本草綱目に於ける尿療法の考察
中国での本草綱目や尿療法の考察をされている方の
意見や考察をご紹介します。
本草綱目と尿療法
尿療法の神秘的な効果は、注目を集めてきました。
尿療法は中国の医療学の宝であり、
明代の優れた医師「李時珍」(1518〜1593)が著した『本草綱目』において、詳細に記録されています。
尿療法の効果は非常に「特異」です。
しかし、人々は尿療法が外国からの輸入療法であり、古典に載らない素人民間療法「偏方(piānfāng)」であると考えがちです。
この見解は偏っていると言えます。
『本草綱目』は1552年に初めて著され、
1578年に完成しました。
この書物のために、李時珍は
「百氏を集め、四方を訪ね、八百余家の書物を考証した」とされ、明朝以前の医療学の集大成となっています。
著書が記されてから400年以上経ってた現在も、中医薬(中医学)の古典として重要な位置を占めています。
『本草綱目』では「尿療法」が「人部」として三つのレベルに分けて記されています。
1. 人尿
『素問・内経』では「溲」や「小便」と呼ばれ、
南北朝時代の『名医別録』では「溺」とも言われています。
『本草綱目』では「輪回酒」または「還元湯」として紹介されており、以下のような病気や症状の治療に使われます。
など、ほとんど全ての体のシステムや
疾患に効果があるとされています。
2. 人中白
人尿から沈殿してできるもので、
「お湯や熱によるやけど」、
「悪化した傷」、
「体内の熱を冷ます」、
「喉や口の傷」、
「出血や皮膚の発疹」、
「肝臓や三焦(体内のエネルギーの流れを調節する部位)、膀胱(ぼうこう)の火(炎症や熱)」
などの治療に使われます。
3. 秋石
「人中白」を精製したもので、
また「秋石」とも呼ばれ、
虚労冷疾、
滋腎水、
養丹田、
反本還元、
帰根復命、
安五臓、
潤三焦、
明目清心、
延年益寿
を治療します。
古代中国の発明 「秋石」
不老長寿を願った
古代中国の皇帝や皇后は若い男子や女子の尿をベースに
生体ホルモン剤として尿を利用した媚薬を摂取していました。
性別で尿を分けていたのは
アンドロゲンやエストロゲンを体験的に
知っていたのかもしれないですね。
尿を桶や甕に入れておくと桶や甕の壁に白い結晶が付着する。
この結晶を秋石(しゅうせき)または人中白(じんちゅうはく)という。
これも薬として使われていた。
薬としての用途は童便とほぼ同様である。
『本草綱目』によれば童便のほうが効果が優れているそうだ。
秋石には淡秋石(たんしゅうせき)と鹹秋石(かんしゅうせき)の2種類がある。
淡秋石は削り取った結晶を粉末にしてから水に晒して異臭を取り除き、
型に入れて固めたものである。
鹹秋石は尿からではなく天然の食塩から作られる粉末である。
見た目と味が淡秋石に似ていることから秋石という名がついているが、原料は全く異なる。
秋石の作り方
秋石の作り方には様々な方法があったようだ。
例えば尿に石膏を混ぜて桑の木でかき回すと秋石が沈殿するという。この沈殿物を集めて水の中に入れてかき回してから沈殿させ、さらに水を換えて匂いが消えるまで繰り返すと白い秋石を作ることができる。
また草鞋を使って作る方法もある。
できるだけ古い草鞋を数百足集めて流水に7日晒す。それを尿に漬けて乾燥させ、乾燥したらまた尿に漬けてまた乾燥させる。
これをひと月繰り返してから燃やして灰にする。
これをお湯で煮て沈殿物を採取する。
その沈殿物を水で溶いて濾過しする。
水で溶いて濾過する工程を半月ほど繰り返してから銀の鍋で煮て水分を飛ばせば完成する。
この他にも様々な作り方があったようだ。
どれも時間と手間がかかる方法である。
丹薬の作り方
秋石は不老長寿の薬である丹薬(たんやく)の材料にも使われている。
宋代の翰林学士・葉夢得(ようむとく:1077年から1148年)の『水雲録』によると、秋石による丹薬の作り方には陰錬法と陽錬法の2種類があるという。
陽錬法は次のとおりである。
木の桶に人尿を満たし、尿1石につき皂荚(サイカチ)の汁を1碗加え、竹の棒でかき回す。
上澄みを捨てて鍋で水分が飛ぶまで煮詰める。
鍋に残った結晶を削り取って細かく砕き、これに水を加えて煮溶かす。これを濾して煮詰め結晶を削り取り細かく砕く。
さらに水で煮溶かして濾す作業を繰り返すうちに雪のように白くなる。
完全に白くなったら細かく砕いてルツボに入れ7日間熱する。
こうしてできた塊を砕いて粉末にしたものを棗の果肉で練って豆粒くらいの丸薬にする。
これを空腹時に酒で30粒服用する。
陰錬法は次のとおりである。
尿を大きな甕に入れその半分の量の水を加える。
千回かき回すうちに結晶が現れる。
その結晶が沈殿するのを待って上澄みを捨てる。
そこに再び水を加えてかき回し、結晶が沈殿したら上澄みを捨てる。この作業を尿の匂いが無くなるまで続ける。
