ヒリヒリするのはチャンスかもしれない。

 人との連絡のやりとりで、よく使うLINEやメッセンジャー、Instagramや Twitterのダイレクトメッセージ機能、略してDMと呼ばれるもよく使われる。

 このような連絡の取り合える機能はとても便利だ。便利だからこそ改めて気をつけないといけないな、と思うのが言葉が表す意味やその言葉の使い方。なかでも、自分はそういう風なニュアンスで使っていなかったものでも、相手にはネガティブなニュアンスで伝わってしまうこともあると思う。
 そして、対面でないため、相手側にすぐに確認を取りづらいのも、文面でのやり取りから生まれるこじれの素にもなっていると思う。

 対面で話しているとどうだろう。人の表情や声のトーン、言葉のテンポなんかにも人を傷つけるような要素がある。目線だってそうだ。

 「傷付ける」他人を傷つけようとして生きている人はそうそういないと思うし、文面や会話から、自分にとってのネガティブ要素をかいつまんで、それをそのまま受け止めて傷ついて落ち込む人もあまりいないと思う。
 しかし、最近の私は後者に近い時がある。体調不良で休職中の身で、ほぼ無職の生活をしているからか、ヒリリとした身をつまされるような言葉には敏感になってしまっている。

 知人のInstagramの投稿に、私にあてて書かれた激励の文章があった。
その中に、緩慢に生きている人には、人生は長くしんどい、これから先のことを考えると死にたくなる、かといって焦ったりがんばりすぎても死にたくなってしまう。
自分のやりたいことをじっくりやり続けていることが幸せである、とあった。

何度も何度も読み返して、咀嚼しているうちに、「緩慢」という言葉が引っかかった。私はゆったり生きてるのかとドキッとした。
確かに、ゆったりしすぎているのかもしれない。今の現状に満足していたからこそ、これから生きていくことに虚しさを覚えるのかもしれない。もっともっと、あれもこれも、と思った方が良いのかもしれない、とも思った。

 ヒリヒリといろんなものに敏感になっている今、傷つくのは承知でもう少しアンテナを広く張って、時間はたっぷりあるのだからヒリヒリとしたものを自分の中で噛み砕いたり、情報の海を潜ったり釣りしたりしながら、うまく今の自分の状況をつかっていくと、もっと生きやすく変わることができるんじゃないか。もしかしたらチャンスだ。


♩こんなに悲しいのに腹が減る
  クリープハイプ

2021年「夜にしがみついて、朝で溶かして」

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