施設を公開していた。入口の段差で友人が足を踏み外して転びそうになっているのがいつもどおりでおかしかった。
日曜の昼過ぎではあるものの観光の中心から少し離れたこの公園には、人はそれほど多くなく、一つだけ空いているベンチを見つけことができた。

二人で腰掛けビニール袋を開く。
それから10分ほど、私たちは一言も発さずにメロンパンを食べた。
目の前では、細い噴水が斜めに打ち出されて弧を描き、てっぺんで広がって水路にバラバラバラと落ちていた。私は本当の意味で何も考えず、噴水を見つめ呆けていた。普段であれば、たとえ何もしていないときでも思考は回り、何かに突き動かされたら急かされたりしているだろう。しかし、ここでは世界から追い立てられることのない孤独が流れていた。
彼女が隣にいるからこそ、私は自身を世界から隔離することができるのだ。一緒にいるのが楽しいのではなく一緒にいることで孤独となれる友人は私にとっては彼女しかいない。不意に与えられた人生の余白は、空っぽだからこそ忘れられない時間だった。


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