匂いが無くなったら沈殿物を乾燥させ、男児を生んだ女性の母乳と混ぜて乾燥させる。
乾燥したら再び母乳を混ぜて乾燥させるという作業を9回繰り返す。
最後に棗の果実を加えて練り合わせ豆粒ほどの丸薬を作り、午後になったら酒で30粒を服用する。
陽錬法で作られた丹薬と陰錬法で作られた丹薬を1日に1回づつ服用することにより不老長寿が約束されるという。
最高ランクの「上品の君薬」且つ万能型
これら三つのレベルは尿療法の系列方を構成し、『本草綱目』では6000字以上、70以上の処方が記録されています。
中薬の王とされる人参は5000字以上、処方は尿療法より6首多いのみであり、
「国老」と称される甘草は2000字余りです。
尿療法は『本草綱目』の中で重要な位置を占めており、三品薬性が揃い、君臣佐使の機能を持ち、長期的、迅速、特効的な作用を持つ優れた方剤です。
『神農本草経』では薬性と機能に基づき、
上、中、下、の「三品」に分かれています。
尿は上品の君薬として、温性で無毒、長期服用しても安全で、「精気、血液、津液、小便」の関係を明確にし、血液に近い性質を持ちます。
尿療法は上品の君薬としての性質を持ち、中品、下品の薬性にも対応しながらも、その毒性の欠点はありません。
尿療法の広範な長期的な効果は皮膚の美容や健康維持に最も良く、速効的、特効的な作用は数多くの例があります。
例えば、
戦国時代の名医扁鹊の「中悪不醒、尿を面にかけると即座に覚醒する」という方法、
漢末の名医張仲景の「中暑で昏倒した場合、陰の場所に移し、熱土で腹を温め尿をかけると効果がある」、
東晋の医学者葛洪の「蛇が足に巻きついた場合、尿を用いると良い」など、
多くの歴史的な事例が挙げられています。
李時珍が残したもの、これからの展望
『本草纲目』における尿療法の記録から、古人の尿療法に対する理解と利用が、長い実践を通じて深化してきたことが分かります。李時珍は尿療法の機能について明確にし、尿が血液から生成されること、尿と血液が同類であることを説明しました。尿は生命の水であり、血液の循環に関わるため、血液系の病気を治療します。
附文:
老子と尿療法
老子(公元前571年〜前471年?)、または老聃と呼ばれ、姓は李、名は耳、字は伯陽。
楚国苦県(現在の河南省鹿邑県)出身で、2500年前の哲学者であり道教の創始者です。
彼は周朝の国家図書館館長を務め、古今の変遷に精通していたとされ、
世界中で「万経之王」、「東方智慧の巨人」と称されています。
老子は古代漢字を巧みに用いて8句の詩、56文字で尿療法を伝え、
人尿を「薬」と定義しました。
歴史資料を調べた結果、老子より早く尿療法を「薬」と定義した人物は存在しません。
インドの尿飲用の歴史は中国より古いですが、インドでは尿を「神の飲み物」としては言及されていますが、薬としての認識はされていません。
尿療法は世界中に広まり、現代の医学においても注目されています。
現代の衛生基準と「唯物論科学信奉」と「汚物教育」という盲目
百年前の中国、清朝末期から民国初期の時代、西洋の学問が東に伝わってきました。
社会では、中医学や中薬を全面的に否定する人もおり、その中でもよく見られるのは、
「人中白」と「人中黄」が人尿や人糞であり、不潔で非科学的だという批判でした。
「人中白」と「人中黄」は、『唐本草』や
明の李時珍による『本草綱目』に早くから記載されています。
「人中白」は淡秋石や千年氷とも呼ばれ、
人尿が自然に沈殿して固まったもので、一般的には尿石と呼ばれています。
成分には尿酸カルシウム、リン酸カルシウム、尿酸、少量のホルモンなどが含まれています。尿素は皮膚に使用されると、保湿や角質軟化などの効果があります。
童便はその少量のホルモンを利用して治療に用いられます。
「人中黄」は甘中黄とも呼ばれ、甘草の粉末を密封した竹筒に入れ、
きれいな糞尿の貯まった場所に3ヶ月間浸して作られます。
その後、臭いを取り除き、筒の中の甘草の塊を取り出して完成します。
どちらも冷却や解毒、口内炎の治療に用いられます。
厳密に言えば、食物が体内に入り、養分を吸収し、
細菌と混ざり廃棄物として排出されるまでの過程はすべて体外で行われます。
したがって、細菌が体内に入ることはありません。
しかし、小便は全く異なります。体内で代謝された後に排出されるため、完全に無菌です。
尿液も無菌であり(唾液には多くの細菌が含まれています)、
もし尿が無菌でなければ膀胱炎になります。
このため、最近では修道女がエレベーターに閉じ込められた際に
尿を飲んで命を維持できた事例があります。
また、自分の尿を飲む健康法を提唱する人もいます(循環的でエコロジー?)。
これもまた信憑性があります。
「人中黄」も完全に乾燥すれば、細菌は含まれていないはずです。
人から出るものの中で最も不潔なのは、
おそらく人の心にある自己中心的な考えや悪意でしょう。