全生命体共通の最果て意識

全生命体の最果て意識は共通のものになる。形に全く囚われることなく、世界を認識する。世界をそのままに世界をまるっと一つのもののように捉える。

人間で言えば、名前があてがわれた人一人を一つの形と捉えるだろう。名前の数だけ個数がある。だが、名前という言葉の存在は一つだ。この言葉を細分化した時に実際の個人名が出てくる。なら、名前はなんのために存在しているだろうか?

人と人とを区別する必要があるために名前はあるのだろう。名前がある神話の神もいる。

区別できる、と個性が生まれだす。区別された者はその名前にちなんだ個性が芽生えるだろう。この個性の一長一短を知り場面場面で活用できれば、より状況を打破しやすいように思う。

この個性を完全に取っ払った時の己こそが全生命体共通の最果て意識だ。個性の目でものを見た時に思い込みが湧きだす。この思い込みに価値を見出し、鍛えこむことを社会はおすすめする。

社会でうまく生きていくには思い込みがいる。だが、思い込みの反動作用で苦しみも生まれる。この苦しみを打破するにはもう一つ上の個性の目が必要になってくる。

もう一つ上の個性の目とは現状の主軸となっている思い込みを論理的に理解することだ。これ繰り返していると個性の目は全生命体共通の最果て意識となる。

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